衛子の日記
多架橋衛
まんぼう
なんとなく思い出したことがあったからさ、日記に書いてみるんだけど。
小さいころ、よくまんぼうの中を通って友達の家に遊びに行ってたんだよ。
まんぼうだから当然そこまで大きいわけじゃなくてさ。
大人なら腰をかがまないといけないし、子供だったわたしでも、髪の毛がこすれちゃうんじゃないかってそわそわしながら通ってたんだ。
ある時なんて、夏休みをまたいで久しぶりにまんぼうの中を通ろうとしてさ、以前と同じように通ろうと思ったら頭のてっぺんを思いっきりぶつけちゃって、もう血だらけ。夏休みのあいだに身長が急に伸びてたんだな。泣いて家に帰って、母親なんてもう顔真っ青。即病院に連れていかれて、縫ったのは二針だったはず。しばらくは頭にでっかい包帯巻かなくちゃいけなかったし、包帯が取れた後もしばらくは髪の毛が変なことになってたんだよ。
ごめん、話題がそれた。
書きたかったことっていうのはそのしばらく後のことなんだ。
頭の怪我にも懲りず、またまんぼうを通って友達の家に行ったんだ。
怪我の抜糸もすんでたから、九月の終わりくらいだったと思う。
まだまだ外は暑くて、だけどまんぼうの中はひんやりしてたのを覚えてる。
ちょっとだけ頭のよくなったわたしは、体をかがめながらまんぼうに入った。
中はもちろん真っ暗。
十数メートルくらいかな。それくらい先にちっちゃく見える光の塊が出口。
足元に差し込んでた光も、歩くにつれてぷつんて途絶えた。
そのうちに、まんぼうの中の高さと自分の身長の差にも慣れてきて、首をちょっと突き出すだけで歩けることが分かったんだ。さすがにずっと腰をかがめるのはしんどいからさ、すぐに首を突き出す歩き方に変えた。頭のてっぺんがこすれる感覚はあったんだけどね、子供だったから、痛くない限りはそんなに気にしなかった。
で、真ん中くらいまで来たころだった。
それまではやけに静かで、わたし自身の足音がぽおんってまんぼうに響いてただけだったのが。
突然、頭の上でごおおおおおおってすごい音が通り過ぎて行ったんだ。
思わずびっくりしてさ、両耳をおさえてその場にへたり込んじゃったよ。
十秒くらいで収まったんだけどね。
小さくなっていくなって、耳から手を放して、ゆっくり立ち上がって。
その時だったんだ。
背後で、べしゃ、って。
水気を含んだ、柔らかいけど重たい大きなものが落ちてくるような音がね。
あと、臭い。
吐きそうになった。
いきなりすごく強烈な、よくわからない臭いが漂ってきてさ。
後でわかったんだけど、あれは鉄、というか血の臭いだった。
鼻血が固まった後に喉の奥がむわってするでしょ、あんな感じ。
実際は、もっといろんなものが混じってた気もするけど。
とはいえ。
わたしはこれまたいきなりのことでびっくりしてさ。
口元を手で押さえながら振り向いたわけ。
遠くに見えるはずの、入り口の光。
それが見えなかったんだ。
真っ暗。
陰でふさがれてるってわかった。
おかしいでしょ。
それまではわたしの足音以外に物音ひとつなかった。
誰かがついてきてる気配なんてなかった。
頭のてっぺんをこすってたから、頭上に何かがあったらわかるはずだけど、それもなかった。
だから、まんぼうの中にはわたし以外何もないはずだったんだよ。
でも、入り口につながる方向がふさがれてた。
何かがあったんだよ。
何かがいた、のかもしれないけど。
その何かがさ。
うあ……。
ってうめくんだよ。
わたしは走り出した。
それはもう一目散に。
せまいまんぼうの中に、わたしの足音がこだまするんだ。
ダタダタタダタタタダタタタタ、って。
こだましすぎてどれが自分の足音なのかわからなくなって。
足を出すタイミングを間違えて転びそうにもなって。
いっしょにね、後ろから聞こえるんだよ。
何か引きずるような音が。
体育館でマットを引きずるのを、いくつも重ねたような音が。
絶対、追いかけてきてる。
振り返らなかった、振り返る勇気が出なかった。
でも音は近づいてきてる。
追いかけられてる。
何かに。
一生懸命走った。
ふくらはぎが濡れた気がしたんだ。
熱いような冷たいような、ともかくぬるってした液体で。
その直後、わたしはバランスを崩してきれいに前転を決めて。
全身がかっと熱くなった。
目がなんだか痛くなった。
まんぼうから抜け出して、道のど真ん中であおむけになってた。
青い空と真っ白な太陽が見えてた。
わたしははっと気が付いて、すぐさま立ち上がった。
まんぼうのほうが気になって。
何があったと思う?
ぼろぼろの、傷だらけの腕がね、にゅって。
出口の暗闇から生えてたんだよ。
一瞬しか見えなかった。
擦り傷とか切り傷まみれで、血だらけだったのは覚えてるけど。
わたしが見た瞬間、引っ込んじゃって。
もう一度、まんぼうの中をのぞいたんだけどさ。
そうしたら、向こうの入り口がきれいに見えたわけ。
わたしを追いかけていたその何かも、腕も、きれいになくなってた。
ふくらはぎが濡れた気がしたんだけど、それも何もなかった。
いったいなんだったんだろうね。
前転をアスファルトの上できめたものの、幸い怪我はなくて、すっきりしないまま友達の家に行ったんだけど、帰るときはさすがにまんぼうの中を通るのは怖くって、わざわざ遠回りして踏切を探したんだ。
あぁ、そういえば大事なことを書かないと。
まんぼう。
これ、魚のことじゃないよ。
方言らしくってさ、わたしが住んでたところだと、線路下の小さなトンネルを、まんぼうって呼んでた。
嘘じゃないよ。
谷崎潤一郎の細雪にも出てきてるらしいから。
まぁ、ともかく。
つまり、あの何かに追われたのって、全部、線路下の小さなトンネルでの出来事だったわけ。
ごおおおおおおっていうすごい音も、単に電車が通っただけなんだよ。
もしかしたらあの何かは、電車に轢かれた人なのかも、って思ったりもしたんだけどね。
冷静に考えたらあのまんぼうトンネルには入り口と出口以外の光源がない、つまり上から何かが入り込む隙間もなかったってことになる。
だからどっちみち、あれがどこから来てどこに行って、結局何だったんだろうっていう疑問は一切わからないんだけど。
まぁひとつだけ言えることは。
背後でいきなりべしゃって音がして、強烈な血の臭いがしたら、すぐさま逃げないといけないってことだよね。
衛子の日記 多架橋衛 @yomo_ataru
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