市岡奇譚

大塚

市岡奇譚

箱から出てきた

 リモコンを探していたんです。


 同棲していた恋人……もう元恋人ですけど、とにかくそいつと喧嘩して。その辺にあったものを片っ端投げつけられて、そいつは財布とスマホだけ引っ掴んで出て行って。どうせすぐ帰ってくると思ってたら「地元にいる。もう会わない」ってLINEが来て、着信拒否されたのか何をしても無反応で……二週間ぐらい経って、あ、これはもう駄目だって思って、そいつの荷物を片付け始めたんです。もともと俺がひとりで住んでるとこにそいつが転がり込んできたみたいな感じだから、そいつの私物はそんなに多くなかったんですよ。で、服とか色々片付けてたら、テレビのリモコンがないことに気付いたんです。こんな時勢だから毎日ニュースとか見たいじゃないですか。まあ二週間忘れてたんですけど、気が付いちゃったらもう絶対気になっちゃって、部屋中探して。でその色々投げられた時にそいつが前になんか注文して開けてなかった段ボールの陰に落ちてたから拾って、ついでに開けたんですね、段ボール。そしたらそこにいたんです、こいつが。


 初めて開けたのかな……良く覚えてないです、ガムテープ剥がした記憶がないからもう開封されてたのかも。そしたらあいつが入れたのかな? その、元恋人が……名前言った方がいいです? あ、いらないです?


 最初は気持ち悪いなって思ったんですよ。だって生き物だとしたら段ボールに入れて放置しとくとかおかしいじゃないですか。植物としても異常でしょ、暗くて狭い場所で育てなきゃ駄目とかならまだしも。だけど開けちゃったから、また戻して閉めるわけにもいかなくて、あいつに返すにしても地元の住所とか分かんないし。仕方ないから箱の蓋を開けたまま置いといたんです。そうしたらその……動くんですね。ぬるっていうかぬめっていうか。そんで俺の後ろをくっついてくる。なんじゃこりゃって思ったけど、なんか、そのー、笑わないでくださいよ。寂しかったんです俺。恋人と別れて。あってめえ笑ったな。おまえには分かんないよ、生まれた時からその顔面のやつにはさ。笑うなよ。

 ぬるって動くけどそんな液体っぽい感じはしなくて、はじめは黒い靄みたいな……こうやって言うと生き物じゃないですよね。でも最初見たとき生き物だと思ったんだよなぁ。とにかく家の中では俺にべったりで、夜寝るときは足元で丸くなってて、吠えたり噛んだりしないし、バイト行って帰ってくると玄関まで迎えに来てくれるし、可愛く見えてきちゃったんですよ。可愛いでしょ実際。可愛いんです。


 で……箱を開けて二ヶ月ぐらいしたら、飯を作ってくれるようになったんです。すごいでしょ? 俺が作るところ見てたからかな。そんな手の込んだものじゃないんだけど、卵焼きとか、魚焼いてくれたりとか、あ、食材は俺が買ってきてます。もちろん自分で調理するつもりでしたよ。でも、やってくれるから、嬉しくなっちゃって。今日は何作ってくれるかなみたいな、バイト中も考えたりして。玄関に入った瞬間炊き込みご飯の匂いがした時は嬉しかったなぁ。

 黒い靄なんです。それは間違いないんです。でも毎日一緒にいて、飯食ってテレビ見てバイト先で起きた面白いこと話したりして、えー、風呂に一緒に入るようになって……それで……隠しても仕方ないか。ヤりました。半年ぐらい経ったかな、こいつが来て。え? ああはい、喋らないです。でも分かるでしょ、なんとなくフィーリングで。合意ですよ。当たり前でしょ。

 もう寂しくはなかったです。合コンとかも断るようになりました。毎日家にいるのが楽しくて。でも来月からは大学行かなきゃいけないんですよね。リモートで授業受けてはいたんですけど、通学か〜って思うと憂鬱で……バイトに加えてこいつと離れる時間が増えちゃいますからね。その分回数は多くなりました。いちゃいちゃできるうちにしときたいっていうか。


