解けない呪いは三原則により

水無月龍那

第1話

・我々は彼らを傷つけてはならない

・彼らの命令には従わなくてはならない

・上記に反しない限り、自分たちの身を守らなくてはならない


 これが、俺がこの世界に来て一番最初に教わったことだった。


 □ ■ □


「残念ですが……これはどうにも……」

「なりませんか」

 医療院の奥。俺の左腕を診た医師は神妙な顔で頷いた。


 新しい遺跡の奥で負った傷。手首から肘にかけての青黒いアザに似たそれは、日が経っても治るどころかじわじわと広がっていた。

 何かおかしいと思って診せに来たところ、これは呪いだと言われた。


「症状を遅らせることはできると思いますが……今の所は、どうすることも」

 緑の髪から覗く尖った長い耳がわずかに下がる。困っている証拠だ。

 俺はそうですか、と同じように静かに頷いて医療院を後にした。


 □ ■ □


「コーノ、どうだった?」

 医療院を出たところで、友人のリチアが俺を見つけて駆け寄ってきた。


 見上げた紺色の髪にはまだ寝癖が残っている。尖った耳を飾るリングが揺れて、昼過ぎの光を弾く。

「リチア。まだ寝癖残ってるよ」

「えっ。……いや。そんなのどうでもいいよ。怪我、どうだった?」

 背の高い彼は薄桃色の目で俺の腕を視線で示した。

「んー……ダメだって」

 症状は遅らせることができるらしいんだけど、と医師の言葉を伝える。

「あー……そっか。やっぱダメか……」

 後半はよく聞こえなかった。

 その声は残念そうだったけど、ショックを受けた様子はなかった。ただ、視線を落として何かを考えているような、そんな感じがした。

「ところで俺の怪我、……いや、呪いか。なんか思うところあったの?」

「ああ……いや。コーノは僕らとちょっと違うからさ。そんな気が、ちょっとしてたっていうか」

「そっか」


 彼はこの結果を予測していたようだった。

 なのに彼は、少し困っているように見えた。


 どんな呪いかは分かっている。医師も説明をしてくれた。

 ざっくり言えば金属に触れられない呪いだ。

 何もしていない時は痛みも何もない。ただ、アザのある手で金属に触れると、熱が広がるような痛みがある。触った金属も劣化するらしい。

 そして厄介なのは、触れる度にアザが少し広がるということ。

 もし金属に囲まれた生活をしていたら、まともに生活できないだろうけど。


「まあ。あんまり困らないよ。金属に直接触れることって少ないし。手袋すれば問題ない」

「そう、だね」

 彼の言葉は歯切れが悪い。

「なんでリチアがそんなにしょんぼりしてるの。確かにちょっと不便だけどさ」 

「不便ってだけならいいけど……」

「何をそんなに気にしてるのさ。こんなにファンタジーの世界だもん、気を付ければ大丈夫じゃないかな」


 そう。この世界は実にファンタジーだ。

 俺からすれば「異世界」というやつだ。

 この世界に来た理由は覚えてないけど、多分事故だったと思う。

 記憶はちょっとおぼろげだし、目を覚ましたらもうこの世界だったからよくわからない。


 この世界で、かれこれ1年くらい過ごしている。

 リチアによると、森の外れにある神殿で見つけて、3年ほど寝ていたらしい。


 世界観もファンタジーの名にふさわしい。

 レンガ造りの家が並ぶ街。

 街中を走る水路にはきれいな水。

 色んな人が行き交う街道は石畳で、自然も豊かだ。


 技術レベルはよくわからない。

 町は石造りに見えるけれど、どう動いてるのか分からない物もある。少し離れると大きな板のような石でできた建物や用途不明の鉄柱が朽ち果てていたりして、そこに残っている物を活用しているらしい。

