ことこと。怖い話
墨
火の用心
子供はなんでも信じてしまいます。クリスマスにはサンタクロースがソリに乗って空を飛んでいますし、押入れの奥には魔法の国に通じる穴があります。
私も子供だった頃は、布団から足を出して寝たらお化けに引っ張られるだとか、ジュースを飲んだら骨が溶けるとか、親に
その可愛らしい
私が住んでいた孟都市の左京区にある学区内では、毎晩九時頃になると、火の用心の夜回りがありました。
『火の用心、マッチ一本、火事の元』
という掛け声と共に、
くぐもった男の人の声と、夜空に響く拍子木の音が聞こえると、私のお父さんは決まって言うのです。
「火の用心が聞こえたら、眠らないといけないよ。のっぺらぼうが、
私はそれを信じて布団に
ある時、小学校でサンタクロースの話になりました。
活発で、やんちゃな子だった
サンタクロースを信じていた、可愛い
「いるもん。プレゼントくれたもん」
「ぷくく、あれは父さんか母さんなんだよ。今時ガキしか信じねえって」
「わたし、てがみ送ったんだから!」
私はサンタクロースを信じていませんでしたから、聡太の意見に賛成なのですが、聡太が調子に乗ってしまうのが嫌で、何も言いませんでした。
けれども、聡太があまりに明里ちゃんをいじめるので、いよいよ泣き出してしまうのではないかと心配になった時、近くの席で難しそうな本を読んでいた
「僕、起きて確認したことがあるよ。あれはお父さんだった」
「お、おう。そうだよな、やっぱしサンタクロースなんていないよな!」
思わぬところからの追い風に聡太は驚いていましたが、すぐに調子づいて明里ちゃんに詰め寄ります。
佐々木くんはクラスの中で一番賢いのですから、明里ちゃんにとってショックだったのでしょう、大きな目をうるうるとさせて、涙は長い下まつげでギリギリ抑えているような状態でした。
佐々木くんは微笑みます。
「お父さんはサンタクロースから頼まれたのかもしれないね。昔はサンタクロースもみんなのプレゼントを配ってただろうけど、今はおじいちゃんだから」
「え……?」
「サンタクロースはいないかもしれないし、いるかもしれない。僕らが大人になるまでわからないんだよ」
「うん、わからないんだねっ」
佐々木くんの言葉に明里ちゃんは涙を引っ込めて笑いました。話の中心を奪われた聡太は
「じゃ、じゃあ、あれは知ってるか?」
聡太は二人の間に割り込んで、手を
「丑三つ時に歩き回る、幽霊の話」
「幽霊なんているわけないじゃん」
私は反論しますが、聡太は意に介しません。
「それが本当にいるんだよ。この街を夜な夜な歩き回ってるらしいんだ」
今度は手をぎゅっと縮めて、ひそひそ声で喋り始めます。サンタクロースを信じないと
「おれの兄ちゃんの友達に聞いた話なんだけど……」
聡太が低い声を出すものですから、明里ちゃんは子猫のように身を
「
「丑三つ時なのに塾帰りなの?」
「ええっと、あれ、丑三つ時っていつのことだっけ」
佐々木くんが読んでいた本をぱたりと閉じて答えます。大人びた印象のある佐々木くんも、幽霊話が好きなのかもしれません。
「夜の二時くらいのことだね」
「そうなの? ……もしかしたら丑三つ時じゃなかったのかも。とにかく」
突っ込むと聡太は焦っていましたが、私は続きを聞くことにしました。聡太のでまかせの幽霊話を詰めるのは、後でたっぷりしてあげようと思っていました。
ですが、続きを聞いて私はうろたえました。
「その学生服の男は目がなかったんだ。いや、目だけじゃない。鼻も口もない。のっぺらぼうだったんだ!」
「きゃっ!」
明里ちゃんが怖がってしゃがみ込んでしまいましたが、私はそれどころではありません。
父にいつも聞かされる、火の用心の話が頭の中をめぐっていました。どきどきと鳴る心臓を抑え、違って欲しいと願いながら私は尋ねます。
「ねえ、それって、火の用心の夜回りの人だった?」
「え、うーん。まあ、そう言ってたかも」
「り、理子ちゃんも信じてるの? この話ってホントなの?」
明里ちゃんが私の手をぎゅっと握ってきました。
私は半分くらい、火の用心ののっぺらぼうを信じていたのですが、嘘って言って欲しそうな明里ちゃんの怯えた目と、話が
「兄ちゃんの友達は本当だって言ってたんだって。嘘じゃねえよ」
「幽霊なんているわけないって。ねえ、佐々木くん」
佐々木くんは微笑みます。
「さあ、いるかもしれないし、いないかもしれない。サンタクロースと一緒だね」
否定されなかったことに聡太は喜び、自信満々に私を指差しました。
「わかった、そののっぺらぼうを見に行こう! 幽霊がいるかどうか、実際に見てやろうぜ!」
「いいじゃない。幽霊なんていない。火の用心の人は、のっぺらぼうなんかじゃないわ!」
「えっ、えっ!? 会いに行っちゃうの!?」