 それで……こないだ久しぶりにサークルのやつに会ったんです。テニスやってます。おまえ知ってるだろ、ふたつ下の……あ、名前言わなくていいですか? とにかく、その友達、俺浪人してるから俺の方が年上なんですけど、友達が言うんですよ。すごい痩せたって。顔も真っ青だしどうしたんだって。元彼と別れたのがそんなショックだったのかって言うんですけど、そんなの変でしょ、俺全然大丈夫なのに。何もおかしくない。それにほら……家に帰るとこいつがいて、なんでもしてくれて、抱き合ったりとかも、へへ、まあ幸せなんですよ俺。今。ほんとに幸せなのに、なんで……なんかおかしくないか? ってその時初めて思って。半年俺、おかしかったのか? って。


--


 一息に喋った。友達の友達である市岡ヒサシはアイスコーヒーを飲み終えて煙草を吸っている。その隣に座るヒサシの兄で、悪いものを祓う能力がある(らしい)市岡稟市りんいちは、俺が喋り始めてから一度も口を開かない。なんなら挨拶の時点で目すら合わなかった。煙幕みたいになってる煙草の煙の向こうでずっとまぶたを伏せている。感じが悪い。

「ちなみになんだけど」

 ヒサシが口を開く。俺の様子を案じた友達が地元のツレだという市岡兄弟を紹介してくれたのだ。なんでもその辺りでは有名な、お祓いを得意とする神社の息子なのだとか。

「その子に何か名前とかつけてる?」

「つけてますよ、」

 名を呼ぼうとした俺を、稟市が低く制する。呼ぶな、と。さっきからずっとこうだ。元彼の名前も友達の名前も呼ばせてもらえない。なんなんだ。

 不満げな気配に気付いたのだろうか、稟市がようやく顔を上げる。視線が合う。

「悪いものではないと思います」

 稟市が短く言った。まるで気持ちが入っていない台詞だった。絶対悪いものだと思ってる。こいつだってそう感じてる。失礼だ。

「ですが……あまり入れ込みすぎない方がいいと思いますよ、何事も」

 不意に、彼らが焚いている煙の理由に気付いた。俺のこいつに聞かれないようにしてるんだ。実際、喫茶店の窓の外で広がったこいつは俺たちの会話がきちんと聞き取れなくてやきもきしている。かわいそうに。俺のことが好きなんだよな。追い払われたくないんだ。

「聞いてくれてどうも。帰ります」

「あ、ちょっと」

 冷めたコーヒーを飲み干して席を立つ俺をヒサシが呼び止める。煙の中に立つ俺の姿が見えたのだろう。店の外でさざ波が起きる。窓ガラスが揺れる。

 帰ろう。俺たちの秘密をこんな連中に打ち明けるんじゃなかった。

「気休めですがお守りです。あと、何か困ったことがあったら連絡ください」

 ヒサシが茶封筒と名刺を差し出してくるので、仕方なく受け取った。弁護士事務所の名刺だった。

「この世のものじゃないものと触れ合うのは悪いことではないですが、名前を呼び合って飯まで食うのは少し危険です。いずれ元の場所に返すことも検討してくださいね」

 元の場所ってなんだろう。こいつは俺の部屋にあった段ボールから出てきたのに。

 ヒサシの言葉に適当に頷いて店を出た。八月の熱気が俺の体を包むが、それらを瞬時にこいつは追い払う。黒い靄に包まれる。ひんやりとして気持ちが良い。

 窓ガラス越しに市岡兄弟の姿を見ようとしたが、煙に包まれていて良く分からなかった。まあいい。茶封筒と名刺は駅のゴミ箱に捨てた。俺は平気だし、幸せだ。帰ったら一緒にチャーハンを作ろう。

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