 昔は大きな石を使って建物を作っていたらしく、こう言う遺跡は世界各地にあるよ、とリチアが教えてくれた。


 科学というものはなく、魔法が発達している。

 世界のあらゆる事象は理論として整理され、人々はそれを自在に操る。移動手段や日常生活の大部分を支えているが、もちろん俺は使えない。


 で。そんな世界で俺は何をしているかと言うと。

 特に何もしていない。


 世界が危機に瀕しているわけでもない。

 王政ではあるようだけど、魔物が悪さをするとかもない。

 街や街道で危険な目に遭うという話も聞いたことがなく、平和そのものだ。


 なので、俺は普通に街で仕事をしつつのんびり暮らしている。

 時々外れの森や遺跡に行って、使えそうなものを拾って売ったりしている。

 その一環で新しい遺跡を見つけ、うっかり深入りしたのが今回の結果だ。


「それにしてもさ」

 俺は左腕を持ち上げる。手のひらまで隠れる袖の中には消えないアザが刻まれている。痛みはないから実感はあまりない。

「これ、そんなに難しい呪いなの?」


 リチアは魔導研究を生業にしている。

 呪いは得意分野じゃないと思うけど、ある程度は知ってるんじゃないかと思って聞いてみた。

 こういう物に興味があるリチアなら話に乗ってくれる――と思ったんだけれど。


「……いや」

 彼は視線を落として口籠った。表情が明らかに曇っている。

「?」

「珍しくはあるけど……コーノには、難しい。かな」

 歯切れが悪い。何か言いにくいことがあるのだろう。

「うん? 普通なら難しくはないけど、俺にはできない……?」

「そう。医療院の医師ができないっていうなら、そういうことに、なる」

 リチアの薄桃色の目が、頷いた拍子に紺色の髪で隠れた。

「どう言うこと? 俺の体に何かある?」

「まあ、そんな感じ。詳しく話していいかは……ちょっと分からないんだよね」

「いいよ。話してよ」

「でも……」

 判断を仰がないと、と彼は言う。

「いや、俺自身のことでしょ? 中途半端に聞いて、放っておく方が落ち着かない」

「……知って、後悔しない?」

「何かもわからないのに後悔も何も」

 少しだけ間を置いて、リチアは頭をわしわしと掻きながら大きく息をついた。

「分かった。それじゃあ、僕の家で話そう」


 □ ■ □


 家に着くと、彼はお茶を淹れてくれた。

 透明で軽いカップに琥珀色の液体が湯気を上げる。

 薄切りにしたレモンを沈めて、俺の前に置かれる。いい匂いがした。

 形や色に多少の違いはあるものの、馴染んだものが存在するのはありがたい。

 リチアはスポンジケーキを切り分けながら、話を始める。


「いいかい、コーノ。君は、ここの人じゃない」

「うん」

 それはこの世界に来た時にリチアから聞いている。

「いわゆる――そう、”人間”だ」

「そうだね。リチアは“エルフ”だよね」

「うん。コーノが過ごした世界の名称に準じるとそれが一番近い」

 リチアは頷きながら、切り分けたケーキにクリームを乗せ、皿を俺に差し出す。


 皿に添えられた指は細くて長い。

 リチアは平均的だというけれど、背は俺より高い。

 尖った耳に日焼け知らずの白い肌。

 俺と同じ年に見えるけど、もう50年は生きてると言っていたから寿命も長い。

