第八話 タクトパイン、ちょうだい?
しゃくしゃくと隣で音がする。鞄の一つくらい持ってくればいいのに、今日は財布と自転車だけで学校に来ているヒメは、ハンドルを片手で握ってサドルに座らず自転車を転がしている。私がいるから、と聞いたら、コレがあるからと嬉しそうに言われた。なるほど、コレが無ければ私は走っていたのか、とヒメのもう片方の手を見る。
「んー、おいしい」
その手には、アイスの棒よりは少し細めの木の棒に刺さった長いカットパインが握られていた。滴る果汁が地面に落ちて、地面にできた染みが後輪に抜かされる。
「……食べる?」
「え?ああ、いや。ただ、よく知ってるな、って。あんな場所にある駄菓子屋」
カットパインをじっと見ていたら、そんな風に聞かれてしまった。
食べたそうにしていただろうか。
ヒメは学校を出ると、寄り道と言って私が知らない所にあった駄菓子屋へと連れて行ってくれた。私は特に何も買わず、ヒメはこの果実だ。よく知ってたな、ヒメ。
やっぱり私も買っとけばよかったかな。
「ほら、やっぱり食べたそう」
「あっ、今のは」
私の顔をじっと覗きこむヒメがにやつく。分かりやすい私は、どーぞと差し出されたカットパインをついばむように頂いた。
「どう?おいしい?」
「……甘い」
「そっかそっか、甘かったか」
本当は舌の裏側が縮まるような酸味も感じたけれど、自然と口をついて出たのは甘いという感想だった。
それを聞いて満足したのか、ヒメは残り少なくなってきたカットパインを一口で頬張った。
「んむむぬー、へうふほ」
「食べてから喋ってよ」
「ちょっと歯に沁みたの」
「ああ、そう……」
ヒメは食べ終わった後の裸の棒を指揮者みたいに振っている。何拍子だ、というくらいローテンポで、見えない演奏者たちはひいこら言ってそうだ。
「寄り道って、あの駄菓子屋の事?」
聞くと、指揮棒を下げてヒメは首を振った。
「ううん。あそこはただの寄り道」
「寄り道じゃん」
「あー」
そのままあーあーと呻いていたヒメは、うまく言葉が見つかったのか私に指揮棒をぴっ、と向けてきた。パインの残骸を見て、口の中に甘さがよみがえる。
「寄り道の前の、寄り道」
時間をかけて考えた割には適当な答えにくすりと吹き出す。
「あはは。まあ、要するにまだあるって事ね」
「そうそう」
そういう事ー、とご機嫌に鼻歌を添えて、自転車のベルがリンリンと往復した。
全く自由だな、って笑ってから、はっとする。
そっと口元に触れる。懐かしい感覚だ。緩んだ頬が指先に掠った。
――ねぇねぇ、ヒメ!次はあそこ行こ!
――ふふ。もう。分かったからそんなに引っ張んないで。
脳裏ではしゃぐ二人の少女。
それがあべこべに、今の私たちに重なった。
私を引っ張っていくヒメに、私はちょっと困って、ちょっと嬉しい。
ヒメと昔みたいに話す事へ覚える恐怖や不安よりも、ヒメへの想いが勝っている。
きっと、そういう事なのだろう。私は分かりやすいから。
「あっ、着いたよ」
「着いたって……ここ、ビーチでしょ。今は海の家もやってないけど」
ヒメが連れてきたのは、誰もいない海開き前のビーチだった。開いても大手ビーチ程観光客は来ないが、海の家は地元の中高生御用達でそこそこの数が来る。私は行った事がないが。もしかしたら、
「よく知ってるね」
「…………何度も来たことあるから」
「………………ふうん?」
このビーチに遊びに来た事がある、という事だろうか。なんだか暗い声質に、相槌半ば疑問符半ばみたいな返事になってしまった。
私の知っているヒメは、一人でこういう所には来るような子ではない。
一人ではなかったか、あるいはヒメが変わったか。
「さ、行こう」
「あ、うん…」
自転車をその辺に停めて砂浜へと続く道を歩き出したヒメの背中を追う。
いずれにしたって、今の私には分からないのだ。
カラン、と音を立ててビーチに備え付けてある空っぽのごみ箱に指揮棒が捨てられた。オフシーズンなのにいいのかな、とも思ったが、ここまで来てしまったら気にしても無駄だろう。今はオフシーズンとはいえ、海開きするのは指折り数えるくらい先だし。
「ねぇヒメ」
「んー?」
一人砂利だらけの階段を軽快に降り、潮風にスカートを揺らして進むヒメの背中に私は呟いた。昔なら、私が呼びかけると直ぐに立ち止まってくれたのに、今はその足は波打ち際へ向かうばかりだ。
私も歩きながら、すぐには言葉を続けられなくて、熱のこもった茶色交じりのでこぼこな砂浜にローファーで踏み入れた。
ずっと気になっていた。
ヒメは、どうしてあんな事を――。
『私は、空の向こうから来ました。あの空の向こうから……
――言ったのだろう、と。
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