第三十二層目 折れぬ刃


 ずるりと静かにスライドし、そのまま湖に落ちるツイントゥースドラゴンの両腕。

 その場に居た一名を除いた全員が、それぞれ驚きの表情を浮かべる。


「見え、なかった……」


 一輝は神に誓っても、いまの一瞬にまばたきをしていないと断言できた。

 『原初の刃』。その奥義を直接目にする機会などこの先ないかもしれないと、限界まで集中して見えていたのだ。

 だが、実際にはその刃の軌跡を見ることは叶わなかった。

 大太刀を構えた瑞郭が動いたときには既にドラゴンの腕はずれ始め、太刀を納めた時には終わっていたのだ。その驚きは正宗も同様であった。


 そして、残りの一名は別の事に対して、驚愕に目を見開く。


「まさか……ワシの技が見切られたというのか……?」


 瑞郭はわなわなと震えながら、ツイントゥースドラゴンを見つめる。

 確かに、首を落とした手応えがあった。

 腕二本と首。その三ヶ所を同時に落とすことで、必殺の刃とする奥義、『一夢迅』。だが、肝心の首が落ちていなかったのだ。


 飛び退いたのはもはや本能であった。

 僅かに遅れて瑞郭の居た場所を、ツイントゥースドラゴンの噛みつきが空振る。


「くっ! こやつ、どうやって今のを避けたのじゃ!」


 それは自惚れではない。

 人が生きるためには空気を吸って吐き、飯を喰らって寝る。そういった当たり前の事と同様なのだ。

 『一夢迅』による必殺は。

 だのに、それが防がれたという事実は、瑞郭にとって大きな衝撃であった。

 幸いに一輝達はその事には気がついておらず、直ぐに継戦の構えをとった。


「奴は弱っています! 畳み掛けましょう!」

「……すまん、ちと厳しいわい」


 一輝の言葉に力弱く首を振る瑞郭。

 その理由は、自身の使う戦技の燃費の悪さにあった。


 あらゆる物理法則をねじ曲げるような、もはや『魔法』と呼んでも差し支えのない瑞郭の技は、その体力のほとんどを消費して行使される。

 これが仮に二十年前であれば、もう何回かは使えたであろう。だが、歳月というものはどんな存在にとっても等しく訪れるものである。


 人類最初にして至高の特級探索師とはいえど、老いには勝てないのだ。


 そんな理由もあって、グラハムという弟子をとることにした。だが、そのグラハムも死んではいないだろうが、直ぐには戦闘は困難である。

 

「グオオオォオオオッッ!!」


 喉を焼かれ、腕を斬られてもなお衰えぬツイントゥースドラゴン。

 対してグラハムと瑞郭という最大戦力を失った人間サイドは厳しい状況だ。

 一輝はツイントゥースドラゴンを見据えながら、瞬時に思考を巡らせる。


(どうする? 一度退くしかないのか? でも……)


 噛みつき、突進、尾撃。

 出来ることの全てを繰り出してくるツイントゥースドラゴンに、逃げられる様な隙は見当たらない。


「なら、倒すしかねえだろ!」


 先程の消化液作戦は多用できない。

 仮に腕を再生して同じことを繰り返したとする。あと二本くらいならば大丈夫だろう。

 だが、もしもドラゴンが一輝を食べた量が、一輝の総重量の半分を越えた場合、ツイントゥースドラゴンは獲てしまうのだ。


 『自己再生』という、もっとも渡してはならない能力を。


(考えろ……考えろ! なにか、決定的な一撃を……!!)


 その時、湖に浮かぶそれを見つけた一輝は、瞬時にあらゆる事態を想定したプランニングをしていく。

 そしてひとつの作戦へと辿り着くのだが、それはもはや賭けといっても過言ではなかった。


(けど、このままじゃジリ貧だ。やるしかないッ!)