「もちろん、明里も一緒にくるよな。来なかったら、お前ん家にのっぺらぼうが……」
「きゃ〜〜!」
私たちが盛り上がっているのを、佐々木くんは苦笑いしながら見ていました。
「夜だから、危ないことはしちゃダメだよ?」
その日の晩、聡太の家に泊まりに行くことになりました。
聡太の家はお兄さんが居て、夜抜け出すことの協力を得られたからです。親が確認しにきても、聡太のお兄さんがごまかしてくれるので、私たちは安心して幽霊に会いに行くことができました。
聡太の部屋で、パジャマから普段着に着替え終えると、聡太のお兄さんが三人分の靴を持って部屋に入ってきました。
「いいか、君たちはこれから、難解なミッションを遂行せねばならない。窓から外に出て、誰とも合わずに、その火の用心の夜回りの人とコンタクトをとるのだ」
「「イエス、サー!」」
「い、いえす、さあ?」
私と聡太は夜に家を抜け出すことに興奮を覚えていました。明里ちゃんは巻き込まれただけなので、
子供だけで外に出るのは危険なのですが、振り返ってみれば、お兄さんが色々と手を回してくれていたようでした。
「さて、夜の街は危険だ。それ故に、君たちに特別なアイテムを授けよう」
お兄さんは防犯ブザーを渡してくれました。
「危険があれば、引くといい。それでは
「イエス、サー!」
「聡太、馬鹿なことしてないでさっさと行くわよ」
「理子もノリノリだったじゃねえか」
「なんのことかしら。ほら、しゅっぱーつ!」
私が拳をあげると、明里ちゃんもぎゅっと目を瞑り、怖いのを我慢して応えてくれました。
「いえす、さぁ!」
夏夜のぬるい風が肌にまとわりつき、気持ちの悪い
聡太が一番前で、私は後ろから聡太のシャツを掴み、明里ちゃんと手を繋いで、三角形の形で歩いていました。
先ほどの元気は夜空へ吹き飛んでしまいまして、カメの歩幅でゆっくりと進みます。
正直にいうのなら、私は恐れていました。
聡太に乗せられてここまできたけれど、すぐにでも引き返したい気持ちでいっぱいでした。寝静まった街のどんな小さな物音でも、恐怖のせいで
しかし、私以上に怯えている明里ちゃんの前では、帰りたいなどとても言えませんでした。
きっと聡太も同じ気持ちだったに違いません。聡太の持つ懐中電灯の光が、小刻みに震えていました。先頭に立ってくれている聡太のために、私はそれを注意しないであげました。
見知った道を歩いているはずなのに、夜は別世界でした。暗がりは、恐怖をかきたてます。私の知らない何かが、そこにあるような気がしてしまうのです。
「ねえ、だれかいる……」
明里ちゃんがぽつりと言いました。
下を向いて、私の左手をぎゅっと胸に包み込んで、身を小さくしていました。何かから見つからないように。
「どこ?」
「うしろ」
私は掴んでいた聡太のシャツを二回ひきました。
「わかってる。さん、に、いちで振り返るぞ」
聡太の声は震えていましたが、とてもカッコ悪いとは思いませんでした。
「さん、に、いち」
懐中電灯の丸い光が暗闇をさまよいました。何もいない。そう安心しかけたところで、電柱の影に、
「逃げろ!」
私たちは全速力で走ります。聡太が私をひっぱり、私が明里ちゃんをひっぱって、夜の街を
ですが、電柱にいた人影も私たちを追いかけてきます。後ろから来る足音が、どんどん近くなっていくの感じていました。
追いつかれる。そう私が確信したときに、私の左手を掴んでいた明里ちゃんの手がぱっと離れていきました。
明里ちゃんの後ろには、大きな黒い影がありました。街灯がないせいで、明里ちゃんもその影に飲み込まれているように見えました。
影が明里ちゃんを捕まえようとした瞬間、夜空を
「にげなきゃ!」
明里ちゃんが強い子であるということを、そのとき初めて知りました。いつもの、泣いているあかりちゃんではありません。
黒い影は「行くな」と叫びながら、止まらない防犯ブザーをなんとか止めようと、四苦八苦していました。私たちはその
着いた先は、公園でした。私たちがいつも遊ぶ公園とは別の、集まるには少し遠いところにある公園です。
そこまで走ってきたことに驚きましたが、夜の公園がこれほど恐ろしいことに比べれば、ちっぽけなことでした。
いつの間にか夜風も冷たくなり、公園を抜ける風が私たちの
私たちはベンチに明里ちゃんを真ん中にして座りました。この人の気のない公園から早く出ていきたかったのですが、家に帰るためには、頑張ってくれた足を休ませてあげなければなりません。
汗で張り付く服を
「どうしたの、明里ちゃん」
「聞こえる」
「さっきの?」
「ううん、火の用心」
私は思わず息を止めました。そうすると自分の音も木々の揺れる音もすぅと消え、遠くから火の用心が聞こえてきました。
『火のよぉじん マッチ一本 火事の元』
カンカン。拍子木の音が響きます。
「おい、理子。理子!」
