第24話

「でも、今日は水穂くんがいてくれて助かったよね」


 市川さんが、会話を仕切り直すように言った。


「え?」

「瀬川くんをいさめてくれたでしょ。あのときは香澄ちゃんも ちょっと感情的になっちゃってたし、あたしも、本当はそこに入らなくちゃいけなかったんだけど、焦っちゃって何もできなかった。それに引き換え、水穂くんは落ち着いてた」


 それは違う。


「そんなことは無かったよ。焦ってたし、何もしてないし。あれは、瀬川くんが僕に対して怒れないだけなんだと思う。なんていうか、幼馴染ではあるけど、そんなに仲がいいわけでもないから……」


 あのときは、体中が不安で満ちて、動揺していた。だけど、しれが落ち着いていたように見えたらしい。


「そんな言い方しなくていいのに。今日、水穂くんがいて助かったのは事実なんだし」


 市川さんは笑った。


「そう、かな」

「そうだよ。すごいなって思った」

「でも、そんなんじゃなくて」

「あはは、その反応は水穂くんっぽい。ボウリングの点数もそうだけど、心配症っていうか、変わらない」

「そうだね」


 卑屈なだけだ。ぐうの音も出ない。


「でもその気持ち、分からなくないよ」


 呼吸を入れるように、市川さんは飲み物に手を伸ばした。似た者同士だと感じていたのはこちらだけではないのかなと思えた。


「そうそう、それで思い出したけど、映画の件、あたし知ってるよ」


 コップを置き、いたずらっぽく笑う市川さんの言葉に、何のことかすぐに思い当たる。


「誘ってくれた映画、その前に一人で観に行ってたでしょ」


 初めて、自分から誘ったときのことだ。映画を観に行こうとした。でもその映画に誘っていいものか悩み、内容を知るため、先に一人で観に行った。そのとき、映画館でクラスの生徒を見かけていた。見つからないように気をつけていたが、結局見られていて、市川さんに話がいったのだろう。


「楽しめるかどうかって考えてくれるの、嬉しかったけどね。でもそんなことしなくていいのに、とも思った。つまらなかったら、『つまらなかったね』って言い合えばいいんだから」


 もう笑うしかない。


「後さ、あたしが面白いって言ったドラマとか、見てないって言ったけどさ、本当は見てたのもあったでしょ? あたしが話をして、話に乗ってくれる水穂くんの言葉ってすごい的確っていうか、あたしの言いたいことを聞いてくれる感じだった。それを後から考えると、やっぱり知ってたんじゃないかなって思ったんだけど、当たり?」


 もう表情に変化をつけることができず、ただ笑っている。消えてしまいたい。


「もちろんね、そうやって色々考えてくれたんだって思うと嬉しいんだけどね。でも、なんていうか、そういうことを思い返すとね、そういうことなのかなって――。水穂くんは、疲れちゃったのかなって」


 市川さんの言葉は徐々に小さくなっていき、最後はかろうじて聞こえるくらいの、微かな声だった。


 しかし、すぐに照れ隠しのように笑顔を浮かべ、


「ごめんね、あ~本当に何言ってるんだろ。あたしばっかりしゃべっちゃって」

「大丈夫だよ」


 そう言うしかない。目の前の市川さんをかわいいとも感じたし、なんでこんなことを言わせているのだろうと、申し訳なくも思った。だけど、それを言葉にすることはできなかった。照れもあるし、情けなさもあるし、色んな感情が混じり合って、それをどう表せばいいのか、的確なものが分からない。


 それから結局、僕たちは自分たちの分の料理をまず食べ、ここにいない二人の分も手付かずで残すのも店に悪いかと思い、少しだけ箸をつけたのだが、やっぱり食べきれないなと、お互いに顔を見合わせて残すことにした。どちらも小食だった。


 それから、代金をどうしようということになったのだが、少し話して、瀬川くんの分は僕、朝井さんの分は市川さんが払うことで落ち着いた。


 その後、電車に乗って帰路に就く。あまり会話はなかった。駅で市川さんと別れる。


「じゃあ」

「うん。じゃあね」


 かわした言葉はそれだけだった。

 学校ではクラスが違うし、この先、もう一度顔を合わせることがあるかは、分からない。

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