PSYBERNETICS
@eyecon
Prologue:0ㅤ『With or Without You』
{ㅤLexaOS CP NO:23880610 ("Cian") install starting……ㅤ}
ㅤインストールされていく。私のデータが「鏡」の中へと送り込まれる。深層意識は記号化され、白く表示されたプログラミング言語の波を生み出す。渇いた肌に水が染み込むように、ゆっくりと、ゆっくりと。プログラムは変換され、意識ごと飲み込んでいく。鏡と同期し、最適化されていく私の体。10%……40%……70%……。
{ㅤ……complete.ㅤ}
{ㅤLexaOS("Cian") program loading.ㅤ}
ㅤインストール完了の通告。深層意識データの完全覚醒。
{ㅤusing "Persona Garden" , please approve.ㅤ}
ㅤ機械音声が語りかけてくる。ユーザーからの承認を要求している。私は静かに頷いた。
ㅤ
{ㅤconfirmed approval.ㅤ}
{ㅤprogram "Persona Garden" start up.ㅤ}
ㅤブゥン……という音と共に、周りにフィールドが展開される。感情のない白磁色に塗り潰された、立方体の空間。縦横それぞれ25メートル程だろうか。人が佇むには広すぎるくらいだが、全体で言えば酷く狭い世界。ここが私の、虚構庭園なのだ。この形は個々によって違うらしいが、私のそれはあまりにも殺風景である。まるで、生物実験の隔離部屋のような閉鎖感に満ちている。
ㅤその空間の真ん中に、黒い椅子が一つ置かれている。隣には、赤い椅子が一つ。私はいつものように、黒い椅子の方へ歩いていく。靴音が空間に虚しく響くのを聞きながら、私は黒い椅子へと腰掛けた。
{ㅤいらっしゃい、シアン。ㅤ}=.readttxt("Vale");
ㅤ赤い椅子の方から、声が聞こえてきた。その声はまるで脳内に直接語りかけるように、立方体の空間の中を無数に反響する。私は、声がした方へ顔を向ける。
ㅤブロンドのミディアムヘア、華奢な体に白い肌。年齢は30代程。白いワンピースを着た女性が、赤い椅子に腰かけている姿があった。彼女は、ビードロのように澄んだ蒼い眼差しを向けて、私に微笑みかけている。その表情の裏に、何かを含んでいるかのように。
ㅤ私と"同じ姿"をして。
この『女性』は私自身。いや、正確に言うのであれば、私の中に潜んでいる『妹』の残骸だ。昔消えた妹の、思念データ。
ㅤ私は『シアン』、彼女は『ヴェイル』。目の前に座っている妹は、虚構庭園が作り出した空想上の産物に過ぎない。しかし、私が呼び出している訳では無い。私の意思とは無関係に、ヴェイルはこの空間に現れて、突然、話しかけてくるのだ。
ㅤ 窓も扉も電気もなく、二つの小さな椅子が置いてあるだけのこの空間に、私と彼女は存在している。自然光も入ってこないというのに、私と『彼女』と椅子の色だけ、妙にコントラストがはっきりしている。私の深層意識が理解させているのだ、私自身の存在を。ここが私の居場所だと言わんばかりに。
{ㅤまたここへ逃げてきたのね。どうして?ㅤ}=.readttxt("Vale");
ノイズ混じりの無垢な声で、彼女は私に聞いてくる。
ㅤヴェイルの性格は、私とは真反対。私が内気で消極的な性格に対し、彼女は勝気で積極的な性格。だからいつもそう言って、私をからかって来るのだ。どうして?と聞かれても、『私の性分』と答えるしかない。強いて言うのであれば、過去の出来事の積み重なり……だろうか。
根源的なところで言えば、私がまだ人間だった時に形成されていたDNAデータの配列によって『無意識』がほぼ確定的に作り出されたから、という答えになる。記憶やDNAに刻まれた事実や感情は、データ化した状態でも反映される事が判明している。しかし、決定された『無意識』とは別に、『性格』は環境によって左右されるもの。これに関しては、私も反論出来ない。
クロニンジャーという精神学者が提唱した、『7因子パーソナリティ理論』がこれに当たる。端的に説明すると、これは人格を作り上げる七つの要素を定義付けしたものだ。その中の『新奇性探求』『損害回避』『報酬依存』『固執』、これらは含めて『無意識』と呼ばれ、決して変えることは出来ない遺伝的なもの。その他『自己志向性』『協調性』『自己超越性』、この三つはいわゆる『性格』と呼ばれている。生まれた後、徐々に形成されていくものだ。
そして私はこの中の『損害回避』を形成する『セロトニン』と呼ばれる物質の働きが強かったのだろう。悲観的であり、心配性。常に先にある危険を恐れ、行動を抑制し生活する。これはDNAデータに刻みつけられた決定的な事象であるから、変えることなど出来はしない。
