第二十四層目 スライムの踊り食い


 野生のひぐまの習性のひとつに『土饅頭』というものがある。

 これは狩ってきた獲物が大きい時、後から食べるために食べかけの獲物の上から落ち葉や土、時には雪などを被せ、保管するという習性だ。

 この土饅頭と化した獲物に絶対に手をつけてはならない。

 あまりにも筆舌しがたい事件であるので詳細は語らないが、かつての日本における羆事件においてもその羆の執念深さが語り継がれている。


 彼らは絶対に許さない。

 自分の獲物を横取りした存在を。




「うっ……うう…………こ、こは?」


 全身に走る激しい痛みを感じ、一輝はゆっくりと目を覚ます。

 あたりに漂う濃厚な生臭さに顔をしかめるも、そこで自分が意識を失う最後に何が起こったのかを思いだし、全身の毛穴という毛穴から汗を吹き出す。


 数回にわたって巨大な腕により嬲られた一輝は、ジェイが放つ凄まじい光を見た。

 だが、次の瞬間。

 残っていた左腕を肩口ごと噛られ、そのまま空間の裂け目へと引きずり込まれてしまったのだ。


「ッハ、ッハ、ッハ……」


 いまにも気絶をしてしまいそうな痛み。失った両腕。肩口に刻まれた、真新しい二列に並んだ歯形。


「つ、ツイントゥースドラゴンッ……!」


 かつて大阪梅田メイン・ダンジョンに出没し、一度に数百人以上の探索師の犠牲を出した伝説のモンスター。その特徴である獲物の歯形しるしが刻まれてしまったのだ。

 暗闇に目が慣れてきた一輝は、そこでようやく自分の周りがどういう状況か理解する。

 先程から感じていたこの凄まじい程の生臭さは、周りに転がっている獲物達から発せられているのだ。そして、自分もその葬列に参加させられたということに。


「に、逃げなきゃ……!」


 なんとか立ち上がろうと腕を伸ばそうとする。だが、伸ばすべき腕が存在せず、そのままバランスを崩して地面に広がる血だまりに顔面から突っ込んでしまった。


「うぇ! ぷっ、ぷっ! 臭い……」


 既に他の獲物の血肉で汚れていた一輝であるが、更に血みどろになってしまった。

 しかし、そのまま待っていても食われるだけだ。

 一輝は芋虫の様に這いつくばりながら、死体の山から逃げようともがく。と、その時。


 なにやら眼前で蠢く存在に気がつく。

 よくよく目を凝らして見ると、それは半透明の体をもつ不定形なモノだった。


「ま、さか……スライムッ!?」


 スライム。

 某RPGの象徴的な存在であり、雑魚敵の代名詞とも言われる存在。だが、その特性からいえば雑魚であるという物はただのゲーム上の話であり、近年どちらかと言えば凶悪なモンスターという認識も生まれつつある。

 そして、そんなスライムは……このダンジョンの存在する様になった世界では、残念な事に凶悪なモンスターであった。


 無機物・有機物を含むあらゆる物質を溶解させる体液。

 わずか数㎜の隙間さえあれば潜り込むことのできる軟体。

 核さえ無事であれば再生するタフネス。

 分裂による単独繁殖をこなす特異性。


 生物としておおよそ反則行為を羅列した様なモノが弱いわけがない。


(恐らくこの死体達に惹かれて紛れ込んできたんだ……気づかれないように……)


 スライムは一見不定形に見えて、その実はきちんと体内器官が存在する。

 ただ、体を構成する細胞結合組織が特殊ゆえに、糊の様にドロドロの不定形になれるのだ。

 それ故に、十分な視覚だけは得ることが出来なかった。眼球というものは、かなり複雑な構造になっており、変化する組織では対応しきれなかった。

 なので、スライムをやり過ごす為には一番重要なのが、音をたてないことなのだ。


(臭いは死体の山のお陰で隠せているはず……あとはゆっくり、ゆっくり……)


 周りの餌を食べる事に集中しているスライムは、本当にゆっくりと這いずる一輝に気づく様子はない。

 気がつかれれば、次に食べられるのは自分かもしれない。

 そんな恐怖が脳内を支配し、極度のストレスが一輝を襲う。


 十、二十。たった数十cmを移動するのも命がけである。

 どれほどの時間が経ったのかはわからない。しかし、それでもスライムからある程度距離がとれたのは、スライムの放つ咀嚼音の距離からもわかる。

 そこでようやく安堵の息を吐き出す一輝。


 それが、命取りだった。


 スライムについては、まだあまり研究が進んでいないモンスターだ。

 理由の多くはその狂暴性故に生きたままの捕獲が難しいことなどがあげられる。

 なので、一輝が知らないのも仕方のないことだった。


 スライムは、生物の呼気を感じて獲物を捉えるということを。


「ッ!?」


 突然咀嚼音が途絶えたかと思うと、ズチャズチャという液体が這う音が聞こえてくる。

 それは物凄い速さで一輝の後方から近づいてきていた。


「嘘だろっ!!」


 上体を起こして急いで這う一輝。

 しかし、そんな人間らしくない移動で逃げられるわけもなく、一輝の右足首にカッと熱い感覚が襲う。


「がぁあっ!」


 コンクリートであろうが鉄筋であろうが、全ての物を溶かすスライムにとって人間の体などプリンを食べるのも同じだ。

 あっという間に消化されてしまった足。そして、その感覚は徐々に上にのぼって来ていることがわかった。

 生きながらに溶かされていく感覚。まさに、拷問。


 痛みよりも恐怖が極限状態になり、一輝の髪の毛は色を失っていく。


「あ、う……」


 もはやこれまでか。

 一輝の脳裏には、いままで生きてきた17年間の人生が走馬灯の様に走り去っていく。


(さ、おり……)


 ルーゼンブル学園に入学する前、早織と交わした約束。


(け、い)


 まだ幼い頃、非力で体が弱く、皆から虐められていた幼馴染みとの誓い。


「し、ねない……死んで、たまるかぁああああ!!」


 最後の死力を尽くして体を跳ねさせる一輝。

 突然の動きに驚き怯んだスライムは、少しだけ一輝の体から離れる。が、そのスライムに一輝は思いっきりかぶりついた。


 『噛み砕く』。その名前だけを聞けば、ただの噛みつき攻撃だろうと勘違いしてしまうかもしれない。

 だが、噛み砕くとは読んで字の如く、『噛んで』『砕く』のだ。ただの噛みつくとはわけが違う。まごうことなき、『戦技』のひとつなのだ。


 戦技特有の黄色い光を放ちながらスライムの体を噛み抜く一輝。

 口に入った瞬間、そおの溶解液が溢れて口内を溶かしていく。だが、そんなものはお構いなしに一輝は噛り続ける。


 再生しようとするスライムと、噛りとる一輝。

 そのペースは若干一輝の方が早い。

 だが、一輝の体内を削る消化液のスピードはもっと速い。


(間にあえ……間にあえ!!)


 完全な賭けだった。

 どちらのが勝るか。己の生存を賭けた大勝負。


 その一番を制したのは……。


「ふぅぅぅぅ……」


 失った四肢を取り戻し、己の足で大地に立つ一輝であった。



名称:神園 一輝

種族:人間

職業:私立ルーゼンブル学生

年齢:17

健康状態:疲労(極限)


体力:47

筋力:33

俊敏:52

頭脳:38

魔力:290


能力:『調理』、『暴食の権能』、『噛み砕く』、『音波』、『解析』、『みかわし』、『水鉄砲』、『ストリングショット』、『自己再生』(NEW!)、『消化液・極』(NEW!)

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