第10話「エマのお誘い」

 その日は結局安眠できず、腫れぼったい目で講義を受け、欠伸を噛み殺しながら事務仕事をこなしに屯所へ向かう。


 この国の貴族学校は、校門を警備員が固めていて許可証を持たないと外出禁止、などと言う事はない。商売を持っている学生は、火急の事態に飛び出してゆく事も多いし、狙われて困る連中は郊外では護衛を付ければよい。「それぞれの家でやってくれ。こっちは責任持ちたくないし」と言うのが正直な所だろう。




 ……の、筈なのだが、校門を出て早々に、巡回の騎士と学生が言い合いをしていた。

 何事かと門柱越しに覗き見て、回れ右をしたい衝動に駆られた。


「だーかーらー! 制服を見れば分かるでしょ!? 私は高等部だから!」

「はっはっは。君みたいなちっちゃい高等部の学生が居るわけないだろ? その制服は、ママに作ってもらったのかい?」


 エマ・スーリーヤー。見た目は子供、中身はレディ(婚約者あり)が、両手をぶんぶん振りながら騎士に抗議している。

 学校の事情に疎い騎士が、門限のある「初等部の学生」を咎めのだろうが、話を聞いてもらえないのは、何処へ出しても恥ずかしくないお子様な仕草である。

 あれで一匹狼で孤高系の婚約者を骨抜きにしたと言う噂だから、恋愛相談の専門家を以てしても人間は分からない。


「あっ! ハルくーん! この人に言ってあげて! この素敵なレディはれっきとした大人の女性だって言ってあげて!」


 いや、その口調がもう素敵なレディじゃないです。

 どの道回れ右するわけにはいかず、愛想笑いを浮かべて騎士に話しかけた。





「ありがとうハル君。まったく、最近の騎士はレディの扱いがなってないわね。アレク君の紳士ぶりを見習って欲しいわ」


 さらりと婚約者への惚気をさしはさみつつ、憤慨する飼い主の親友に、ハルは故郷の妹(10歳)を思い出した。


「では、僕は仕事がありますので」

「あ、良いの良いの。そーちゃんに断って今日の仕事は他に代わって貰ったから、今日は私の恋愛相談もお願い。勿論お給料も出すよー」


 一瞬「そーちゃん? 誰?」と思ったが、烏丸補佐官の名前が惣吉ソーキチである事を思い出した。

 何処でつながりがあるのかは知らないが、あの人お金に困ってないのにお金持ちに弱いからなぁ、と妙に納得してしまう。


「それは構いませんが、婚約者の方とは良好なのでは? どの様なお悩みなのですか?」

「私は特に不満ないよ? アレク君は時々すれ違う綺麗な娘とかチラ見するのが不満と言えば不満だけどけど、それを怒った時の慌てぶりが可愛いから役得だし」

「ごめんなさい。胸やけがします」


 エマはくすくす笑って、「じゃ、行こっか」と先を歩き出す。

 ハルは最近色々あるなぁと、肩を竦めて後に続いた。




 上機嫌のエマは、道中の屋台で買い食いを敢行し、店主のおっちゃんが水あめを手渡しながら「兄ちゃんとお出かけか。いいなー、お嬢ちゃん」と余計な事を口にしたせいで、ハルはまた愛想笑いで如何に彼女が「大人のレディ」であるかを解説する羽目になる。


 烏丸に押し付けられる書類の山が少しだけ恋しくなった。

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