0-01「家族と。」

 飛行機を降り、日本へと戻ってきた。

 いくら世界大会だからといっても、高々中学野球。注目なんかされる訳ない――そう高を括っていた彗を、これまで見たことのない量のフラッシュとマスコミが出迎えた。


「彗くん、世界一おめでとう!」

「彗くん、日の丸を背負った感想は?」

「彗くん、152キロを出した感想はどう?」


 嵐のように止めどなく降り注ぐ質問たちに答えることができず、戸惑う彗。遠くの方で監督が「ちょっと、選手も疲れているので……」と鎮めようと試みるも、焼け石に水。死に物狂いで人込みをかき分けていき、数十分の時間をかけてようやく抜け出せた。


「ぷはっ……ようやく……」


「試合より疲れたね」


「そうだな……っておわっ!」


「何をビックリしてんのさ」


 彗の背後から話しかけてきたのは、世界一を成し遂げた立役者の一人である一星だった。


「お前が脅かすからだろ」


「勝手にびっくりしただけじゃん。なすりつけは良くないよ」


「うるせ」


 遠くで監督が捕まっているが、空港についた段階で解散という予定だったため知ったことではない。明らかに聞こえないだろうという声量で「監督、ありがとうございましたー」と投げ捨てると、彗と一星はその場を後にした。


「いやー、しかし楽しかったな。特に最後。アイツぶっ倒せたのは気持ちよかった」


「……ホントにね。まさか世界一になれるとは思わなかったよ」


「いーや、俺はできると思ってたね」


「へぇ、そうなんだ。根拠は?」


「俺が日本代表チームにいるから」


「ははっ……」


「お前、なんで引いてるんだよ」


「いや、こんな自信家初めて見たからさ」


「そりゃ光栄だ」


「それだけの自信があれば、プロに行けるね」


「……おうよ、ドラフト一位待ったなしだ」


「楽しみにしてるよ。それじゃあね」


 そう言い残すと、一星は駆け出して行った。向かった先には駐車場。きっと、両親のどちらかが、あるいは二人ともが迎えに来てくれているのだろう。


「じゃなきゃ、あんな真っすぐな目をする訳ねーもんな」


 言葉にしてみると、虚しさが急に襲い掛かってくる。らしくねぇ、と彗は踵を返してタクシー乗り場の方へ向かった。



       ※



「ただいまー」


 重い荷物を抱えて扉を開くと、弟のてるが「おかえり兄ちゃん!」と出迎え、次いで妹の朱里あかりが「ゆーしょーおめでとー!」と彗に飛びついた。


「おう、ありがとよ。見ててくれたか?」


「うん! すごいね……って、兄ちゃんなんかくさい! ちゃんとおフロ入ってた⁉」


「うるせ! これが世界一の臭いってやつだよ」


 ほんの数週間だったが、久しぶりに思える弟妹との再会。ずっと張りつめていた緊張が、徐々にほぐれていくのを感じていると「バカなこと言ってないで、風呂入りな」と、母の宏美ひろみが顔を覗かせてきた。


「お、今日は体調よさそうじゃん」


「アンタが頑張ったからね、もう元気モリモリよ! 料理ももうすぐだから、今の内に早くしな!」


「へーい」


 纏わりつく弟妹も引きはがしていざ風呂場へ。


「そんなくせぇか……?」


 いつもより少し念入りに体を洗ってから、湯船につかろうと風呂蓋を開けた。


「あいつら……」


 もう先に弟妹のどちらかが入ったのだろう、アヒルのおもちゃと野球ボールが湯船を漂っていた。片づけるのめんどくせぇや、とそのまま湯船につかると、自然と「あ、あぁ……」とお決まりの声が漏れ出る。


 ――さて、どうしたもんか。


 世界大会で中学生史上最速を叩き出した。

 もちろん、高校に行って活躍する自信はある。

 ただ唯一、彗の懸念は、家族のことだった。

 弟妹が現在、小学校3年生と2年生と遊び盛りである上、母は病気がちで入院することも少なくない。

 そして父は、行方知れず。母は多くを語らないが、おおよそ他の女でも作ったのだろう。そういう父親だという思い出は、腐るほどある。


 ――何回家族を泣かせれば気が済むんだよ、あのクソ親父。


 なぜあんな屑が自分の父親なのか、と応えのない疑問が頭の中で駆け巡る。


「料理きたよー! 早く出な!」


「へーい!」


 考えても仕方ないか、と彗はあがり湯とともにモヤモヤをかけ流して風呂場を後にした。


「ふーやっぱ風呂はいいな……ってなんじゃこりゃ⁉」


 頭を拭きながらリビングまで行くと、テーブルの上には豪勢な寿司が並べられていた。百貫は優に超えているだろう、初めて見る光景に思わずたじろぐ。


 そんな様子の彗を見てケタケタ笑いながら「なにって、そりゃ寿司でしょ」と母が答えた。


「そりゃ見りゃわかるけどさ……豪勢すぎじゃね?」


「なーに言ってんの。息子が世界一を取った時くらい親らしいことさせなさいよ」


「……ありがと、母さん」


「なに? 聞こえなかったなぁ」


「腹が減ったって言ったんだよ! ほらおめーら、皿出せ皿!」


「もう出してあるであります、たいちょー!」


「しょう油のじゅんびもバッチリだよー」


「よし! じゃあ死ぬほど食うぞ!」


 家族四人。テーブルに座って手を合わせ「いただきます!」と揃って叫ぶ。


 そこからはもう争奪戦。たまごは瞬時に消え、サーモンも虫の息。


「おい輝! お前、鯖も食いやがれ!」


「兄ちゃんこそマグロ取りすぎ!」


「おめぇらにはマグロはまだ早い!」


「いくらいただきー!」


「朱里! いくらもうねぇじゃねぇか! 何個食った!」


「ぜんぶ!」


「てめっ、ならこれ食ってやる!」


「わーアタシのタコ!」


 周りの人に迷惑だなと思いながら、今日くらい許してくれと彗は大声で争奪戦に参加した。

 ただただ、幸せな時間が流れていく。


 ――さ、どうすっかな。


 朱里に「タコ、かえしてー!」とお腹を殴られながら、彗は思慮を巡らせた。

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