第9話 素顔   ルートヴィヒの覆面の下には、高雅で凛然とした際立った美貌が。

「どうするのが、一番いいか」




 その師のつぶやきを聞き、ゴーマは内心でうう、とうめいて緊迫感を高める。


 ほかの二人はどうしてる?


 ふとほかの弟子も気になって、ゴーマは彼らに目を向けた。


 どうやら自分同様、緊迫しているようだ。隣にいるジマも、自分たちとは離れた場所にいるルートヴィヒも。ゴーマの目には、そう映った。


 とはいえ、その緊迫感の度合いも、弟子たちのあいだで個人差があるだろう。なかでも、緊迫の度合いが一番すくないのは、この俺だろうな。




 ふっとゴーマは嗤う。




 なにせこの俺は、師の親友の息子。その立場から、弟子たちのなかでもっとも師に可愛がられている。それも、まるでじつの息子のように。それほど師からは大事にされているんだ。俺が師から暴力を受けることはめったにない。緊迫の度合いがもっともすくないのも、そりゃ当然だわな。肩をすくめる。


 もっともその俺にしたって、たまにゃ師に痛めつけられる。今回にしたって大丈夫だという保証もねえ。


 安心しきっていたら俺に師の手が伸びてくるってこともあるから、油断は禁物だがよ。




 唇の片端を歪めると、隣に視線をにわかに送る。




 次いで緊迫の度合いがすくないのは誰かといえば、そいつはジマだろうな。


 ジマはべつに俺のように、師にとりわけて可愛いがられちゃいねえ。が、べつだん師の憎しみを買ってもいねえ。そういう立場にあるせいで、師から暴力を受けることは俺に比べればよくある方だ。


 それでも、その機会が多すぎるというわけでもねえ。ルートヴィヒに比べれば、はるかにその機会はすくねえと云える。


 そのことを思えばジマの緊迫の度合いは俺よりもうえだろうが、ルートヴィヒほどじゃねえだろう。


 俺たち弟子のなかでとくに緊迫しているのは、ルートヴィヒってところか。




 ルートヴィヒは弟子たちのなかで、もっとも師に憎まれて嫌われている。よくその暴力の餌食になりがちだしな。




 ならば今回も、師のいらだちがぶつけられる可能性が弟子たちのなかで著しく高いのはルートヴィヒかもな? そのことは奴も充分に心得ているんだろう。緊迫しているらしいのは、その様子を見ればすぐにわかる。


 まだ覆面をつけっぱなしでその顔は見れないが、それでも奴の躰から発散される雰囲気で察するにな。




 ゴーマは微笑する。




 しかしだからといって、必ずしもあいつ以外の弟子が師からの理不尽な暴力にさらされないとも云えねえ。ふたを開けてみりゃ、結局師の暴力の餌食に俺らがなっているってこともある。そうなることは、こっちとしちゃ願い下げだぜ。もし餌食になったらと思うと、ぞっとするもんな。




 ふふ、そう考えると、やっぱ俺も師の出方が怖くて緊迫するぜ。俺が一番安全だろうとは知っちゃいるからよ。ほかの弟子と比べてその緊迫の度合いが異なるってのもわかってるが、それなりによ。




「怖いよな。もし師が、俺たちに当たり散らしたらと思うと」




 広間の片隅で、ゴーマがジマにそうささやいた。




 師がいらだっているときに余計な話をして耳に入れば、耳障りだということで怒りを買うかもしれねえ。それによって師の狙いがこちらに定まりかねない。


 そうなることは避けたくて、声をかなりちいさくしたんだ。師の耳に入らぬよう気を遣ってな。聞こえてなきゃいいが。




 ゴーマは怯えた目を師に向ける。


 そのあとには死刑執行人の覆面が少々煩わしくなったことで顔からめくり取った。覆面をつけている必要性も、今日のところはもうない。




 ゴーマの顔があらわになる。


 その顔の造りはやや整っていた。肌は格別に美しいわけではないが、普通に白い。髪は耳を半分隠すくらいのやや長めであり、その瞳と同じく焦げ茶色をしていた。             




「ああ、まったくだ」




 そばにいるジマも小声で話す意味を理解し、ぼそぼそ声で返答した。


 それから彼もゴーマの行動に合わせて黒い覆面をとった。ジマの容貌は端正とは云い難かった。とはいえ特徴的で、狒々を思わせる顔をしていた。肌はやや浅黒く、瞳と同色の黒髪は短く刈りこまれていた。


