Stay by my side forever

八神一久

第1話 Preparation

 兄に会うのはいつぶりくらいだろう。

 馴染みの喫茶店で人を待ちながら、そんなことをぼんやりと考える。


 小さい頃は学年が違ってもいつも一緒に居た。高校くらいになると、俺も友達と遊ぶようになって、完全に人生の道が分かれたのは大学入学の時か。

 気づけば三年以上は会っていない。どちらも都内の大学に進学して、一人暮らしをしているというのに“会おう”とはならなかった。


「ほら、宏太。ブレンドコーヒーだ」

「ありがとうタツ姉」


 この喫茶店はよく使っていたからタツ姉にはよく会っていた。出来た当初は「今日も誰もいない!」なんて言って茶化していたけど、今ではテイクアウト客がメインでそれなりに繁盛している。店内に人が少ないのは五年前に流行ったウイルスのせい。

 一口、コーヒーを啜ると熱い液体が舌先を刺激する。ジンジンとしびれる痛みが徐々に広がり、火傷した舌をチロッと出して冷やそうとした。


「相変わらず猫舌だな」

「それは仕方がないでしょ」


 タツ姉の言葉にムキになるのも相変わらずで、そういう所だけを見ると自分が成長していないようにも思えた。

 心が沈みかけたと同時に店の扉が開かれ、カランカランと鐘が鳴る。

 すると、タツ姉の顔が一瞬綻んだので、目当ての人が来たと確信し振り返った。


「宏太!懐かしいなぁ!」


 久しぶりに会った兄はスーツ姿で、綺麗に髪を整え、見たことのない眼鏡をかけていた。

 パッと見では見知らぬ誰かにも見え、目を丸くしているとヤオ兄は俺の目の前で手をパタパタと動かしてきた。


「大丈夫か?起きてるか?」

「起きてるよ!」


 そう言って手を払うと、ヤオ兄は嬉しそうに笑顔を見せる。その笑顔だけは俺の記憶にあるヤオ兄そのもので、なんだかホッとした。



**** **** **** **** **** **** **** ****



「んで、就職活動の相談だったか」

「うん。言われたものも持ってきたよ」


 俺は自分のカバンの中から今までの不採用通知を送ってきた企業リストを取り出して渡す。

 ヤオ兄はそれを受け取ると、いつの間にか用意されていたコーヒーを飲みながら読み始めた。


「でも、そんなのどうするの?」

「ん?どうもしないが……、宏太の就きたい職業とかの参考にな」


 そのために120社近くのリストを作らせたの!?

 どのタイミングで落ちたとかも詳しくとか言われてたから過去の記録引っ張り出して、それなりに大変な作業だったんだけど!?


「結構、それまとめるの大変だったんだけど」

「その分、見やすくていい資料だよ」


 ヤオ兄はそのまま資料を机に置き、上から下まで指でなぞる。


「この辺は誰でも知ってる大企業だけど、業種がバラバラだな。どうしてだ?」

「え?あぁ、ここ見てよ。業種はバラバラだけど全部営業で応募してるの」


 俺は自分の資料の一つを指さす。すると、ヤオ兄は楽しそうに頬杖をついた。


「営業がやりたいのか?」

「やりたい……わけじゃないけど、正直文系大学出ても応募できそうな職種があんまりなくて」

「ふぅん」


 ヤオ兄は理系大学出身だから俺のツラさはわかるまい。就活を始めて世間で言われている以上に文系大学のブランドは低い事を知った。


「中小企業は最近になってから受け始めたのか」

「まぁ……ね。大企業系は軒並み落ちて、就活サイトとかで慌てて探して応募したんだ」

「いくつかはエントリーシートをクリアして、面接まで行ってるんだな」

「四つはね。一つは最終面接まで入ったけどダメだった」


 エントリーシートで落とされるのは慣れて来たけど、面接で落とされると心にグサッと傷ができる。舌の火傷なんかよりもずっと痛くて、痛みがチクチクと残る。


「自分ではなんでダメだったと思ってる?」

「どうだろ……。緊張してたってのは言い訳かもしれないけど、最初の三つはガチガチになってた。その最終面接まで行ったところは一番最近のモノなんだ」


 大人と会話するのは慣れたものだけど、それでも面接試験と言われると途端に心臓が鼓動を強めた。最初の三つなんてほぼ同時期に受けたということもあり、何を質問されたのかさえ覚えていない。


