(10) 美沙子 —— Misako ——

『わたし、間違っちゃった……スーパーに行かなきゃいけなかったのに……商店街に行っちゃだめだったのに——』


 突然電話を架けてきたと思ったら、望は訳の分からないことを言う。


「ノン、しっかりして。どうしたの? 今、家にいるんじゃないの?」


『美沙子、わたしね、ママに買い物を頼まれて、彼を見つけたんだよ。だからね、わたし彼に着いて行こうと思って……』


 やっと違うことを話したと思っても、やはり訳が分からない。


「ノン。あなた、今どこにいるの? それだけ教えて。着いて行っちゃ駄目だよ」


 そこで電話は切れた。


 その直後、架け直そうとした矢先に、今度は望のお母さんから電話があった。


『美沙子ちゃん。ごめんなさいね。うちの子、そっちに行っていないかしら?』


 最近は全く会えていないことは、お母さんもよく知っているはすだ。


 ここ数日はLINEを送っても返事は来なかった。でも、ついさっき電話があった。


 そう伝えた。


『えっ、そうなの⁈ あの子、何か言ってた? どこにいるって?』


 お母さんに買い物を頼まれたとか——そこまでは伝えたが、彼に着いていく云々うんぬんは口にするのがはばかられた。


『買い物を頼んだ? 違うのよ。あの子、あれ以来ずっと部屋にこもり切りだったんだけど、さっき様子を見に行ったら部屋にいなくて。玄関にサンダルが無くなってて、家の近くを探してみたけどいないし、希くんのところかと思って電話してみたんだけど、来ていないって言うし……』


 やはり黙っているわけにはいかないと思い直した。


 電話の終わり際、彼に着いて行こうと思うと言っていたことを伝えると、電話の向こうの母親はにわかに狼狽し始めた。


『け、警察に連絡した方がいいかしら。ね、美沙子ちゃん、どうしましょう⁈』


 どうしましょうと言われても、こういう場合に警察がすぐに捜してくれるのかどうかもよく分からない。


「警察はお任せします。お母さんは思い当たる場所を全部当たってください。わたしはわたしで心当たりを探してみます」


 そう伝えて電話を切った。


——ばか。心配ばっかりかけて。

  どこ行ったの⁈


 手近なジャージに着替えて玄関で靴を履こうとしていると、キッチンからお母さんが顔を出した。


「こんな時間にどこ行くの? 外出自粛よ」


「ノンがいなくなったって。捜して来る」


 言い終わると同時に靴ひもを結び終わって、家を飛び出した。


 お母さんはまだ何かを言ったようだったけど、聞き返している余裕はなかった。

 

——急がなきゃ。


 望とは中学の校区が違う分、家も電車で三駅ほど離れている。


 もうすっかり陽も沈み、太陽の代わりに家々の明かりが街をともしていた。


 望へ何度電話を架けても、呼び出し音はするけれど応答はない。


 LINEを送っても、既読にならない。


 それでも繰り返し続けながら移動した。


——希くんのところじゃなかったら、どこだろう?

 

 心当たりを探すなんて言ったけど、そんなものほとんど無いに等しい。


 ノン——。

 一番大事な友達。

 優しくて。

 可愛くて。

 明るくて。


 そして、好きな人の前では意気地なし。


 六年間、ずっと想い続けていた彼に告白もできなくて。


 ちょっと彼を見かけただけでいちいち嬉しそうに報告してきて。


 わたしはテニスなんかこれっぽっちも興味ないって言ってんのに、テニス部の試合の応援につき合わされて。


 そのくせ彼が勝っても、おめでとうの一つも言いに行けない。応援に行ってたことすら彼には伝わらないまま、そそくさと帰ってしまう。


 彼の誕生日や、クリスマスや、バレンタインが近づくたびに気持ちだけは盛り上がって、当日になったら何もできずに沈み込んでいる。


 石橋を叩くだけ叩いて渡らない。


 恋に関しては当たって砕けるってことが出来ない子。


 いつだったか。大発見! とLINEが届いた。


——彼の名前とわたしの名前を並べると、希と望だから

  ローマ字にするとNOZOMU & MOZOMI

  左右を約分すると同じ文字が消えて残るのは、U & I

  ほらね、YOU & I 

  あなたとわたしになるの!

  これって、運命の二人じゃない⁈


 よかったね。でも、どうでもいいわ! とだけ返信をして、本気でブロックしてやろうかと思ったものだ。


 最後のバレンタインも不戦敗。


 わたしの失恋カラオケにつき合ってくれたとき、まるで自分も失恋したみたいなことをぬかすから、あんたはまだ失恋すらできてないんだから卒業までに告白して白黒つけろって背中を押した。


 まあ、今更どこをどう押したところでどうにもならないとは思っていたけれど。


 新型肺炎ウイルスのせいで卒業式もなくなって、もう無理だぁって半泣きで電話してくるから、わたしじゃなくて彼に電話しなって言ったら、今度は番号を知らないと言って泣く。


 あほか。おまえは六年間も何をしてたんだと。


 それがあの日——。


 打って変わって、ビデオ通話でもないのに笑顔が透けて見える電話を架けてきた。


『今日ね、ママに頼まれてスーパーに買い物に行ったんだよ。玉葱。でもね、途中で気が変わってさ、スーパーじゃなくて商店街に行くことにしたの。で、本屋さんでちょっと立ち読みしてたらさあ、そしたらさそしたらさ、誰が来たと思う~?』


 百人が百人とも彼だと分かるだろう。


 それ以外に選択肢がない。答えが一択しかなければクイズにもならない。


『そぉなのよぉ。なんで分かったのぉ?』


 まあ、彼を見かけただけで大喜びするのは今に始まったことじゃない。

 

「はいはい。よかったね。じゃあね。切るよ」


 またいつものことだと思って電話を切ろうとした。 


『待って! 待ってよお。話はこれからなの! ね! 切らないでってば』


 これから?


 まだ続きがあるってか?


 やっといつもとは少々様子が違うことに気がついた。

 

『わたし、告白されちゃった』


 文字表記できない声を上げた自覚があった。


 とかとかとかにいくつも濁点を付けたような、最上級の驚きを表す声。


 声というか、まあ、音だ。


 それでもちろんOKしたんだろうな。


 かわいらしく、わたしも好きだったのなんて言ったんだろな。


 これまでさんざん応援や慰めをさせられてきたんだ。


 権利はあるはずだ。詳しく話せ。


 そんなふうに脅したり、あれこれ茶化してみたりもしたけれど、舞い上がっている彼女にはどんな攻撃も効かなかった。


『ごめんねぇ。明日の夕方にはまた彼に会うから、今日は早く寝て早起きしなきゃ。明日はね、朝と夕方出かける前と、二回お風呂に入るの。また今度ゆっくり教えてあげるからね』


 夕方会うのになんで早起きする必要があるのか、理解できない。


 ああそうですか。


 好きになさってください。


 祝福の言葉など無用だった。


 ただ、望と友達になってから三年。一番嬉しい出来事だった。


 スマホの待ち受け画面は、いつか望と二人で苺スイーツビュッフェに行ったときのツーショットだ。目の前のテーブルいっぱいに苺のスイーツが並んでいる。


 電話を切って、そこで笑っている望に向かって、つい、おめでとうと言ってしまった。


 それなのに——

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