第2話「落ちこぼれは、今日も王太子妃候補に懸想する」

 時は、7日ほどさかのぼる。




 投げつけられた薬入れは、ハルの額に激突した。

 ご丁寧にも投げる前に蓋が空けてあったお陰で、中身の薬剤をまき散らし、一張羅の仕事着を粉まみれにした。


(……まあ、こうなると思ってたけど)


 ずきずきと痛む頭を押さえて、眼鏡を直した。そして、にやにやと笑う伯爵令息とその取り巻き達を醒めた目で見つめる。

 大柄で骨太の、軍人然とした体躯が何とも恨めしい。訓練嫌いで、剣の腕だって自分より下の筈なのに。

 ハル・クオン。16歳の男爵令息は、貧弱だと馬鹿にされる、華奢な体を恨めしく思う。

 振り切ったはずの、竜騎士への道を断念した悔しさが、少しだけ蘇ってきた。


「これだから卑しい蛮族は。リーチ殿がお前などが調合したパウダー魔法薬をお使いになる筈が無いだろうが?」


 取り巻きの言葉に「ええ、知ってます」とは思ったが、格上の貴族相手に馬鹿正直に返す訳にはいかない。




 大陸に存在する貴族学校の多くは「ファギング」と言う制度がある。

 下級生は上級生に奉仕する義務を負う。つまり公認された使い走りである。

 その変わり、命じた上級生は、命じられた仕事の一切合切に責任を持たなければならない。無理な仕事を命じて下級生が事故を起こせば、罰を受けるのは命じた方である。

 これは、「人を使う貴族は、使われる事を経験しておくべき」と言う理屈で、実際ファギングから学んだ事は多いと述懐する成功者は多い。


 だが、どうしても悪用する戯け者は出てしまう。

 ハルは就寝直前に呼び出され、明日の実習に使用するパウダーを調合するように命じられた。わざわざ加工が難しい竜の骨を使うよう指定してくる念の入りようだ。当然徹夜仕事になる。

 どうせ彼らが、「青髪の蛮族」と馬鹿にするハルのパウダーを使用する筈も無いとは思ったが、そこは研究者肌の悲しさで、妥協できない性分だ。結局朝方までかかって調合を終え、昼休みに指定された裏庭へ持って行ったところで先の結果である。

 普通はこの様な暴挙は、きついお灸が据えられるが、相手は騎士団長の息子。ヘタな対応は墓穴を掘る事に繋がる。ただでさえクオン男爵領は貧乏で、蛮族の青髪を持つ彼に対し校内でも当たりが厳しいのだ。


「では、確かにお渡ししましたので……」


 ハルは眼鏡を直すと、戦略的撤退を決め込んだ。

 今無理に反撃する必要は無い。いつもの様に・・・・・・上手くやるだけだ。


「なあ、もうあの売女とはヤったのか?」


 踵を返して歩き出すハルの足が止まる。握りこぶしが震えているのに気付くが、もうどうしようもない。


「生憎と、僕には『バイタさん』と言う知り合いは居ませんが……」


 冷静を装ったつもりだったが、声が震えていた。今頃背中越しの馬鹿は嗜虐的な笑いを浮かべている事だろう。


「売女は売女だよ。何がハト派だ。結局金が欲しくて殿下を垂らし込んだペテン師の家系だ。どうせローマン王国の連中にも股を開いて……」


 これ以上この男の言葉を聞くのが、ただただ不快だった。

 公爵家に対する侮辱は大問題だが、ハルがこの場で騒ぎ立てても証拠も証人もいない事を分かって言っているのだ。

 大方ハルを挑発して、自分を殴らせようとでもしているのだろう。だが我慢ができない。

 こいつは、よりにもよってシルヴィア・バスカヴィルを売女と言ったのだ。


「……訂正しろ!」

「ああん? 何をだ?」

「シルヴィア様に詫びろと言ったんだ! この小便垂れ!」


 振り返って目に入ったのは憤怒に染まった伯爵令息と、青ざめる取り巻き達だった。

 リーチが幼少時、父親に我儘を言って乗せて貰った騎竜が遅いと、騎手の制止を振り切って鞭で叩き、怒った騎龍に振り落とされそうになった恐怖で粗相した醜聞は有名な話だが、タブー中のタブーだった。

 校内の失言は大目に見られる傾向にあるが、明確な侮辱に対する意趣返しもまた「大目に見られる」。


 今のは二・三発のビンタでは済まない案件だが、後悔は無い。

 シルヴィアを侮辱されて涼しい顔をしているくらいなら、私刑など望むところだ。

 寧ろ、やりすぎて自分の肋骨の1本も叩き折ってくれれば、貴族にあるまじき行為として問題となり、相応の罰を受けさせれらるのにとすら思った。

 伯爵家の過失なら、魔法治療に用いるパウダー代は彼らが持ってくれるだろうと言う矮小な打算も浮かべつつ。


「……いい度胸だ。蛮族ハルバール


 握りこぶしを作るリーチに、ぐっと歯を食いしばる。

 取り巻き達は先程までの余裕はどこへやら「不味くないか?」と言う顔で目くばせしあっている。

 リーチが右手を振り上げた時、「どうしたんだエマ? そっちに誰かいるのか?」と声がした。


「ちっ!」


 リーチは弾かれたように声のした方を凝視し、舌打ちした。

 ハルは暫く彼らの背中を睨みつけていたが、危機が去ったと分かりどっと脱力する。


「少々迂闊な物言いだったな。ハル・クオン」

「助けて頂きありがとうございます。シルヴィア様・・・・・・・


 練習用の剣を片手に現れたのは、王太子マリウスの婚約者、シルヴィア・バスカヴィル公爵令嬢その人だった。


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