 そして魔法も日常的に使う。

 これがエルフじゃなくてなんだというの、と言った覚えがある。


「まあ、この世界でエルフじゃない人っていないんだけど。ところでコーノ。この世界には三つの約束があるって話は覚えてる?」

 突然の話に俺の首が傾いた。

「? うん。散々見かけるし、一番最初にリチアが教えてくれたことだよね」

 教会や病院、学校やお店。いろんなところで見かける三つの約束だ。

 リチアは「この世界で生きるなら守らなきゃいけないことだ」と教えてくれた。


 曰く。

・我々は彼らを傷つけてはならない

・彼らの命令には従わなくてはならない

・上記に反しない限り、自分たちの身を守らなくてはならない


 俺には、この「彼ら」が誰なのかよくわからなかった。

 この国を治める人のことかと思ったけど、そうでもないらしい。

 聞いても「そういう存在なんだ」と言葉を濁されたのをよく覚えている。


「それが何か関係がある?」

 首を傾げると、彼は「あるのさ」と頷いた。

「そう……あの時、僕が君に答えられなかった“彼ら”についての話からしなきゃいけない」

 リチアは少しだけ困ったように笑って、自分のケーキを切り分けはじめる。


「”彼ら”は僕らの創造主だ」

「創造主。神様、みたいな?」

「そうだね。そう呼んでもいいと思う。でも、”彼ら”は1人じゃないし、それぞれの名前も残ってない。だから僕らは”彼ら”をまとめて創造主と呼ぶ」

「ふうん」


 切り分けたケーキにクリームが乗る。俺のより少し少ない。

 俺も一口、口へ運ぶ。クリームの濃い味が口の中に広がる。


「その”彼ら”について詳しい文献はない。この国……この世界、でもいいんだけど、何度か終末を迎えているらしくて残ってないんだ」

 燃えたり朽ちたり、原因は色々だけどね。と彼は立ったままケーキに視線を落とす。

 外の遺跡は、終末を迎える前の文明の跡らしい。

「でも、僕らの中には、”彼ら”についての情報が残っている」

「うん。それで、”彼ら”って一体何?」

 あまりに話がのんびりしているから、先を急かす。

 リチアは少しだけ眉を寄せる。

「君にはちょっと、信じがたい話かもしれないけど」

 息を小さく飲み込んで、優しい視線をオレに向けて言った。


「”彼ら”は。僕らの創造主は――人間というんだ」


「……え?」

「人間。聞いたことあるだろう? 正式に言うならホモ・サピエンス・サピエンス。それが”彼ら”の正式な名前だ」

「人間……え、いや、いやいやいや。それは」

「そう、君もそうだよ。人間。”彼ら”と同じ存在だ」

「え、うん。そう。確かに俺は人間だけど。人間って。リチアもさ。そう……だよね?」

 俺の指摘にリチアは「僕はエルフでしょ?」と笑う。

 その視線は温かい。けれども、俺とは違う。壁を感じさせるような目だ。

「いや、そうだけど……そう、思ってるけど。そうじゃなくて……もっと広い意味のさ」

 どういうことなの、と問うと、彼は少し考えたようだった。

 んー、と天井を見上げて、手元のナイフに視線を落として。

「こうすれば分かってもらえるかな」


 言うが早いか、白い手首はナイフを振り上げ、もう一方の腕に突き立てた。

 がきん! と鈍い音がしたナイフはわずかに歪んでリチアの服を貫通している。

 

