喜びに落ちる一粒の嘘

 梅雨明けはしていないけれど、珍しく晴れた。しかも、休日に。

 久々に窓を開け放って、深呼吸。湿った空気は、やっぱり潮の香りがした。

「そら、今日はバイトだっけ?」

「いや、休みだよ。希望は出してたけど、人手が多すぎて切られちゃった」

 そっか、なんて言葉を返しながら窓を閉め、ダイニングキッチンに向かい、食パンを取り出す。今日は天気が良くて気分がいいから、ちょっと凝ったものでも作ろう。

「わたしは朝ご飯、フレンチトーストにするけど、そらも食べる?」

「食べる! なにか手伝おうか?」

 フレンチトーストは作り慣れているから、一人で作れる。でも、なんとなくそらの気遣いを無下にはできなくて。

「んー……あ、じゃあ、食後のスープ、お願いしてもいい?」

「任せといて!」

 冷蔵庫の中身とさっそくにらめっこを始めるそら。そして、好きな歌を口ずさみながら、卵と牛乳、砂糖にバニラエッセンスをボウルに入れて、かき回すわたし。

「ほんとに月葉って歌うのが好きだよね。なんだか、小鳥みたい」

「そう? そらは静かに寄り添ってくれる感じがするから、なんだか月みたいだな」

「たしかにそうかも。ねえ、名前、交換しようよ」

「わたしもそうしたいけど、たぶん無理だよ?」

 そうだよね、とそらが言って、二人で思いっきり笑った。

 その時だった。

 さっき閉めたばかりの窓から、なにやら変な音がしたのは。

「……なんの音?」

 呟いたのは、わたしだったのか、そらだったのか。

 耳を澄ませていると、もう一度聞こえた。ごん、という鈍い音が。

「ちょっと見てくる」

 食パンを切っていた包丁を置き、リビングへ。そこで目にしたのは、古ぼけ色褪せた、水色のリボン。そして、窓に何度も突進してくる小鳥――。

「――メロディ!」

 慌ててガラス戸を開ければ、勢いよく飼い鳥が部屋の中に入ってくる。再び外に出ないうちに窓を閉め、メロディを目で追った。

 勢いよく狭い室内を飛び回ったメロディは、そのうちダイニングキッチンへと向かい、そして、そらの肩にちょこんと止まった。

「メロディ……おかえりなさい。よかった、無事に帰ってきて……」

 料理中にもかかわらずその手を止めて、そらはメロディのことをそっと撫でる。メロディはされるがままになっていて、とても気持ちよさそうだ。わたしが撫でても嫌がるだけなのに。

「心配だったんだよ、外に出したら帰ってこないんじゃないかって……。ねえ、外の世界は楽しかった?」

 そらの問いかけに、甲高いさえずりが答える。

 けれど、わたしは。

「――まさか」

 そらの言葉に、動揺が隠せない。

「……ね、ねえ、そら」

 声が、震えている。

「どうしたの?」

 嬉しそうな笑みを浮かべたまま、問うそら。

 ひとつ、深呼吸して、言葉をなんとか、投げかける。

「……もしかして、メロディは、逃げてなかったの?」

 そらの表情が、固まった。

「どう、して」

「だって今、『外に出したら』って、言ったから」

 目を見開き、唇をかむそら。あまりにも分かりやすい反応だった。

「……ごめん、月葉。わたし……わざと、メロディを放したんだ」

 その声は、かすれて細く震えていた。


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