2nd Christmas
kiki
第1話 X年12月1日
「ちっきしょ」
ガラスのドアを開けると、男たちが銃を構えて待ち伏せをしていた。どうやらはめられたようだ。僕は手を後ろへ回し、スボンのベルトに挟んでおいた銃にそっと手を伸ばす。
もちろんただの妄想だ。昨日見た映画のワンシーンを真似てみた。ここジャパンで銃なんか持っていたら銃刀法違反でお縄を頂戴してしまう。そんなのはまっぴらごめんだ。
おとなしく講義室のドアを閉め、ズボンの後ろポケットから銃、ではなくスマホを取り出し、講義開始時刻の数分前であることを確認する。前から三十列ほど並んだ長机の、後ろから五列目の席に座る。その隣の席にはすでにいつもの顔があった。
「おはよ。先生まだ来てない?」
眠そうな顔をしているいつもの顔に向かって僕は尋ねる。
「おう。岩原のやつ夜更かしでもしてたんじゃねえの。噂の彼女とさ。岩原の噂知ってる?」
満留朔太は楽しげに岩原教授の噂話を持ちだした。
朔太は僕が大学内で唯一話せる人間だ。朔太との出会いは入学式当日のオリエンテーションだった。隣の席に座ってきた朔太は、フランクに僕に話しかけてきた。人と関わるのが億劫な僕はなるべくはやく会話が終わるように心がけた。話を膨らませぬよう終始あたりさわりのない発言を心がけた。「人が多いですね」「こんな日にくもりなんてあんまりですよね」という具合に。出身地を聞かれたので答えると、僕らは同郷の人間だということが判明した。初めは面倒だなと思っていたのに、朔太の人柄のせいだろうか、地元話に花が咲き、花が十分に咲き誇った頃には次の日の説明会の待ち合わせ場所を決めていた。そうして、ずるずると今日まで僕らの関係は続いている。
始業のチャイムが鳴った。
チャイムと同時に講義室に入場してきた岩原教授にはある噂がある。講義を受け持っている他大学の女子学生と関係を持っているという噂である。こういうどうでもいいような情報をそこかしこから仕入れてくるのが満留朔太というやつなのである。
「まあいんじゃない。先生の人生なんだし。先生の好きに生きればいいと思うよ」
「ドライ。ドライすぎる。真琴、もう少し他人に興味もとうぜ。あのおっちゃんが隠れて若い女の子とイチャイチャしてるって面白くない?」
朔太は不敵な笑みを浮かべ、分厚い憲法の教科書をめくりながら言った。
「全然」
「うそお? 俺は面白いって思うけどなあ」
朔太はまだニタニタしながら不思議そうに首をかしげた。
僕が朔太に首をかしげたい気持ちだった。僕はリュックの中に手をつっこんで教科書を探しながら考える。人間は嘘をつく。人間は裏切る。人間は傷つける。そういう生き物である人間を僕は面白いとは思わない。
僕が目を覚ますと講義は終わっていた。
「今日も熟睡だったな」
「起きてた?」
僕はぼやけた目をこすりながら朔太に聞いた。
「もちろん寝てたぜ」
朔太は親指と人差し指で拳銃の形をつくり、それを顎に押し当て白い歯をわざとらしく見せて言った。
「言っとくけどキマってないから。で、どんな内容だった?」
朔太は顔をしょんぼりさせ、顎に置いていた手をノートに伸ばした。
「あーちょー重いやつ。ノート、書き写しといたから写メっていいぜ」
「ありがと」
僕はスマホのサイレントカメラで写真を撮った。
朔太は二限目も講義があった。僕は二限目の講義がなかったので講義室で朔太と別れた。朝ご飯を食べておらず、お腹が空いていたので学食へ向かった。
「お兄ちゃんまた同じやつかい? 飽きないねえ」
時々話しかけてくる見るからに人がよさそうな学食のおばちゃんが、昨日と全く同じセリフを繰り出す。
「好きなんですよ、学食の玉子焼き」
「そうかいそうかい」
しわを寄せてにこやかに笑うおばちゃんの顔を見ると朝から少しだけ元気をもらえる。
人の笑顔を見るのは悪いものじゃない。
僕は周りに人がいない窓際の席に座った。スマホで撮った朔太のノートを見る。ノートには重々しい単語が腰を下ろしていた。
尊属殺重罰事件―。
「おもいなあ……」
事件の概要はこうだ。女性Aが同居していた父親Bの首を絞めて殺した。尊属殺というのは子が親を殺害することを言う。そして当時の法律には身内の人を手にかけ帰らぬ人にしてしまったら、死んで償うか一生刑務所から出られない罰を受けなければならない規定があったという。親を殺害するような人間は社会に放っておけませんということらしい。
確かに世間的に子は親を愛すべきもので、大切にしなければいけない存在なのだろう。でも親に愛してもらえなかった子供はどうだろう。それでも親を愛さないといけないのだろうか。愛せるのだろうか。
ノートの先を読み進めようと画面をスクロールとすると突然着信画面に切り替わった。発信者名には「母さん」と表示されている。僕はスマホの画面をテーブルに伏せ、玉子焼きを一切れ口に放った。学食の玉子焼きは今日も甘い。数秒後スマホの画面を表に向けると不在着信が一件となっていた。僕は着信通知を消去した。
株のアプリを起動した。上部にはモルグループの文字が、その下にはジグザグの棒グラフが表示されている。モルグループの文字の隣に+五〇〇という数字が表示されている。
「おお」
心の声が思わず漏れた。
ニュースアプリを開くとモルグループの社長が新規事業に乗り出すとの記事が出ている。そんなこと全く知らなかったがこれで五万円も稼いでしまった。高校生のとき、人と関わらずお金を稼ぐ方法をネットで調べたことがあった。そのときに見つけたのが株式投資だった。大学を卒業したら自分でお金を稼ぐ必要がある。人と極力関わらなくてもいいように投資の勉強は欠かせない。
四限目の証券入門は十五時からなので四時間ほど時間がある。僕はアパートに戻り仮眠をとることにした。
十五時。
「今日の日本平均株価を見た人はいますか?」
証券入門は毎回現役証券マンが教壇に立ち、講義をしてくれる。今日担当の三十歳前後の証券マンのお兄さんが学生一同に向かって尋ねる。講義室の最前列の席に座っている男子学生が垂直に腕をあげた。眼鏡をかけたインテリ風の学生、見るからにチャラそうなスウェットパンツの金髪学生も手を挙げていた。
「手を挙げてくれた人、ありがとう。それでは今日モルグループの株価を見た人はいますか?」
手を挙げる人は一人もいない。僕は挙手したい気持ちをぐっと抑えた。大勢の目の前で自信満々に手を挙げられる人たちをいつも凄いと思う。
「はい、ありがとう。今日の値上がり率一位がモルグループとなっています。モルグループと言えば……」
その後も証券マンのお兄さんが経済の話から今の株式市場のことまでわかりやすく解説してくれた。僕は講義中一度も時計を見ることなく、終業のチャイムが鳴ったときにはじめて終業時間だとわかった。
法学部棟の講義室の出入り口と違い、この授業が行われた一般教養棟のそれはとても狭い。僕は出入り口の混雑と不要な人との接触を避けるため人が出払うのを待って講義室を後にした。
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