第四話 紫兎の友だち
どうしよう、と思った。
私の天使は、忌むべき運命を連れてきたはじめのきっかけでもあった。
けっして、ヒメが悪いわけではない。
ヒメは、何も悪くない。
悪いと言えば、「普通」ではなかった妻毬白音だ。
ヒメから――
私はきっと、まだヒメへの気持ちは変わっていない。
あのさらさらした長い髪が好きだった。
まだ快活だった頃の私の無茶に笑いながら付き合ってくれる。
あの暖かい手のひらが好きだった。
私が握ると嬉しそうにする横顔。
あの日々が何にも代えがたいくらい好きだった。
けれど、その記憶は私を苦しめ続ける。
無慈悲な運命の砕牙が私の身体に食い込む。それからずっと、好きにならなければ良かったと、好きにならなければこんな事にはならなかったと思うようになった。
私にとっての普通は、私の身を縛る鎖だ。それがあるから私には幸せから一本抜いた程度の辛さしかなくて、それが無いから私には一本が遠い。
もしかしたら、あの子は――ヒメは、私にその一本をもたらしてくれるかもしれないと、そう思った。けれど、私はどうしようもなく怖くなった。
――私は、徹頭徹尾「普通」にはなれない。
ヒメと話せば、その言葉を、私はもう仮面で覆い隠せなくなるんじゃないかって。
そしたらきっと、私にはもう決して平穏な幸せなど訪れない。
だから私は、その日一日、ヒメを避けた。
避けたつもりが――。
あんな風に、私のために来た、みたいに言っていたヒメの方が、なんだか私を避けているみたいで。
放課後を告げるベルが鳴るまで、私とヒメは、一言も交わす事はなかった。
「ほーい、じゃあ気をつけて帰れよ。また明日」
先生はいつもの挨拶を済ませると、転校してきたばかりのヒメを連れて教室を出ていった。
「なんか、蛍風さん転校初日で色々書類書かなきゃなんだって。先生と職員室行ったよ」
机に鞄を置いたまま棒立ちだった私に後ろから例の友達が話しかけてくる。彼女とはこのクラスで一番仲がいい。
「そうなんだ」
「もー。そんなに気になるなら話しに行けばいいのに。というか、あんたのために来たんでしょ、あの子」
「えっ」
彼女は私を半目で見つめると、仕方ないなぁという風にため息をついた。
……そんなに顔に出やすいタイプなのか、私は。
「顔見なくても分かるよ、あんたの仕草見てるとね」
「あれ、声に出てた?」
「顔に出てた」
「見てるじゃん」
「今は見てたけどさ」
これでは顔に出やすいタイプなのか身体に出やすいタイプなのか分からない。
いずれにせよ、分かりやすい人間なのか。それが「普通」なら少し嬉しかった。
「いいの?」
何が、とは聞かれなくても分かった。
蛍風さんと話さなくていいの、だろう。
「……うん。小学校の時仲良かったんだけど、ちょっと気まずい別れ方しちゃって」
「ふーん。ま、あんたがいいなら私も何も言わないけどさ」
気まずいままで後悔しないようにね、と彼女はリュックを背負った。紫色で、うさ耳が付いているリュックだ。前に白じゃなくていいのかと聞いたら、汚れるじゃんと返された。紫よりは可愛い気がしたけど、これはこれで可愛いリュックだった。
「言ってる」
「これはオマケみたいなもんよ」
じゃね、と手を振る彼女に手を振り返して、私も鞄を掴んだ。
私のは、普通のスクールバッグ。キーホルダーの兎がいるのは、彼女から貰ったからだ。これは白かった。きっと、彼女は兎が好きなんだろう。
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