第8話 器の真相


優しく慈しむような、駒形さんの声音に根負けしたように


「……そうみたいだな」


袴田さんは唇を噛んで、その隙間から小さく漏らす。それから


「加奈にこの器を渡して、プロポーズをするつもりだったんだ」


私も、当然のように加奈さんも、思ってもみないことを口にした。聞き間違えるわけもないのに、私は自分の耳を疑った。


駒形さんだけは、予想的中のようで、にっと小さく口角を上げる。


「俺たち、最近二人暮らしを始めたんだ。これ、俺にとっては結構勇気のいることで。もしオッケーされたら、間を開けずにプロポーズもしようって決めてたんだ」

「それがご飯を食べなかったことと器にどう関係するんです?」


話が見えず、つい私は口を挟んでしまう。わざわざ私が言うことでもない。


まずったなと口をつぐんでいたら、うんと頷いて袴田さんは語り出す。


「俺の実家、農家なんだ。子供の頃から肉はなくてもお米だけは常にあった。でも、だからといって、あるのが当たり前って思ったことはなかったんだ。いつも、お米は神聖なものとして扱えって、親に散々言われて育ったから」


今は品種改良が進んであまりない話だが、昔は天候次第で不作の年が何年も続くこともあった。


だから、当たり前に収穫できることを感謝しなさい。それが、彼の住む地域での伝承だったらしい。


「俺の好きな、けんさ焼きもその一つでさ。俺もよくは知らないけど、豊作とかを祈って正月の夜とかに食べるものだったらしいんだ。神聖だから、って」

「そうですね。けんさ焼きの名前のルーツはいくつかあると言われてるんです。加奈さんが言っていた『剣の先』っていうのがもっとも有名な一つ、でも他にもいくつかあって、たとえば『献餐』。つまりは神様へ献上するための供物、神聖なものであった、そういういわれもあるんですよ」

「……へぇよく知ってるんだな」

「一応、小料理屋の店主ですので」


駒形さんはわざとらしく胸を叩いて誇らしげにして見せる。その仕草が面白くて、私はくすっと笑ってしまった。


推理は一級品なのに、ちゃんと力を抜くところは抜いてくるのだ、この人は。


「そういうわけで、お米は俺にとって大事な物だった。だから二人の家で食べる最初のご飯は、特別にしたかったんだ。

 それで、どうしてもこの、自分の手で焼いた器で食べたかった。同じタイミングでプロポーズしたら、サプライズにもなるかなと思って」


袴田さんが言うのに、加奈さんの目にはまた涙が浮かんでいる。たぶん今度のは嬉しい方の。


だが、まだ疑問は残っていた。彼女は涙を拭う手を止める。


「…………じゃあ、裏の文字は? 誰よ、カコって」

「えっと、なんのこと?」


しかし間の悪いことに、ここで玄関のチャイムが鳴る。家人がでるのが筋だが、この状況だ。空気を鑑みて私が出ると、袴田さん宛ての荷物だった。


加奈さんは後にして、と言うけれど


「行かせてあげてください。きっと後悔はしませんから」


駒形さんがこう勧めて、不承不承ながら彼女は引き下がる。


後悔はしない、とはどういうことだろう? そう思っていたら、袴田さんが小さな段ボール箱を抱えて戻ってきた。


大量の包装紙をほどいていくと中からは、お茶碗が出てくる。さっきのものと、ほとんど同じ形をしている。だが、同じ型のものかというと、少しフォルムが異なる気もした。


「……えっと、どういうこと?」


加奈さんは両手に二つを抱えて、何度も首を振って見比べた。


「……本当は二つで一つだったんだ。でも、火入れがうまくいかなかったらしくて片方だけ焼き直しになってたんだよ。加奈、裏」


彼氏さんの言葉で二つの茶碗はひっくり返される。片方には、「カコ」なる人の名前が書いてあったが、


「ながくずっと しょくたくをいっしょに かこめますように しあわせになりましょう……?」


まず名前だと思っていたのが、そもそもの勘違いらしかった。


「やっぱりなにかの文章の一部でしたか。変な日本語だなと思ったんで、セットものなのかと予想してたんです」


駒形さんはここまで見通していたのか。あの少し触っただけの一瞬で。


「加奈はほんと早とちりするよなぁ。だから一つだけで置いてると、なんで俺だけ、って思われるかなと思って隠してたんだけど。むしろ逆効果だったみたいだな」

「ごめん、私……! てっきり要が誰かにとられたんだって思っちゃって!」

「全く加奈はほんとに」


加奈さんはせっかく直したはずの化粧のことも忘れたのだろう、また顔をぐしゃぐしゃにして袴田さんに抱きつく。


袴田さんも、彼女の肩を寄せて抱きしめ返していた。ほんのり彼の目にも涙が浮かんでいる。


すれ違いがほどけて、二人の愛の絆がまた強くなった。


感動的なシーンだった。浮気じゃなくてよかった、むしろこれで二人の絆はより深まった。悪いことなんてない。


あるとすれば、それは私の心の中。今日だけで何回目か、黒々しい思いが渦を巻き出す。胸が締め付けられて、どうしようもなく苦しい。


彼らを陽とすれば、私ははっきりと陰だった。目を逸らして俯いてしまう。


一人、影のなかにうずもれていきかけたところ、さて、と駒形さんが手を叩いた。私は打ち付けられたように顔を上げる。


「謎が解けたところで、ご飯にしませんか? さすがに人の家のキッチンを借りるわけにもいかないので、うちの店で」


 それは、またしても私の予想を裏切る展開だった。



     

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