香奈恵さんが家に来た

第1話 香奈恵さんはウソつきだ

 どうしてこのような事態に陥ったのか。頭をひねって考えても、答えが出てこない。

 中庭の隅で陽菜と喧嘩をしていたら、突然、香奈恵さんが現れた。

 これだけでも思考が追いつかないのに、香奈恵さんはいつも通り言いたい放題。

 きっと穏やかで優しい水樹が甘やかしたんだ。叱ってくれる人がいないから、わがままで思ったことをすぐ口にする。……私も似たところがあるけど、香奈恵さんは大学生で大人。あれではせっかくの美人顔も台無しだ。


 そもそも私の家に来て、なにをするつもり?

 部屋は片付けたし、見られて困る物はない。

 まさか、久遠寺公康の娘と知って、本当に父がいないか確認する気かも。

 はあー、やってらんない。面倒くさい。

 それでも笑顔を作って、香奈恵さんを招き入れた。


「ど、どうぞ……」

「すごいところに住んでるのね。オートロックは珍しくないけど、コンシェルジュがいて、二十四時間体制の警備員とか。目的階にしか止まらないセキュリティカードまでもらったわよ」

「他は違うの?」


 香奈恵さんは顔をしかめた。


「暴力女……紺野陽菜だっけ? あんたのこと大嫌いって言った意味が、よぉーく、わかったわ」


 深いため息のあと、きつく睨まれた。

 でもその目は形がよくて、水樹にそっくり。

 やっぱり妹なんだ……という複雑な気持ちと、ふとした表情と仕草にドキッとしてしまう。

 じっと眺めていても飽きない。整った顔立ちの人はいいなー、すっきり顔を出せて。わざわざ輪郭を髪で隠す必要がないから、羨ましい。


「うわッ、きったなぁーい。角にホコリがたまってる。髪の毛も落ちてるし、ちゃんと掃除してるの?」


 おまえは小姑かッ! と、怒鳴りたくなるけど、ここは我慢。我慢するしかない。

 性格の悪い香奈恵さんのことだから、今日のことを水樹に報告するはず。私の欠点を探し出して告げ口する気だ。

 できるだけ穏やかに。にこやかに。さっさと帰ってもらおう。それがいい。


「お茶でも飲みますか? 外は暑かったでしょう」

「いらない。それよりも、なに、このキッチン。真っ新じゃない。自炊できないとか言わないよね?」

「ちょっと、勝手に見ないで」


 怒っても、どこ吹く風。次は冷蔵庫のチェックをはじめている。

 どこまで非常識な人なの。


「こっちも酷い有様ね。肉も野菜もないなんて。いったい、なに食べてるの?」

「関係ないでしょう」

「成長期なんだから、体をつくる糖質やたんぱく質を意識して摂らないと。あ、もう手遅れか。残念ね」


 私の胸を見て、ふふんと鼻で笑いやがった。

 さすがに言われっぱなしだと頭にくる。


「で、用件はなんですか? お父さんなら本当にいませんよ」

「あんたの父親になんか興味ないわよ」

「えっ、でも久遠寺公康って俳優の」

「テレビとか見てる暇なかったから、よく知らない。なに? 有名人の娘ですって自慢したいの?」


 言い知れない恥ずかしさに包まれた。

 私はずっと、久遠寺公康の娘という目で見られるのが嫌だった。それなのに、自分から久遠寺公康の娘だと言おうとしていた。

 自分の醜さを目の当たりにしたようで、ばつが悪い。

 

「用がないなら、帰ってください」

「大事な用件があってここに来てみたけど、本当になにもない部屋ね」

「余計なことはもういいから、用件だけどうぞ」

「スリッパもないし、カウンターテーブルに椅子がひとつ。食器もこれだけ?」

「ちょっといい加減にしてください。あちこち触らないでッ」


 声を荒立ててしまった。でもこれ以上、我慢できない。

 私は臨戦態勢で身構えたのに、香奈恵さんは知らん顔で部屋を見回している。


「女の子の部屋ならアクセサリーやかわいい小物。ぬいぐるみのひとつぐらいあってもいいのに」

「そんなこと、香奈恵さんには関係ないですよね?」

「関係ないよ。関わり合うつもりもなかった。本を渡して帰るだけだったのに、最悪な日ね。あー、やだやだ」


 さっぱり意味がわからない。

 ただ文句をいってけなしに来ただけなら帰ってほしい。腹の探り合いはもうやめた。


「どうせ水樹のことで話があるんでしょ?」

「正解! 足りない頭でよくわかったわね。来月、カナ兄ぃは結婚するの」

「……え?」


 怒りも苛立ちも、一瞬で消えてしまった。


「水樹が……結婚? え、……ウソ……だ」

「ウソに決まってるでしょう」

「はああああ?」


 一瞬で消えたはずの怒りが、さらに数倍の大きさになって爆発した。


「さっきから言いたい放題でウソまでついて。いったい、なにがしたいわけ? 私も暇じゃない。バカにしたいだけなら、帰って!」

「さっき学校で、フラれてもすぐ次に行けない。想ってるだけなら、なーんてしおらしいこと言ってたけど、やっぱりウソつきね」

「ウソつきはそっちでしょう!」

「カナ兄ぃからフラれるなんて、これっぽっちも思ってないくせに。好きって言われたから、バカみたいに信じて、ずっと待つつもりだよね。それが迷惑だって、話がしたいの」


 香奈恵さんがぐいっと睨みつけてきた。

 さっきからずっと痛いところを突いてくる。水樹と同じ形のいい目で、酷いことばかりされる。


「私、香奈恵さんになにかしましたか?」

「カナ兄ぃが病気で死にそうなの。このままだと、あんたまで死にそうだから心配してあげてるの。どうせ大人の男に憧れて流されてるだけでしょう。他の人を探した方が幸せかもね」

「どうしてそんなウソが、次から次へとポンポン出てくるの? 信じられない」

「今の話は本当。水樹奏人がこの世から消えても、あんたはちゃんと生きていける?」


 またウソの話をしている。

 そう思ったのに、前髪で形のいい目を隠した香奈恵さんの頬に、無色の色がひとつこぼれ落ちた。








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