6:八十島芳樹-やそじまよしき(再)

 さて、と。


「第72回、姉貴定期報告~」

「「「うわぁあああい……」」」


 俺の小さな掛け声に、絶望顔で拳を弱弱しく上げる人3人。

 時は冬、場所は俺の家、っつーか祖父母の家、だな。親も祖父母もとっくに居ないけど。


「さて笹村、お前を呼んだのは他でもない。てかまた随分とオシャレしてきたな」

「雄大くんに大事な話があるからって言われたからっ……! だからっ……!」

「お前なぁ、学生が家に呼んでプロポーズするとか思ってるのか? それともあれか、俺も結衣も今日は帰らないから、とかそんなことささやかれるとか───」

「わー! わあああ! わあああー!! うわぁあああああんっ!!」


 遮ろうとした声が途中から泣き声に変わった。まあ、すまん。

 悪かったから女の子座りしながら猫の手で目尻ぬぐうえぐえぐ泣きは勘弁してくれ。お前それでも大人ですか。見た目まだまだ若いケド。


「先生のばかぁ……! ぶさいく、いじわるぅう……!!」

「うっせ、馬鹿は余計だ」

「おじさんほんと、不細工も意地悪も否定しないよな」

「自覚あるって、大事なことだからな」

「あの、わたしはちょっと……やです」

「んー……結衣? 俺は気にしないぞ?」

「大事な人を不細工、なんて言われたら、嫌です」

「事実でも?」

「事実でもです」

「いや……ユイ? そこは否定するとこじゃね?」

「不細工でもステキだからおじさんなの! ユーダイだってわかるでしょ!?」

「や、まあ、そりゃおじさんだし」


 その理解はどうなんだ。まあ、否定するとこどこにもないほど不細工おじさんな俺だが。


「そうですよね。先生はあの頃の生意気な私の軽口にも、笑って対応してくれた人で……教え方も上手だったし、なにより生徒寄りの考え方を持ってくれる人で、当時の教師なんかよりもよっぽど……」

「? 先生?」

「あ、いやえっと。……当時の自分を思い出して、ちょっと自己嫌悪……。先生、あの時は失礼なことをたくさん言ってしまって……」

「失礼って? 事実しか言われた記憶がないが」


 不細工とか、笑った顔が気持ち悪いとか、鏡で見ても気持ち悪かったからなぁ俺の顔。

 いつしか慣れたらそれが普通になっていた。鏡の前で今日も不細工だぜ、って暗示かけるんだよ。習慣自己催眠ってやつ。

 ずーっと続けてるとそれが当たり前になって、苦じゃなくなる。

 ただしストレスは当然溜まるので、車にブチ当たる前みたいにいずれ心がやさぐれる。

 今はスッキリしてるけどな。


「……先生は少し、自分への評価が低すぎると思います」

「ですよ───」

「低いからしゃーないだろ」

「ね、って言わせてくださいおじさん!」

「いや、だって考えてもみろ。ガキの頃から不細工言われて、周囲に気持ち悪がられてな? 教師にまで“可哀相だからグループに入れてあげて~”なんて言われた俺だぞ? 運動が出来れば、頭が良ければ、気遣いが出来れば。そんなもしもを期待して、死ぬ気で頑張った。親にも姉は綺麗なのに弟はどうして、なんて陰で言われてた俺だ、劣等感なんて他の誰よりもあって、だから何かで優れてなけりゃあ……もしかしたら捨てられるんじゃないかって必死だったんだよ」

「捨てるって……」

「え? おじさん、それマジで? じいちゃんとかばあちゃん、そんなことを?」

「居なくなった人のこと、今更どうこうってわけでもないけどな。いつからか明らかに差別されるようになった。その差別が、自分が不細工だからって思い始めてからは、好かれようと必死だったよ。なにかひとつでも姉貴より勝ってればって成績表で最高評価取ったりもした。でもさぁ、おかしいんだぜ? そんな立派な成績表を俺に渡す教師がさ、人を見る目してねぇの。そん時、いろんなもんがこぼれ落ちたよ。必死に走ってさ、家に戻って……親に成績表渡して、たった一言でもいいから褒めてほしかった。おざなりでもいい、ほんのちょっとでいいから頑張ったなって言ってほしかったのに」


 ……相手にさえされなかった。

 親は姉貴に夢中で、俺を視界に入れることさえ煩わしそうだった。

 じゃあなんで産んだんだよ。なんで生かしたんだよ。なんで育てたんだよ。

 そんな思いでいっぱいになった。

 けど、やっぱりガキだったんだ。

 どうにかして振り向いてほしかった。言葉が欲しかった。

 だから───足りないだけなんだって思った。

 姉貴と同じくらいの歳になれば、姉貴の成績より上の自分になっていたならきっと───姉貴より強くなれば、姉貴よりやさしくなれば、姉貴より、姉貴より、姉貴より───!