 最悪、自分がツイントゥースドラゴンに食われて能力を渡すよりもまだ良い。そう考えた一輝は、瑞郭に向かって声をあげる。


「瑞郭さんッ! 五分ッ!!」

「むっ!?」


 ただそれだけの短いやりとり。だが、こと最ベテランの探索師である瑞郭にとってはそれだけで通じる。


 五分の時間を稼いでくれ。

 そう言外に物語てくる一輝の瞳に、瑞郭はニヤリと笑う。


「このワシを時間稼ぎに使うとはのう……良いだろう、蝋燭の最後の一燃じゃッ!」


 再び大太刀を構える瑞郭。

 体力も底を尽きかけ、戦技のひとつも撃つことは叶わない。しかし、それでも培ってきた技術で足止め程度はこなす。

 それは、特級探索師としての意地でもあった。

 一度は折れそうになった刃が、再び輝きを取り戻すッ!


「死ぬならばこの老いぼれで十分。さて、第二ラウンドといこうぞッ!」


 足場を踏み抜きながらドラゴンへと肉薄する瑞郭。

 それを迎え撃とうと、激しい咆哮をあげるツイントゥースドラゴン。


 両雄激突。


 ただ、己と己をぶつける攻防に、もはや見ることしか出来ない正宗は息をするのも忘れていた。

 しかし……。


「一輝くん!? 君は何をッ!!」


 ふと向かった視線の先。

 そこにあったのは、先ほど瑞郭が切り落とした二本の腕と、それにかぶりつく一輝の姿。


「気でも狂ったのか!?」


 モンスターの肉は、たった小さな一片でさえ人間にとっては死の毒である。

 それなのに、まさかそんなモンスターの肉を大口で食らいつくなど、手の込んだ自殺でしかない。

 これには流石の正宗も止めようと駆け寄ろうとする。だが、ツイントゥースドラゴンの腕を飲み込んでいく一輝の様子が、良い意味で変化していることに気がついた。


「ほっほ! まさか、モンスターを喰らう者じゃったか!!」


 ツイントゥースドラゴンの猛攻を凌ぎながら、一輝の様子を窺う瑞郭。

 何をするのかと思えば、まさかの奇行。しかし、確実に一輝が纏うオーラが上昇している事に瑞郭は気がついていた。


(物凄い勢いで強くなっておるのう。あれならば、もしかすれば……それに、あのゴーレムはなんじゃ?)


 ツイントゥースドラゴンの腕を咀嚼する一輝の横で、淡い紫色の光を集めるゴーレム・マジシャン。

 そして集めた光はそのまま一輝へと流れ込んでいく。


(何をするつもりかしらんが、このままでは全員お陀仏じゃ。いまは一輝とやらを信じるしかあるまい……)


「てッ!!」


 戦技が使えずとも、人間として磨きあげられた瑞郭の刃はツイントゥースドラゴンへと届く。

 しかし、やはり体力の低下の影響は大きい。斬れるのはあくまで表皮までであり、その程度で怯むツイントゥースドラゴンではない。

 振るわれる刃もお構いなしに全身で体当たりをすると、そのまま顎をしゃくって瑞郭を吹き飛ばす。


「ぬおぉう!?」


 ボキリッと鈍い音が響く。

 咄嗟にガードした腕と共に、どうやら肋が数本折れてしまったようだ。

 残念ながら『自己治癒』などの回復系統の能力を持っていない瑞郭は、吹き飛ばされた先でなんとか着地だけを決めると、そのまま膝をついて動けなくなってしまった。


「ふ、不覚ッ……」


 骨の折れる手応えを感じていたツイントゥースドラゴンは、ニヤリと大きな口を歪ませながら瑞郭を喰らおうと近づく。

 いままで出会ってきた小さき者の中で、一番強かった存在。その味に期待を膨らませながら、大口を開いた。


 その時。


「──ッッッ!?」


 まるで心臓を握りつぶされたかと……いや、感覚だけでいえば、いま確かに自分の心臓は潰されていた。

 それほどまでの『死』の気配が背後から溢れれきたのだ。


「待たせたな」


 不適な笑みを浮かべる一輝。

 その両手には、赤と青の拳銃が握られていた。

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