僕と羽虫の一時間戦争

RPG

奴は突然現れる

 ――ぶうんという、羽音を聞いた。


 それが、僕と奴との開戦の合図となったのは言うまでもない。


 ここで言う”奴”とは、この夏の季節を腹立たしくも彩ってくれる、あのにっくきあん畜生こと羽虫だ。何がそんなに楽しいのか、奴は僕に目もくれずそこかしこを飛び回っていた。


 僕はすっかり手に馴染んだ相棒――ハエ叩きを携え、奴を視線から外すまいと常にその行動の軌跡を追いかける。


 奴が空中にいる間、こちらの攻撃は空を切るばかりで、一向に当たらない。そして、奴はそんな僕を嘲笑うかのように、悠々自適と部屋の中を飛び回っている。思わず腸が煮えくり返りそうだ。


 だが、焦ってはいけない。辛抱強く待っていれば、必ずチャンスはやってくる。絶え間なく続く奴との戦いの最中で、僕は自分自身のスキルが熟達していくのを肌で感じていた。


 空中戦では、奴に分がある。その鬱陶しい羽を引き千切ってやりたいと思ったことは空に遍く星の数ほどあるが、生物としての構造の違いを嘆いていても仕方がない。


 なら、僕が狙うべき瞬間は、奴が羽休めのために壁や天井に張り付くその一瞬である。


 いかに奴が素早かろうと、鞭のようにしなるハエ叩きの最高速には敵うまい。今まで何度も奴に止めを刺してきた相棒を手に、僕はその僅か一瞬のチャンスを今か今かと待ち侘びていた。


 ――来た! 


 僕の目の前で、ようやく奴は僕に隙を見せたのだ。


 まったく愚かにも程がある。僕のいる前で壁に張り付くなど、どうぞ叩き潰してくださいと言っているようなもの。もちろんその期待には応えてやらねば。


 しかしこの千載一遇のチャンス、早まってはならない。僕は大きく深呼吸を繰り返し、自身の集中力を最大限に高めていた。


 奴には幾度となく辛酸を舐めさせられ続けている。確実に、そして着実に奴をこの世から葬り去るため、僕は奴の動向を血眼になって観察していた。


 奴は今、完全に静止している。まるでこの部屋全てが自分のものかのような、そんな尊大な態度だった。そんな横暴を許してはならない。


 ――今だ! 


 僕は奴めがけて、全身全霊の力で相棒を振りぬいた。


 パァンという、破裂音のような小気味の良い音が部屋中に木霊する。正確に芯を捉えた僕の一撃は、確かな成果としてその跡を壁に残していた。


 勝ったのだ。約一時間に及ぶ激戦の末に、僕は遂に勝利を収めた。このまま勝利の味を味わうべく、冷蔵庫から秘蔵のお茶を取り出したところで。


 ――ぶうんという、羽音を聞いた。

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