「ガキなりに頑張ったよ。結果として、体力もついたし頭もまあ、家庭教師くらいは出来るくらいに。必死になって努力して、もう嫌だ、って心が爆発しそうになるくらい努力して、そこでようやく立ち止まってみたんだ。どうしたと思う?」

「え……それ、私に訊くんですか? 先生」

「おうお前。……ハッと気づいたら目の前にお前が居た。お前がな、俺の姉貴の話をしてた。嫌味ったらしく“こんな馬鹿丁寧に勉強を教える人が目指すような人なんですから、さぞかし勉強が出来るんでしょうねぇ~ぇえ”って感じで」

「え゛ぅぃっ!? わっ……私、そんなひどかったですか……!?」

「おおひどいひどい。思わず固まって、立ち止まって……振り返ってみて。……そこには、ぐぅたらで馬鹿で、弟にやけに暴力振るうボケ姉しか居なかったんだ。両親なんてとっくに離婚して蒸発しちまって。無責任な親の暴走に巻き込まれた祖父母は、そんないざこざの中で心労がたたって死んじまって。姉貴は姉貴でさっさと結婚して出ていっちまって。俺だけが……愛情なんてもんを知らないまま、この家に残された」


 好きって気持ちはどんな感情なんですか、なんて……誰に訊いたって教えてくれない。

 訊いたところで気持ち悪がられるだけで、親も教師も、入社直後の上司だって教えちゃくれない。

 で、結局は仕事仕事仕事仕事。

 人生仕事こそ墓場だ~って思うのって間違ってるかな。

 結婚が人生の墓場だって言われても、好きな人と結ばれるって時点でまだ救いがあるんじゃないの?

 一時だろうとリア充して、そんな相手と結ばれて~って、それだけいけたならいいじゃない。

 そう……愛情、なんてものを一時でも知ることが出来たんだから、それだけで俺より幸福だ。


「だからな、自己評価なんて低くて当たり前なんだよ。なにせ評価してくれる人がいねぇもの。そんな状況で周りから挨拶みたいに不細工、気持ち悪いって言われてみろ。そんな生活ずーっと続けて、そんな時に車に撥ねられてさ。……正直、ようやく楽になれるって思ったんだ」

「「っ! おじさん!!」」

「死ぬかも、って思ったらようやく長く息を吐くことが出来て……そしたら生きててさぁ。そんな経験したら、なんかもういろいろ自分をよく見せようとするのに疲れてさ。だから、諦めることにしたんだ」