{ㅤ変えようともしない、でしょ?ㅤ}=.readttxt("Vale");
にやついた表情で彼女は嘲った。まるで私の心を見透かしたように。
決して自分を変えようとしていないわけじゃない。ただ恐ろしいのだ。他人の視線から感じる、私への眼差しが。それはもう、大勢の観客が見守る舞台の上に、一人だけ突っ立ってスポットライトを浴びせられる演者のようなもの。舞台の上でのミスは致命的だ。少しでもミスをしたら、観客は嘲笑い、冷たい視線を送る。とても耐えられるものではない。
私はいつも、成功と失敗の瀬戸際を感じながら芸を披露する、演者の気分なのだ。他人はみな観客。そして私を抑制する、セロトニン。
{ㅤ目に見えない物質のせいだなんて、データ化した今じゃ意味をなさないわよ?ㅤそれに、あなたは舞台に立つ度胸もないじゃない。ㅤ}=.readttxt("Vale");
椅子から立ち上がり、私の目の前に立つと、皮肉を込めた口調で彼女は笑う。正直少し鼻についた。分かっているのだ、そんなことは。あくまでも例えの話。そしていつまでも変わらないであろう、私にとっての負の寄生虫的思考心理。
{ㅤ『プラシーボ効果』みたいなものよ。常にそう思い込んでたら、変えられるものも変えられない。ただし薬を与えてしまえば、あなたの悩みは治ってしまう可能性もある。結局思い込みの部分が問題なだけ。事実あなたは、私と喋っていると思い込んでる。そうプログラムされているかのようにね。ㅤ}=.readttxt("Vale");
揚げ足を取るように、得意げに語るヴェイル。まるでカウンセラー気取りだ。ただ私は、それに反論は出来なかった。おそらくその通り、事実だろうから。
思い込み。結局はそういうことだろう。
{ㅤ元々人間のDNAデータは複雑よ。思い込みは時に毒にも薬にもなる。あなたはそれを、データ化した今でも上手く扱えていないのよ。だからこそ、あなたは私を生み出した。そうでしょ?ㅤ}=.readttxt("Vale");
そう、かもしれない。私がなれない私を、彼女に押し付けた。いわば彼女は『新奇性探求』を形成する、『ドーパミン』物質の擬人化とも言える。私に行動を起こさせ、積極性を伴わせる、己が作り出した精神的な療法。
ㅤだが私は、胸の中でわだかまりが生まれて仕方がない。私が作り出したのであろう彼女は、いとも簡単に積極的に振る舞えてしまうから。
{ㅤあなたはただ、本当の自分自身を理解しようとしていないだけ。ㅤ}=.readttxt("Vale");
本当の、自分自身。私には、彼女の言葉の本質が分からなかった。いや、もしかしたら本当は分かっているのかもしれない。真実から目を逸らしているだけで。
{ㅤ私が手伝ってあげましょうか?ㅤ}=.readttxt("Vale");
黙って椅子に座っていると、ヴェイルはゆっくりと背後へ回ってきて、そう呟いた。 まただ。私が悩んでいると、いつも余裕を秘めた態度でそう言ってくる。まるでゲーテの『ファウスト』。私はファウスト博士で、ヴェイルは悪魔のメフィストフェレス。彼女の言葉は悪魔の囁きであり、私の心を狂わせる元凶。まるでそれが正しいことのように、彼女は私に言い聞かせてしまう。
{ㅤ私が『悪魔』とは、限らないわよ?ㅤ}=.readttxt("Vale");
そう言って笑みを浮かべた彼女は、私の肩に手を置いて、耳元で言葉を続けた。
{ㅤあなたが私にとっての、『悪魔』かも。ㅤ}=.readttxt("Vale");
私は何も言えなかった。彼女から見たら、私は見事に負の塊でしかないのだから。私の身を通して、自身の足を引っ張っているのはどちらか。考えるまでもない。
{ㅤ私はあなたを正そうとしている。でもあなたはそれを素直に受け入れない。この相反を善と悪で捉えるなら、あなたの方がよっぽど悪でしょう?ㅤ}=.readttxt("Vale");
ㅤ彼女の言葉は正論だ。主人格の定義はこの際無意味。そもそもどちらが先に形成されたかなんて証明はできない。それこそ鶏と卵のジレンマのように。
ㅤ脳に留まっている記憶は、単なる形だけ。自身の存在を確認できるのは、確立された自我によって思いを巡らせている、今現在の時間軸のみ。結局過去の時間から証明をするには、その記憶の中身で判断するしか、私には出来ない。だからこそ、ここで私が正しいと言うことも出来ない。
{ㅤでもね、私はあなたを否定しない。なぜなら『必要悪』だからよ。悪魔が居なければ、人々は神による御加護の有り難みを理解しない。なぜって?ㅤ罪を理解出来ないからよ。逆にあなたが私を悪魔だと捉えるなら、それもまた必要な事。自身を正当化する捌け口になるものね?ㅤ}=.readttxt("Vale");