「なるほどね。エントリーシートは?」

「これが基本的なモノ。志望動機は適宜変えてる」

「ふぅん」


 ヤオ兄は俺の書いたエントリーシートを見つめ、企業リストの上に置いた。


「まずエントリーシートは悪くないと思う」

「あ、良いんだ」

「悪くないだ。紋切りプロフィールで誰でも書ける素晴らしい出来栄えだ」

「馬鹿にしてる?」


 ちょっとイラっときて、口調が強くなる。だけど、ヤオ兄はそんな俺の事を笑顔で見つめながら


「ああ」


 一番、信じていた人に馬鹿にされた。そんな思いは一気に俺の頭に熱を登らせた。

 立ち上がり、どうしていいかもわからないこの激情をヤオ兄にぶつけようとした。


「はいそこまで」


 振り下ろそうとした拳はタツ姉に止められ、一気に腕を後ろに捻り上げられる。

 痛みで我に返ると、ヤオ兄はさっきまでと変わらず笑顔で俺の事を見上げていた。


「ま、こんだけ落ちてればイライラもするだろうし、オレみたいに適当に就活して、適当に受かったような奴にしたり顔で言われたくはないわな」

「ゴメン」


 冷静になってみると、自分が悪い事くらいはすぐにわかる。

 ヤオ兄は社会人で仕事をしていて、忙しいのに俺のために時間を作ってくれたんだ。なのに、俺がヤオ兄にキレてどうすんだよ。


「まずエントリーシートは見直した方が良い」

「どの辺を?」


 座り直してヤオ兄に聞き返すと、趣味・特技欄を大きく指でなぞられた。


「この辺は聞こえの良い言葉で書かずに正直なことを書いとけ。読書とか、映画鑑賞っていっても“観て、読んで、楽しかった”程度の事だろ?」

「それが趣味なんじゃないの?」

「熱く語れるものが無いならそれでもいい」


 ヤオ兄の言葉がチクッと来る。

 大学生になってからずっとバイト三昧でほとんど遊んでいなかった。だから、趣味とか言われても時々誘われる映画くらいしかなかったんだ。あとは、勝手に俺の部屋に積み上がっていく漫画を読むくらい。


「もう演劇はやってないのか?」

「高校の時だけだよ」

「大学で続けようとは思わなかったのか?」

「それよりもやりたいことがあったんだ」


 俺が愚痴る様に言うと、ヤオ兄は前のめりになって食いついてくる。


「何がしたかった?金を貯めて何がしたかったんだ?」

「べ、別にいいだろ!なんでも!」


 ちょっと身内には言いたくない話だったので、思わず声が大きくなる。

カウンターの奥から「シーッ」と聞こえてきたので大人しく謝る。


「ゴメン、タツ姉」

「ぶっちゃけて言えば、企業側はお前の趣味なんぞどうでもいい」

「え、なにそれ酷くない?」


 なんで意味のないこと書かせるの?


「だけど、どんな趣味でも本気でやる以上は金がかかる。会社勤めなんぞ所詮は金稼ぎの一環だ。その上で、その企業の利益をどこまで伸ばせそうな人材かを見ているんだ」

「趣味でそんなの見えるの?」

「働くことに対する熱意が見えるだろう?」


 たし……かに?


「どんな理由でも一生懸命になって働く原動力があるってのを見せれば、企業もそこまで毛嫌いはしない。逆に、無趣味で適当に生活できるだけの金が欲しい奴に成長なんぞ期待しない」

「でも、大半の人ってそうじゃないの?」

「アホか。大人になったらアホみたいに稼いで、アホみたいに金使って遊びたいだろう。大学生の時でも出来なかったようなことを大人ならできるんだ」


 たし……かに!


「それじゃあ、俺が落ちたのって趣味のところが弱かったから?」

「いや、全体的にやる気を感じられないからだ」

「一番聞きたくなかったよ!」

「お客様、店内ではお静かに」

「ごめんなさい!」


 働きたい気持ちは十二分にある。

 俺は他の誰よりも金を稼がなきゃいけない。それだけはわかってるんだ。


「宏太はどこぞの会社に入って、金を稼いで何をしたい?」

「俺は……」


 一瞬だけ迷ったけど、俺の口から答えはスルリと出てきた。


「家族を養いたい」


 俺の決意の言葉に二人が目を丸くする。


「宏太、お前もう結婚するのか?」


 ヤオ兄の言葉に俺は静かに頷く。


「就活が終わったら正式に結婚を申し込む」

「相手は?」


 会話に入ってきたタツ姉の言葉に俺は静かに首を横に振った。


「今は教えられない。だけど、それくらい本気なんだ」


 ヤオ兄もタツ姉も驚いた表情のまま俺を見てくる。

 けれど、ヤオ兄はクスッと笑い、俺の頭を昔みたいに撫でてきた。


「そういうのを面接で見せてみろよ。全部そのまま言うのはお勧めしないが、やる気と熱意は十二分に伝わったぞ」

「確かに、今の宏太ならウチで雇いたいくらいだ。バイトとして」

「バイトかよ!?」

「お客様、店内ではお静かに」

「えぇ!?俺が悪いの!?あと、客が俺とヤオ兄だけなんだから大目に見てよ!」


 俺の言葉に二人が笑い出す。それにつられて俺も笑う。

 なんか自分がやってきた就活を思うと、どれだけ真面目な人間かとか、やる気はありますよアピールだけだった気もする。見せかけだけで中身が伴ってない感じを読み取られていたのかもしれない。


「ヤオ兄、ありがとう」

「いいよいいよ。可愛い弟の頼みだ。いくらでも時間を……宏太?」


 ヤオ兄はコーヒーに口を付けてから何を思ったのか表情が固まったまま、俺の名前を呼ぶ。


「お前、まさかまだアイツらと一緒にいるのか?」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は今までの反省なんぞ吹き飛ばして叫んだ。


「ヤオ兄はそういう所だよ!察したんだったら黙ってて!!!」


 俺が叫んだ理由はタツ姉には分からなかったみたいだけど、この日、この時にヤオ兄にはバレてしまった。でも、それでもこの兄は否定的な事は何も言わず、「がんばれ」とだけ口にした。

 それが就活についてだったのか、その先の事についてだったのかはあえて聞かなかった。

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