はっと、顔をあげると聡太が私の肩に手を置いて喋りかけていました。
「息、息しろ。ゆっくり」
「理子ちゃん、大丈夫?」
呼吸をしていないままなことに気がついた私は、咳き込みながら夜の空気を吸い込み、体にいっぱい貯めてから吐き出します。久しぶりの酸素に血管が喜んでいるのがわかりました。
「だ、大丈夫。でも……」
「ああ。いよいよだ」
私たちは公園と道路の間にある茂みに隠れました。火の用心は
聡太のいう通り、その人物は学生服を着ていました。黒い学生服が暗闇に溶けて、その手に持った拍子木と顔だけが浮いているように
そしてその顔は、目と口と鼻がありませんでした。顔中に
全身から力が抜け、地面にどっと腰をおろしてしまいました。そうです、のっぺらぼうの正体は包帯を巻いた人だったのです。
包帯のせいで顔がないと勘違いされただけなのでしょう。
「はは、なんだよ。そんな簡単なことだったのかよ」
聡太は口から言葉が漏れたことに気がつき、慌てて口を
『おや、こんな夜更けに、どうして子供がいるんだい?』
背筋が勝手に伸びてしまうような声でした。私は
「あの、俺たち、のっぺらぼうがいるって聞いて。夜回りの人がそうだって。だから、ええと、その包帯の下ってどうなんですか?」
聡太は吹っ切れてしまっており、
『そうかい。この包帯の中を見たいのかね』
男が、包帯をゆっくりと剥がしていくのを、私たちは食い入るように見つめていました。
りんごの皮のように包帯が取れていくと、その下には真っ赤な肉がありました。
目も口も鼻もない。全ては火傷でただれており、真っ赤に焼けているか、白く
胃の中がむかむかして晩ご飯が口から這い出ようとしましたが、きゅっと締まった喉は、何も通しません。視界の端で明里ちゃんが、
『これはね、十年ほど前に、私の不注意で火事になってしまった時にできた火傷だ』
喋るたびに、肉がゴムみたいに動きます。
『私はとても悔しかった。たった一つの不注意で、人生が取り返しのつかないことになってしまうのだから』
その肉が、元は人の顔だったなんてとても考えられませんでした。
男が顔を歪ませると、頬のあたりであろうところから、ぽろりと白い物が落ちてきました。それは、奥歯でした。
『私のような人間がこれ以上でないために、私はこうして、火の用心と呼びかけているのだよ。さあ、取り返しのつかないことが起きる前に、帰りたまえ』
男はそういうと包帯を器用に巻き付け、拍子木を持ち直して歩いて行きました。
『火のよぉじん マッチ一本 火事のもと』
カンカンと、拍子木が響きました。
私たちは、ゆっくりと帰りました。吐いてしまった明里ちゃんを、私と聡太で交代で背負い、遠くなる拍子木の音を聞きながら、夜の街を歩きました。
聡太の家では、聡太のお兄ちゃんが心配してくれましたが、明里ちゃんに水を飲ませ、三人でお風呂に入って、布団にくるまりました。
二人の寝息が聞こえても、私は眠れませんでした。頭まですっぽりと布団に潜り込んでいましたが、暑いとは思いませんでした。
布団の中で震えていると、いつの間にか私も夢の世界へ吸い込まれて行きました。
次の月曜日、日曜日を挟んで会った二人は元気そうでした。
聡太は佐々木くんに、奇妙で恐ろしい体験を話して聞かせました。少し大袈裟に、怖くて手が震えていたことなどはそっくり隠して、面白おかしく話します。
「火の用心の夜回りしてんのは、のっぺらぼうだったけど、幽霊じゃなかったんだ!」
「へえ、興味深いね」
「じゅくじゅくになったトマトみたいな顔して、目も口も鼻もないけど、俺たちに言ったんだ。俺の顔は火事でこんなになったから、俺と同じ人間を出さないように、夜回りしてるってな」
佐々木くんが微笑みます。
「口がないのに、喋ってたんだ」
「えっ、いや、そうか。どうやって喋ってたんだろ」
私は嫌に響く、背筋が伸びるような声を思い出しました。腕を組んで悩んでいる聡太に、明里ちゃんがいいます。
「私、お父さんに十年前の事件について聞いたんだけれど、確かにあったって。学生が火事を起こした事件」
聡太は面白いように食いついてきますが、すぐに顔を真っ青にしてしまいました。
「火事を起こした学生は、死んじゃったんだって」
明里ちゃんの手のひらには、あの男が落とした歯が握られていました。
久しぶりに会ったお父さんに聞くと、そんなのは嘘だと言って笑いました。「まだ信じているのか。可愛いなあ。理子が早く寝るようについた嘘だよ」と。
ですが、私はあの話が本当だったことを知っています。
子供につく可愛らしい嘘の中には、本当のものが混じっているかもしれません。
たとえ言った本人が嘘だと信じていても。
ことこと。怖い話 墨 @husimi
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