第2話 ごめんな
「ユイの部屋にはなぁーんにもなかった。椅子も食器もユイの分しかなくて。考えられる?」
「ひとり暮らしだから、普通だろ」
「それでも誰か来たとき用に、コップぐらいはあるはずでしょう。お金持ちなんだから、好きなものたくさん買って、遊んで、あっという間に自堕落な生活になりそうなのに、ぬいぐるみのひとつもないの。ガランとした部屋が寂しすぎて、ゾッとした」
「そんな大袈裟な」
「自分のことを「いらない子」とか言って、昔のあたしみたいだったよ。お母さんに好かれたくても、なぜか冷たくてさ。大好きなのに嫌われて、愛されてないんだーって」
「香奈恵、母さんは……」
「わかってる。トモ兄ぃのことがあったから、複雑なんでしょう。ユイもそれに似てるのかな。女の子のひとり暮らしだから、安心安全な住まいに守られて、愛情がないわけでもなさそうなのよ。でもそれに気づいてない。ちょっと腹が立って、カナ兄ぃのこともあったから……嫉妬した」
「僕のこと?」
嫌な予感がした。
「あたし、話したよ。カナ兄ぃのこと」
「絶対に言うなって、あれほど……」
「カナ兄ぃが助かる道を手放そうとするから、全部、話した。骨髄移植をしなかったら、悪い道を選ぶなら、ユイは悲しむよ。四月に会う約束をしたんでしょう?」
僕は頭を抱えた。
命が助かっても、その先は?
心身が疲れ切った体に、再発の懸念。病は一生つきまとう。
きっと仕事もうまくいかない。教師は体力のいる仕事だから、また教壇に立てるとは限らない。不安だらけの未来だ。
こんな大人がユイを幸せにできるはずがない。やっぱりあのとき、「学校を辞めたら……、私は生徒じゃない」の言葉に、「そうだよ」と答えるべきだった。
「……帰れ」
「カナ兄ぃ」
「顔も見たくない。明日から荷物は看護師さんに預けてくれ」
ごろんと横になって、ふとんをかぶった。
「カナ兄ぃは間違ってる。トモ兄ぃと同じ、移植しない道を選んで贖罪のつもり? 誰も喜ばないよ。かっこうばかりつけて……。弱くてもいいじゃない。病気なんだよ。みっともなくなんかない。ボロボロになっても生きてほしい。一緒にいたいって思うのは、わがままなの?」
「綺麗ごとばかり言うなッ」
背中を向けているから、香奈恵の表情はわからない。だが、「あ、そう」と恐ろしく冷たい声がする。
「さっき外で消毒してきたから、スマホ、使うね」
「出ていけ」
「……あちゃ、ものすごい着信歴」
「香奈恵、聞いてるのか?」
苛立つ声と共に起きあがると、スマホを突き出してきた。
ユイからの着信歴で埋め尽くされている。
「あー、もしもし。今、あたし、とっても忙しいから」
『ふざけるなッ! 返せッ。泥棒ーッ!!』
なつかしいユイの声が耳に飛び込んできた。しかも威勢のいい怒鳴り声。
香奈恵がなにか悪さをした。瞬時に理解できたから「おい」と呼びかけると。
「うるさいッ! ここは病院なの静かにしてッ」
僕とユイを叱りつけてきた。
それから戦闘モードの香奈恵とユイの激しいバトルがはじまる。よくわからないけどノートがどうこう、聞こえてくる。
「返してほしかったら、取りに来て。詳しいことはメールするから、荷物をまとめておきなさい!」
フンッと鼻息をあらくして、スマホの電源を切った。そして激しい怒りを残した目で、僕を見下ろす。
「というわけで、しばらくユイを家で預かることにした」
「は?」
「だって、ひとり暮らしなのに自炊もできないのよ。一通りの家事ぐらいは仕込んであげないと。あれじゃお金がなくなったら生きていけなくなる。あのガランとした部屋も気に入らないから、今、決めた」
「勝手に決めるな。ユイの気持ちは? 学校だって」
「学校はこの時期、学園祭や体育祭の準備で授業も減るし、クローゼットの中に大きなスーツケースもあったから、大丈夫よ。あ、そうだ。カナ兄ぃの部屋を使うから、一時帰宅のときは実家に帰って。お父さんにも伝えとく。実家は病院だから安心でしょう」
また無茶を言い出した。頭が痛くなる。
「それでは帰ります。あたしの顔は見たくないんでしょう。じゃあね」
「ちょっと、待てッ!」
呼び止めても真っ赤な舌を「ベェー」と出して、いってしまう。
僕は
ユイの連絡先も知らない。
ストレスは大敵だが、イーッとなって頭をかきむしった。
昔から突っ走る香奈恵には勝てない。
僕が連れてくる女性はすべて気に入らないようで、いつも邪魔してくる。
「ユイ、……大丈夫かな」
心配をしても、なにもできない。
再び寝転がって、白いだけの天井を眺めた。
難病を患う僕よりも、ユイにふさわしい人がどこかにいる。それなのに、香奈恵というとんでもないものに巻き込んでしまった。
ユイに会うのを嫌がっていたから、接触はしない。そう考えていたが甘かった。完全に読み違えた。
「頼むんじゃなかった……」
浅はかな自分が情けない。どうして僕はいつも選択を間違える?
深いため息しか出てこない。
すべてを知って、ユイは怒っただろうな。泣いていたら、悪いことをした。
ここで生きることをあっさり手放したら、香奈恵の言った通りになる。努力しない姿は見せられない。
ナースコールを押した。
「水樹さん、どうかしましたか?」
「お忙しいときにすみません。主治医の
香奈恵は本当にお節介だ。
周りの迷惑を考えないで、ただ一直線に、イノシシみたいに突き進む。
ユイに酷いことをするなら、おちおち死んでいられない。
「骨髄移植、受けます」
僕の口から謝ろう。
病を隠していたこと。香奈恵が想像を絶する迷惑をかけたこと。
そうなると、智也のところにはまだいけない。
ごめんな……。
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