第7話 公演前
皆沢の生誕公演も普段どおり盛況を博し幕を下ろした。
数日後。店長の指示により牧瀬はカフェの業務を早めに終える。店長の指示とは和久井の指示に等しく、内容も事前に知らされていた。内容は明日の公演に使う小道具の制作である。緊張でざわめくメンバーたちの心情など気にも気もくれず牧瀬は淡々と作業を始める。
「この風船膨らませちゃって。出来たら6Fの適当なところに置いといて上がっていいから」
店長はそう言って自分の作業に戻ろうとする。が、足を止め付け加えて話しかける。
「ああ、ここで膨らませてからだと運ぶの面倒だから上行ってしたほうがいいかもね」
牧瀬は早く作業を終わらせたかった。特別この後の予定も理由もない。時間を切り売りして時給を稼ぐより自分の時間を有意義に使いたいだけである。そのため返事をすると上階へ向かう。
「階段を登る。駈けるほど軽やかではいけない。普通に、さりげなく、無意識的に、まるで朝起きて麦茶を飲むくらいに。たまに冷蔵庫に足の小指をぶつけるくらいに。そう、たった今、階段を踏み外したように」
「ひゃあ!」
5階半にいた皆沢の叫び声である。明日の公演を楽しみにしすぎて前日にこのライブ会場へ来ていた。この前の生誕公演の興奮が冷めやらぬ状態も起因している。それは間違いないと証明するようにフロアの一角に生けられた花束は幕を閉じてからも綺麗に咲いている。まだ枯れていないか確認しようとフロアを覗くように見る。そこに牧瀬が視界に入る。叫び声を心配して見に来たのだ。向かい合うと沈黙が数秒続いたが皆沢の一言が場を変える。
「お、おつかれさまです」
牧瀬は膨らませていた風船の口を手で塞いでから下ろし
「おつかれさまです」
と挨拶をする。牧瀬は皆沢の顔を知っていたが皆沢はそうではない。生き生きとした花束を見たときはうれしさと安心を感じた。「センターの皆沢のおかげです」と筆文字で書かれたメッセージカードもそのまま残っている。それから特に用事は無いからよそよそしく6Fを歩き回り、タイミングを見計らってその場を去っていく。
「お邪魔しました」
牧瀬のことを「誰だろう?」と思いながら帰宅する皆沢。思い出したのは眠りに着く少し前。
「ああ、カフェの人だ」
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