 この二人の弟子は仲が良かった。ゴーマは二十歳。ジマは十九歳。ほぼ同年代の二人は話だけでなく気も合い、血のつながりがなくともじつの兄弟のようだった。


 ゴーマはジマをよく可愛がっていた。ジマもゴーマを兄のように慕っていた。仲がいいだけに、彼らはよく二人でつるんでいる。何事につけても協力しあっている。師の理不尽な暴力への対処についても、それは同じだった。




「もし俺が師にやられたら、仲裁に入ってくれよ」




 ゴーマに両手を合わせて、ジマはそう頼んだ。




 なにせ、ゴーマは師に大切にされていて受けもいい。師の暴力にさらされているときにゴーマがとりなして、俺が助かることだってなくもない。


 俺の身を守るためにゃ、師の受けがいいゴーマのとりなしがやっぱあった方がいいもんな。


 止めに入るというその出しゃばった行動が逆に師の逆鱗に触れ、ゴーマもやられて俺も結局は助からないという場合もありはするが、それでもな。




「わかってる。逆に俺がやられたら、おまえも頼むぜ」




 ゴーマがジマにそう返答した。一瞬、ジマは自嘲する。




 ゴーマが師の暴力を受けているときに、俺が助けに入ったところでさして力にはなれないんだけどな。


 俺はゴーマほど、師に好かれているわけじゃない。止めに入った場合、おおかたは出過ぎたことをしたせいで師の怒りを買って逆にゴーマともども俺までやられてしまうことの方が多いしな。




 でもほかならぬゴーマの頼みだ。拒む気はねえ。頼まれたら、大抵のことはいつも聞き入れているしよ。自分が頼んでおきながらこっちは断るっていう筋の通らねえ真似を、こいつに対してする気もねえしな。




 ああ、とジマは返答した。すかさずゴーマは微笑をみせる。




 ジマのとりなしなど、無駄かもしれないなんてことは承知している。二人のどちらがとりなしても、それが結局は無駄に終わる展開だってままあるってこともな。


 けどどちらかがとりなせば、そいつが効いてよ。。師に痛めつけられている、俺たちのうちのもう一方を助けられる可能性はあるんだ。ジマのとりなしにしてもそんなに師に通じやしないが、稀に効いて俺が助けられることもある。その可能性がある以上、ジマのとりなしはあった方が有難い。




「俺たちゃ、仲間だ。互いに助けあわなきゃな。困ったことがあれば」




 ゴーマのささやきに、ジマはそうだなとうなずく。




「でも俺らは、まだしも安全じゃねえかな? ルートヴィヒに比べたら。いまからもし、師が弟子に当たり散らすにしてもよ。その相手に選ばれるのは、奴だろ」




 ジマがぼそっとささやくと、ゴーマが軽く肩をすくめる。




「どうかな? まだわからねえぜ。俺たちが師に痛めつけられるって目も、充分あるしよ」




「けど、あいつは俺らよりはるかに高いよな。師に虐げられる割合は。きっと師にやられるのは、今回もあいつなんじゃねえか?」




「まあ多分、俺もそうだと思うけどよ」




「そうであってほしいや。俺らが師にいためつけられたら、たまったものじゃねえもん」




「そりゃそうだ。俺たちがいたぶられるくらいなら、たしかに向いて欲しいけどよ。あいつに師の矛先が。俺たちとしては、あいつがいたぶられるなら越したことはねえしな」




「あいつがどうなろうが、俺らの知ったことじゃないもんな」




 ジマとゴーマは、くすくす嗤う。




「あいつは勝手に、師にやられりゃいいのさ。助けてやる気も俺たちにゃねえしよ」




「いっそ師に虐げられて、とっとと殺されちゃえばいいのにな」




 そうつぶやくと、ジマはルートヴィヒをにらんだ。


 ルートヴィヒは師のみならず、ほかの弟子二人にも嫌われていた。


 ルートヴィヒの方でも二人を嫌っていることから、彼とほかの弟子二人は敵対していた。互いに憎悪しあう関係だった。




「本当にな」




 ゴーマはうなずくと、低く嗤ってルートヴィヒを冷ややかに見つめた。




 この二人のぼそぼそ声による会話は、ルートヴィヒにも聞こえていた。敵意に満ちた目を二人が向けてきているのも知っていたが、気にも止めなかった。


 連中が俺への敵愾心に満ちているのはいつものことだ。好き勝手ほざいていろ。


 それよりもむしろいま気にかかるのは、師の動向だ。いまから、どうするつもりなのだろう? 結局のところやはり俺を痛めつけて、という選択をするのだろうか?