「な――」

「いいから見てて」


 慌てて椅子から立ち上がった俺を言葉だけで制して、ナイフを持つ指に力が入る。

 痛むのだろう。リチアの顔が歪む。

 ぐっと引くとぎちぎちと鈍い音を立てて、ナイフが動く。

 そして引き抜かれたナイフに絡み付いて滴るのは赤くて――透明な液体。


「ほら。これが――”僕ら”だ」

 リチアがナイフを置き、袖をめくり上げる。

 腕についた傷が、僕に向けられる。

「――」

 その傷から覗くのは、色とりどりのコードと、鈍く光る……金属。

 白い肌に流れる液体は、鉄というより油のようなにおいがする。紅茶の匂いに混ざって、部屋に広がる。


 それは、どう見ても人じゃなくて。

 生き物でもなくて。

 どう見ても。


 機械だった。


 □ ■ □


「リチアは……アンドロイドなの?」

 腕を拭くリチアに恐る恐る尋ねると、彼は俺の方を見て小さく笑った。

「そうだね。君らの呼び方に従うとそうなる」


 そうしてリチアは話してくれた。

 この世界にいるのは、自分と同じアンドロイドだということ。

 人間はとっくに滅んでしまったこと。

 俺が生きているのも見つかったのも、偶然が重なった結果だということ。

 俺が魔法だと思っていたものは、科学技術の粋を集めた物に過ぎないこと。


 そっくりにできてるでしょ。と腕の包帯をなぞりながらリチアは笑う。

 人間にしか見えなかったけど、そこにあったのは機械だ。

 人工皮膚で覆われてるから、別に触れても大丈夫だとは思うよ、と彼は言葉を足す。


「でもね、僕らはどうしようもなくロボットなんだ。人間が僕らに施したプロテクトは、僕らの基礎となって今も受け継がれてる。普段は言い回しを変えて簡略化してるけど、本来はこうだ」


 そう言って彼が誦じたのは、俺も知っている言葉。

 本で読んだことがある。


「――ロボット工学三原則」

「そう、君らにはその言葉が馴染み深いね。とある小説家が提唱し、取り入れられた、僕らが従うべき原則」

「――は」

 ばかな、と笑いが出た。

 ようやく話が飲み込めてきたけど、受け入れられる話ではなかった。


 いや、そんなSFを通り越したファンタジーみたいな世界で1年も過ごしてきたのに、全然気付かなかった。違和感すら抱いたことなかった。

 そんな自分にも、笑えてきた。 


「なんで、教えてくれなかった……?」

「君がここで生きていくのに、不要な情報だと判断したんだ」

「不要……」

 ぽつりとこぼした言葉に相槌を打ったのは、リチアのカップに注がれたお茶の音だった。

「そう。基本的に僕らは君を守る。君の心臓が動くのと同じくらい当たり前にプログラムされている。けど、君の生活にこの事実は不要だ」

 リチアは湯気のたつカップに口をつける。

「君が知らなくても、僕らは君を傷つけない。望みはできる限り叶える。それはさ、別に君が知らなくてもいいことだ」

「そうだけど」

「それに、これを話すとこの世界の真実を知ることになる。ここが君の知ってる世界と地続きで、もうとっくの昔に滅んでいたなんて……知りたくないだろう?」


 言われてみればそうだ。

 お前の住んでいた世界はもう滅んでしまっている、なんて目覚めた直後に言われてたら、しばらく塞ぎ込んでいた気がする。今もちょっと気分がいいとは言えない。


「そう考えると、俺はだいぶ前向きな勘違いをしていたね……?」

「うん。でも、僕はその勘違いがとても好きだよ。でも――今回の呪いは僕らにはどうしようもない」

 わずかに声のトーンが落ちて、話を元に戻した。

 いや、最初から彼はこの呪いと原則に従った話をしていたのだろう。

「コーノの呪いはさ。僕らなら。アンドロイドなら腕を取り替えるだけで済む。けれども君は人間だ。僕らは君に傷をつけることができない。健康のためにやむを得ずメスを入れることはあるだろうけど、腕を切り落とすなんてもっての他。医療院はそう言う解釈をしたんだ」

 三原則の内容を思い出す。人間の安全や命令に従うような内容だったはずだ。

「腕を落とす方がリスキーってことか……」

「うん。そういうことになる。君には不便を強いるものだけど……」

 きっとそれが最善なんだ。と、彼は困ったように笑った。

 

 医師は色んな可能性を考え、シミュレーションした結果の判断なのだろう。

 リチアもきっとそうで。それ故にどうしようもなくて。

 となれば、俺はそうかと頷くしかなかった。


 自分の左袖をめくる。

 模様のようなアザは、医療院で見せた時と変わらずそこにある。

 もう治らないのか、と少しだけ胸の奥が重くなる。 

 気をつければいいとはいえ、多少は不便なことにかわりない。


「……厄介」

「ま、僕も時間見つけて文献とかあたってみるからさ。何か方法が見つかったら試してみよう」

 ほら、お茶冷めちゃうから飲みなよ、とリチアはいつもと同じ柔らかい笑顔で言う。

 そうだね、と口をつけて飲んだお茶は。

 僕が良く知るレモンティーと同じ味をしていた。

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