第三幕 あの日、小さな手をしたきみへ。
1.写真
「ねぇザック、これなあに?」
絶えず雪の舞う冬の森。千エーカーほどの土地は城壁に囲われて、針葉樹以外に生物は存在していない。まるで何もかもを拒絶するかのような土地。片隅にとある小屋があり、そこは死体の一時預かり所になっていた。関係者は畏敬を込めてこう呼んでいた。『冬の森の死体安置所』と。
その一室で、少女――イルミナ・ロッキンジーが一葉の写真を手にとっていた。
問われた少年――ザック・ノーガーは一瞥するだけで肩をすくめた。彼の手には小振りなナイフと木材が握られている。ザック唯一の趣味である木工細工の途中なのだ。彼はひどく無口である。こうやって質問の答えが得られないなんてことは日常ではあるのだが、あからさまに無視されるのは業腹だった。それに、何よりも写真を見たときにあきらかに顔色が変わったのだ。半年程度と決して長くはない付き合いではあるが、イルミナは彼と毎日顔を付き合わせているのだ。気づかない訳がない。
とは言え、こういったときの彼はとても頑固である。このまま口を割るとは考えられない。
イルミナはもう一度写真を見た。
木々に囲まれた森の一角、妙齢の女性が腰ほどの身長である少年の肩に手を乗せて微笑んでいる。少年はやや緊張した面もちで写映機を見つめていた。この冬の森で撮ったものではないだろう。モノクロームではあるが、木々に雪が見あたらない。
それ以外にヒントらしきものはなかった。
だからイルミナは諦めて、日課でもある地下の巡回へと向かうことにした。写真はテーブルの上に置いたまま。
「なかったぁ?」
「うん、そうなの」
イルミナは樽の上に、おそるおそるカップを置いた。こんなガタガタとして安定しないものをテーブル代わりにするなんて、どうかしてる。対面に座る男はそんなことを頓着せず、太い指先で樽をこつこつと叩きつけるので、カップの中のコーヒーが波立った。
冬の森の入り口――兵士たちが詰めている一角へ、イルミナは王都への買い物帰りに立ち寄ったところだった。ここにいる兵士たちは皆、馴染みのようなものだ。気易い態度で彼女をここへ導き
――まぁ世間話でもとコーヒーを淹れてくれたので、何気ないつもりでした話にこの食いつきだった。
彼らはイルミナなんかより遥かに古参である。事情を知っているとは思えないが、物は試しと話してみたのだ。
「……何か心当たりでもあるの?」
まさかここまで大仰な反応があるとは思わず、おずおずと問うてみたイルミナだったが、男から返ってきたのは「おいおいロッキンジー、俺らが森の中を知るわけないだろう」と小ばかにしたような返答だけだった。
兵士――シャーガーは一事が万事この調子だった。要は適当な男なのだ。イルミナを見る黒い瞳はいたずらを楽しむ子供のようだった。イルミナと年齢が近いこともあり、数人いる兵士たちの誰よりもこうやって話をする機会も多い。
「シャーガーなんかに期待したあたしが馬鹿だったわ」
彼は大きく息を吐いたイルミナを見て楽しそうに笑っていたが、しばらくすると真顔に戻った。
「どうしたの? ガールフレンドとの約束でも忘れてた?」
「ちょっと気になることがあってな」
「気になること?」
「ほら、俺らって一応国家公務員なわけだよな。でもここに来るのは言ったら『訳あり』の人間だらけなんだよ。年長のササフラ爺いるだろう、あの人元々罪人だったとか聞いたぜ。他の奴らにしてもそうさ」
「何それ、初耳なんだけど!」
「そりゃあそうだろう、こんな僻地なんだぜ。来るのなんて、他人と関わりたくない変人か、さっき言ったように事情持ちか……」
「で、シャーガーはどれなの?」
「さてね」
似合っていない無精髭を撫でながら、シャーガーはしばし無言でいた。
部屋で揺れる蝋燭が彼の横顔に影を作る。思案しているシャーガーは知らない人間であるかのよう。
――罪人だったとか聞いたぜ。
イルミナの背筋に冷たいものが走った。今、目前の男が急に恐ろしくなったのだ。イルミナの視線に気づいたのか、シャーガーが彼女を見つめる。漆黒の瞳には感情がなかった。どれくらいそうしていただろう。
「ぷふっ」
いきなりシャーガーがいつものように噴き出した。そこでイルミナは気付いた。これは演技だ!
「シャーガー」
「いやぁ、悪い悪い。ほら俺作家志望だって言ったろ?」
「やっていいことと悪いことがあるでしょ、本当に信じかけたじゃない!」
「悪かったって、ロッキンジー。おっと、そろそろ交代の時間だ。ほら、お前も森に帰れよ」
「言われなくたって帰るわよ。ササフラさんに言いつけてやるんだから」
「やめてくれ、あの爺さん怖いのはほんとなんだよ」
「今度、何かおごってもらうからね」と言うイルミナを追い立てるように、シャーガーは持ち場へと向かってゆく。
彼女からは見えなかったが、その時の彼はイルミナが見たことのないほどの冷たい瞳をしていた。
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