ㅤヴェイルはそう言って、私の右肩を人差し指で突いてくる。彼女は分かっているのだ。答えを。だが私はいつも、その答えを認めるのが悔しくて、「自分でやる」と答える。ここで意見をしなければ、私という人格が無意味に思えてしまうから。
{ㅤだったらさっさとやればいいのに。ㅤ}=.readttxt("Vale");
彼女はそうやって、悪態をついた。私だって、こんな心の貧弱な自分が嫌いだ。むしろ憎くもある。コンプレックスである自身の性格を理由に、彼女に頼ることが。
私はいつもそう。人生にとって重要な選択肢が迫った時、いつも彼女に頼っていた。曖昧な理論ばかりで自身に言い訳をし、逃げていたのだ。それに彼女の方が、より効率的な考えを持って行動できるから。
ㅤそもそも、自分なりの考えを見出そうと考えたことは、それほどなかった。重荷や責任をヴェイルに全部投げていただけ。ヴェイルのせいにしていただけ。その方が、私という存在として楽でいられるから。
隣で私を見守るヴェイルの目は、嘲りで満ちている。待っているのだ、私が折れるのを。以前のように、変わることはないと。それに対して私は、結局彼女という存在を頼ってしまう。母に甘える子のように。
{ㅤそれでいいのよ、ヴ◼ア掀※¥¿ル。ㅤ}=.readttxt.("&#%");
ヴェイルはそう言って笑った。自身の名を呼んで。多分この先も、こうして彼女の力を借りることになるだろう。私自身を押し殺して。だが、これから彼女の言うとおりにしたとして、私の人格は必要だと言えるのだろうか?
{ㅤあなたは("error")よ、そしてワたシは("error").ㅤ}=.readttxt("&#%");
彼女は呟く。もし彼女が私の思い込みの類で、どちらも私自身であったとする。そうなれば選択したのは自分であり、選択を見出したのも自分だ。つまり結局は私が決めた、というだけで終わる話だ。でもそれでは、自己矛盾になってしまう。
{ㅤsystem error, forced shutdown.ㅤ}Activates the preliminary control("Persona Garden");
じゃあ彼女はなんなのか?私の存在の意味は?
それを証明するものは何も無い。例え私か彼女が消えて、どちらかの人格だけが残っても、それは私たちだけしか観測しえない事実であり、誰も気にしないだろう。 だったら『私』という人格に固執する必要があるのだろうか?いっそのこと、ヴェイルに人格を明け渡してしまえば……。
ㅤだけど、それは出来ない。それはつまり、自身を否定し、私の人格を消すという事。そうしたら残るのは、ヴェイルの人格のみ。私でないものに私の体を明け渡すほど、恐ろしいことは無い。
結局自身の人格に嫌気がさしていても、私は私の身が一番大切なのだ。これまでの記憶も、全て私という存在があってなり得たものである、はずだから。私は彼女で、彼女は私。私が私でいられる方法は、ただの一つだけ。だから私は今日の日も、ヴェイルを演じて生きるのだ。それがきっと、正しいことだから。
{ㅤDanger!ㅤDanger!ㅤ"Persona Garden"system shutdown.ㅤ}uninstall("Cian");
けたたましい警告音と共に、背後にいる彼女から『フフッ』という笑い声を聞いた気がした。ふと視線を下ろすと、いつの間にか私の椅子は、赤色に染まっていた。
◇
ㅤ
ㅤもう何年、こんな事を続けているんだろう。自分が分からなくなる。今の私は結局なんであるのか、それを証明する術が見つからない。もしかしたら今の私は『シアン』ですらないのかもしれない。
ㅤ人は今や、電気信号で出来た、複雑な倫理構成プログラム。その構造は複雑故に絡み合い、酷く脆い。人類が300年前に完全に「データ」と化した時、それは証明された事だ。
ㅤ最早魂という考え方すら無い私達にとって、自身を証明する事は困難になっている。皆それは分かっているはずだ。宗教観も変化し、神の存在を書物上で書き換えてまで、データの存在である事を神仏の所業と捉えている始末。長い年月もの間、肉体を捨てる事を否定してきたというのに。
ㅤ結局、私達は何かに逃げていないと生きれない。どこかで自身を正当化しないと、いつか壊れてしまう。そもそも生きるという概念ですら、今はあやふやになってしまっているから。
ㅤ私たちは本当に、「生きて」いるんだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます