初美と夕立

いちはじめ

初美と夕立

 初美は教室の窓にもたれて、秋の気配を纏った雲をぼんやりと見ていた。そしてこの夏の不思議な出来事を思いだしていた。話しても誰も信じないだろう、夕立のように突然現れ、そしてそれが止むように突然いなくなった彼のことを。初美は思う、また来年お供えを失敬したら、彼に会えるかしらかと。


 ――あちゃ~、また降られた。

 初美は、古びた小さなお社の軒下に慌てて自転車を滑り込ませると、自転車に乗ったままタオルで頭をくしゃくしゃと拭いた。

 夏休みの部活の帰り道、このところ立て続けに夕立に振られている。そして大方はこのお社で雨宿りする羽目になっていたのだ。

 ――祟られている?

 初美には思い当たる節があった。

 夏休みの初日、このお社にお供えしてあったキュウリを一本くすねていたのだった。朝摘みのキュウリが余りにもおいしそうだったので、つい出来心で失敬したのであった。

 今更だけど神様に謝っておくかと、自転車を降りて振り向いた途端、初美は小さな悲鳴を上げた。後ろにずぶ濡れの少年がいたからだ。

「心臓が止まるかと思ったじゃない。」

「ごめんなさい、驚かすつもりはなかったんだ。雨宿りしようと思ってお社の中にいたら……」と学生帽に学生服の少年は小さくなって言い訳をした。

 見れば全身がずぶ濡れだ。私と同じ境遇なら、まあ仕方ないかと気を落ち着けると、その少年に話しかけた。

「知らない顔だけど、近くに住んでるの?」

「うん、沢の方に越してきたばかり」

「道理で知らない制服だと思った。うちの学校に来るなら覚悟しておいて、このださ~いジャージが制服だから」

 少年は、ため息ともつかぬ「はあ」という気のない返事をした。

「それにしても良く夕立に降られるのよ。今週三度目。きっと祟られているのね」

 初美は自嘲気味にお供え物の顛末を少年に話した。

 少年は学生帽のてっぺんを撫でながら、少し笑みを浮かべて言った。

「まあ祟られても仕方ないとは思うけど、そうではないと思うよ」

「なんで分かるのよ」

 少年に馬鹿にされたと思った初美の声が少し大きくなった。

「いえ、すみません、なんとなくそう思ったので。あっ、小降りになったんで、僕これで失礼します。さよなら」と少年は慌てて外に飛び出していった。

 まだ止んでないわよと、初美は呼び止めたが、少年の姿はあっという間に雨の中に消えた。

 ――変な子。

 キツネにつままれたような気分の初美であった。

 それからというもの、夕立に振られる度に不思議と彼も現れ、そして二人は夕立が止むまで話し込んだ。

 少年は太郎と名乗った。話はもっぱら彼が聞き役で、初美が一方的に話すことが多かったが、お社に祀られる神様について話す彼はとても雄弁だった。

 彼によると、ここの神様はもう何百年も前に、よその川から移動してきた河童で、姿を消して人に悪戯もするが、日照りの時には雨を降らせ、洪水の時には被害を小さくする、人間には有益な神様だという。

「でもお供物のキュウリを一本いただいたくらいで、意地悪して私に夕立を降らせるんだから、器が小さい神様よね」

「でも、そのつもりならもっとすごいこともできるはずだから、単なる悪戯好きな神様じゃないかな」と彼は苦笑した。

 そりゃそうだと初美も思ったが、口には出さなかった。

「それにしても、なんであんたも同じ目に合ってるの?」

「えっ、さぁ、それは分からないよ。……君と一緒に……」

「一緒に何?」

「いやなんでもない。ところで……」

 彼は慌てて違う話題に話を振った。折しも雲の合間から伸びてきた夕日に、彼の顔が少し赤く染まったようだった。

 この日を境に、初美は夕立に振られることはなくなったが、彼も現れなくなった。

 夏休みも終わり掛けたある日のこと、いつものように部活の帰り道、夕日に染まったお社で彼は初美を待っていた。彼の姿を認めた瞬間、思いもよらず初美の胸はどきりと高鳴った。

「久しぶり。どうしてたの」

 初美は自分でも、声のトーンが少し高くなっていることに気付いて、頬が熱くなるのを感じた。

 しかし彼の表情は厳しいものであった。

「これから言うことを忘れないでほしい。この週末に大雨が降り洪水が起こる。だから決して外には出ないで。僕は多くの雨を降らせ過ぎた。そのせいで、上流の溜池が溢れそうになっている。次に大雨が降れば大変なことになる」

 彼はそれだけ言うと、訳が分からずおどおどしている初美を残し、お社を出ていった。

 果たしてその週末、台風崩れの低気圧の影響で大雨が続いたことにより、河川が大幅に増水し、ついに洪水警報が発せられた。初美は彼の言っていたことが本当だったことを知った。そして彼の言葉を思い出し、不安に苛まれ外に飛び出していった。

 川は既に、警戒水位まであと僅かのところまで増水していた。気が付くとお社まで来ていた初美は、一心に彼の無事を祈っていた。

 すると突然後ろから彼の声がした。

「外に出てはだめだと言っただろう」

「あなたは上流の地域に住んでいるんでしょう。だから心配で……」

 初美は涙を止めることができなかった。

「なぜこのことを知っていたの? それに僕が降らせ過ぎたってどういうこと?」

「それは……。単なる偶然さ。何とかなる、心配しないで。僕は、器は小さいけれど嘘はつかないからね」

 彼は笑って初美の涙をぬぐった。

「だから急いで家に戻って」

 そう言うとであった日と同じように雨の中を走り去っていった。

 その日上流の堤防に落雷があり、そこから決壊した。しかしそのおかげで氾濫した水の流れが変わり、洪水の影響は下流の民家や田畑までは及ばず、さしたる被害は出なかった。

 ただ不思議なことに、決壊現場には黒焦げの学生帽と小さな白い皿が残っていたという。

(了)

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初美と夕立 いちはじめ @sub707inblue

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