 ルートヴィヒはちらりと師の顔を見る。




 その表情は、いかにも剣呑だった。ごくり、と息も呑む。これまで、師に痛めつけられたことは数えきれない。けれど慣れるものでもない。自分が師の餌食になったらと思うと、やはり恐ろしい。




「なかなか考えがまとまらんな」




 師はため息交じりにつぶやく。


 きっと、俺の嗜虐性の疼きがすこし微妙なせいだろう。


 座椅子に深々ともたれかかると、師は天井を見上げた。


 自身で内面を見つめなおしてその疼きのほどを推し量ってみるに、どうやらそれは存外激しくなさそうだ。かなり疼いている、というのは間違いない。


 しかしとりあえず拷問をまったくしなかったというわけではないし、囚人をそれなりに痛めつけることもできた。おかげで、ほんのすこしくらいの充足は得られたようだ。


 そのせいで自らを苛む疼きが昂る一方という次第にはなってはいない。


 疼きは昂っているが、一定の段階でとどまり、その水準以上には上がろうとしていない。




 この状態は経験上、疼きのほどがことのほかひどすぎるというわけではない。


 すくなくとも、賊として外に出て獲物となる誰かを見つけてどうしても殺さねば気が済まないというほどの疼きではない。


 かといって嗜虐性が満足するには、まだまだほど遠い状況にある。


 不満と鬱憤が溜まっていることもあって、かなりの疼きがあるのもたしかなのだ。


 ここまで疼いているからには、俺のこの強すぎる嗜虐性は誰かを痛めつけてやらねばけっして満足するまい。いま俺を苛むこの疼きもいらだちも、けっして鎮まらないことだろう。




 だったらここはいっそ、弟子をいたぶっていらだちを収めることにしようか。




 いまは賊として暗躍するほどではないが、疼きはとれないという状況だ。それならその程度のことをすれば、おそらく充分に俺の裡に溜まっている不満や鬱憤も晴れるだろう。


 そうなれば、俺の嗜虐性も満足するはず。いま俺を苛む、その疼き。そいつは、俺の裡に溜まった鬱憤が引き起こしているという状況だ。鬱憤を晴らせば自然とその疼きは鎮まり、いらだちもおさまるだろう。


 おそらくそれが現状に於いて、この疼きといらだちを鎮めるのにもっともてっとりばやい方法なのだろう。




 師の唇の片端が歪む。




 事は決まった。なら、その相手に誰を選ぶ? ルートヴィヒを痛めつけてやろうか? いつものように。師はルートヴィヒに目線を送る。


 やはり弟子をいたぶろうとするなら、ルートヴィヒを嫌っていることもあってその考えが第一に俺の念頭に浮かぶ。しかし今日のところは、それだけでおさまりがつきそうにない。人を殺すほどではないが、いまの俺の嗜虐性の疼きはそれなりに強いしな。


 もうすこし疼きといらだちの勢いが弱ければ、ルートヴィヒをいたぶるだけで充分だったかもしれない。だがいまは、生贄が弟子一人では到底足りそうにない。




 それにほかの弟子二人はおそらくこちらに気を遣って小声で話していたのだろうが、その会話も耳に入っちまった。


 ルートヴィヒだけをいたぶるとなれば、あの二人の弟子の思惑通りに動くということにもなる。そうすることは、こちらの考えをあの弟子二人に見透かされているようで癪に障る。ルートヴィヒ一人のみを、いたぶるのは避けたい。


 ではルートヴィヒ一人だけではなく、いっそほかの弟子たちもいたぶってやろうか。




 師はふっと嗤う。




 弟子すべてをそこそこ痛めつければ、きっと気も晴れる。それでおそらく嗜虐性も満足し、いらだちも静まるだろう。こちらとしては、弟子二人の思惑通りに動く気もないしな。


 案としては悪くない。第一、弟子どもの剣の訓練をそろそろ再開せねばならん。そのことにも留意しなくてはな。




 賊として暗躍するためには、剣術や体術も必要とされる。どこかに忍び込んだり、狙った相手の抵抗を受けたとしても始末するためにもその躰を鍛える必要がどうしてもある。


 くわえて、死刑執行人は世間で嫌悪されている。手にかけようとしてくる輩も多い。


 そのような狼藉者から身を守るためにも、剣術や体術を鍛えるのは有効だ。


 だから俺自身が腕を磨くのも当然だが、弟子たちにもしばしば稽古をつけて剣や体術の鍛錬をしてもいる。だたし、このところ弟子の鍛錬は怠っていたが。


 二週間ほどまえにも嗜虐性が若干疼いて、弟子たちを稽古で痛めつけすぎてしまったのがまずかった。


 それで連中の躰が治癒するまでは鍛錬で弟子どもをしごくことを、こちらもしばらく自粛していたってわけだが。




 ともあれこの二週間のあいだつい怒りに任せて弟子連中を三人とも殴ってしまったりしたこともあったが、基本的には連中の躰の癒しに専念した。連中の躰を休ませるために、鍛錬をするもしないも個人の自由にさせた。