「諦める……? って先生!? 今車に撥ねられたって!」

「おう諦めた。撥ねられた。んで、先人の言葉に倣ってみることにしたんだよ」

「そんな大事なこと、笑い事みたいに流さないでください! ……せ、先人?」

「おう。他人の不幸は蜜の味……だったか? なら俺が不幸の道を突っ走りゃ、少なくともこいつらは幸せになれるって思った」

「先生、それってただのやけっぱちみたいなものじゃ───」

「馬鹿お前馬鹿かお前馬鹿そんなんやけっぱちにでもならなきゃ馬鹿できるわけねぇだろうが馬鹿かお前この馬鹿」

「先生それやめてください教え子の頃にそれやられて私がどれだけヘコんだと思ってるんですか!」

「やられてから真面目に勉強聞く気になったんだろが。あの頃のお前ほんっとめんどかったぞ」

「はうぐっ……! じ、自覚してるだけに言い返せない……!」


 へにょりとヘコむ笹村……はともかくとして。

 ちらりと双子を見ると、むすっとした顔でこちらを見ていた。おー、怒っとる怒っとる。


「おじさん……わたしもユーダイも、そんなの頼んでない」

「そうだぜ叔父さん……俺は叔父さんの不幸で幸せになんて───!」

「二人とも、子供の頃によく俺のプリンねだってきたよなー♪」

「「うぐっふ!?」」

「俺が隠しておいたカップラーメンとかも見つけて勝手に食べちゃうしなー♪」

「「はぐっふ!?」」

「楽しみにしていた俺の幸福の味はどうだった? 二人とも」

「「ごっ………………ごめんなさいぃ……!!」」


 「先生……本当に容赦ないですね……」なんて笹村に言われつつ、まあ、と呟いた。


「そんなわけで報告定例会だ。ぶっちゃけ俺は姉貴が好かん。けどもう水に流すことにした。諦めたしな」

「あ、はい。わたしもいまのおじさんの話でお母さんのこと嫌いになりました。いえ、厳密に言えば祖父母ですが。お母さんのことはそのー……」

「あれだろユイ。……“気づけよ! 止めろよ! 何処見てなに暢気に過ごしてんだ!”だろ」

「ん、採用」


 ずびしとユーダイを指差し、うんうんと頷く結衣。姉弟間では強気になれるのになぁ。


「まあ、俺の過去のことで姉貴になにを言ってもどーしょーもないよ。姉貴は知らなかった。そこんところは親が徹底してたからな。で、俺がこうして鬱憤を口にしたのは、誰かに話すことで、もう引きずることがないようにってところだ」

「先生……」

「結衣とユーダイはどうだ? なんか、姉貴に言いたいこととかあるか? あ、俺に関係することはスルーでな。姉貴はほんと知らんかったんだからどうしようもなかった。じゃ、結衣」

「え? えと…………産んでくれてありがとう。わたし、叔父さんと幸せになります」

「───、ユ、ユーダイ」

「産んでくれてありがとう。俺、叔父さんの教え子と幸せになります」

「…………笹村?」

「お子さんを産んでくださってありがとうございます! 私は雄大くんと幸せになりつつ、先生……弟さんと娘さんの幸福を全力で応援します!」

「てめぇら本当は俺の幸福願ってねぇだろ!!」

「「「とんでもない!!」」」

「うそつけぇ! それ姉貴に言ったら俺がどうなるかくらい想像つくだろ!!」

「あっれー? 先生諦めたんじゃなかったんですかー? どうでもいいんじゃなかったんですかー? これはお義母様に伝えると私達がとぉっても幸せになれることなので、是非ともお伝えくださーい」

「笹村テンメッ……!!」

「あの……わたしも、お母さんにはちゃんと報告したい、です」

「結衣!?」


 笹村はともかく、おず、と手を上げて言う結衣に、おじさんびっくり。

 さらにはユーダイまで頭の後ろで腕組んで、たはーと息を吐いてから提案に乗る始末。


「そろそろきっちりしよーぜ叔父さん。あのプロジェクトマザーとプロジェクトファーザーに、俺達は俺達でよろしくやってますよーって」

「や、けどなっ……」

「だってさぁ」

「あの、おじさん?」

「「あの人、向こうで子供作って幸せしてるんでしょ?」」

「!? しっ……知って、た……のか?」

「そりゃ聞こえるって。田舎の、お隣さんと距離の離れた家だもの。近くに居なくてもおじさんの驚く声とかまあ、いろいろ」

「あの人が幸せしてて、なのに叔父さんが幸せしてないの、わたし達は嫌です」

「そうそう。だからさ、叔父さんが幸せになれるならなんでもいいんだ。あ、だからって理由でユイを差し出すー、とかそんなんじゃねぇからな?」

「当たり前でしょばかっ! わたしはちゃんと、わたしの意思で叔父さんにぞっこんなんだからっ!」


 なんてこった、人の口に戸はなんとやら、秘密はあっさりとバレてしまっていた。

 まああれだ、姉貴。……これはさっさと言わなかったあんたと、会話をさせなかった俺が悪いわ。

 ん? あれ?


「待て。じゃあなんだってお前ら、あんなどんよりした反応してたんだ?」

「それは……だって」

「ほら……なぁ?」

「「歳の差恋愛なんて認めてもらえるかどうか……」」

「「あああもう姉弟だなぁあ……!!」」


 笹村と二人頭を抱えた。

 まあ、笹村も二人と同じ理由だろうが。

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