 その甲斐あってか見たところ、いまや弟子どもは躰に不自由なさそうだ。もう稽古を連中につけてやることを、こちらが自粛する必要もないだろう。




 結論を得たことで、にやっと師は嗤う。




「よし、決まった。全員、訓練場へ来い。いまからおまえたちに、久しぶりに剣の稽古をつけてやろう。みっちりしごいてやる」




 おおきく嗤い声を発すると、師は椅子から立ち上がった。弟子のあいだを通り抜け、師は広間の隣にある訓練場へ向かう。




 ゴーマとジマの二人は、顔を見合わせていた。ゴーマはため息をつく。




 てっきり、ルートヴィヒが痛めつけられると思っていたのに。自分たちは安全だと高をくくっていたのに。よもやしばらく休みになっていた剣の稽古が再開されることになろうとは、完全にこちらの当てははずれてしまった。


 師から稽古を受けるときは、大抵は弟子たち全員がただでは済まない。躰を訓練のさなかに、大なり小なり痛めつけられてしまう。


 つい二週間まえにもかなりひどい目にあって、ようやく躰も癒えたばかりなのにまた痛めつけられるのか。ジマもうんざりした顔をしている。ああ、嫌だ。師との剣の訓練などしたくないぜ。彼らはがっくりと肩を落とした。




 ルートヴィヒも同じだった。稽古となると、結局は自分も痛めつけられることになってしまう。


 ふう、と彼は嘆息を漏らした。二週間前の傷は完治したが、また痛手を負わされるかと思うと訓練をさせられるのは気が重い。


 師に反対も唱えられない。俺だけではなく、ほかの二人の弟子にしてもだ。もし、しようものなら師の怒りを買う。普通に訓練でしごかれる以上に、よりひどく痛めつけられてしまうだけだろう。 


 長年そばにいるだけに、師の考え方はよくわかっていた。ルートヴィヒも。ジマとゴーマも。




 しようがねえ、行くか。ああ。ゴーマとジマはそう話す。


 事は師によって決められたのだ。これ以上、ここにいても無駄なだけだ。苦い顔をすると、ゴーマはジマとともに訓練場へ入る師のあとを追った。




 ルートヴィヒはといえば、自身の黒い覆面に手を伸ばしていた。


 とりあえず、今日のところはこの覆面にもう用はない。まして師にこれから痛めつけられると思うと、恐怖で緊張する度合いもより増してくる。そのあまりに喉が渇いてひりひりする。


 水を飲んで喉の渇きを癒したい。それには口をふさぐこの覆面が邪魔だ。


 彼は覆面を取って、その素顔をのぞかせる。




 覆面をとるときに長い黒髪が艶やかな光を煌めかせながら、さらさらと細やかに流れ落ちる。やがてあらわれたのは、際立った美貌だった。まだ十六歳であるので幼さは残るが、ルートヴィヒは高雅で凛然とした美貌の持ち主だった。




「みっちりしごく、か。さぞや地獄が見れるんだろうね。訓練でいたぶられて」




 微笑んで、ルートヴィヒは覆面を広間の小卓のうえに置いた。そのまま手を伸ばし、今度は小卓のうえに置かれていた水差しをつかんで杯に水を注ぐ。


 とくとくと涼やかな音があたりに響く。


 水差しを戻すと、ルートヴィヒは杯を手にしてそのなかの水を喉に流し込んだ。


 一気に飲み切ってしまうと軽く吐息をつき、ふたたび杯を卓上に戻す。


 とりあえず、喉の渇きはこれで取れた。渇きが去ってしまうと、すこしばかりだが恐怖も拭い去れて活力が注がれたような気もする。


 じゃあ、いくか。


 ルートヴィヒは艶やかな長い黒髪を手で額から後方へ梳ると、美しい眉をきゅっと寄せる。彼は覚悟を決めて、自らの足を訓練場へと運んだ。 




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