「裏」初めて会ったわけではない

 俺は芹、瀬兎の護衛だ。

 今は、途中で来てくれた赤城あかぎ様にここを任せて、瀬兎と稷が入っていった部屋に向かっている。部屋の外には誰も居ない。あの二人が中に連れ込んで倒してくれたんだな。

「瀬兎、稷、無事か?」

 扉を開けて、二人の名を呼んだ。

 誰も答えない。人の死体が転がっている部屋の隅に、見覚えのある者が居た。瀬兎だ。

 彼女は無意識的に貼ったのか雑な結界に守られていた。近くに稷は居ない。

 おそらく、稷が消えたショックで結界を貼ったのだろう。彼女の涙がそれを教えてくれた。血の涙だ…

 それを見た瞬間、俺はある一人の女性の顔が脳裏をよぎった。

 我らが妖の王だ。

 王も、死んだ時に血の涙を流していた。俺は特別王を愛していたわけではないが、それでも大事な方には変わりなかった。だから、今俺が守っている瀬兎を同じ様にはしたくない。稷が居なくなった事で、三人で旅に出る。という瀬兎の願いは叶わなくなったが、瀬兎が生きているだけで、俺にとっては十分だ

「この結界を解かなきゃいけないのか。面倒だな」

瀬兎の周りを包んでいるこの結界は、簡易結果とも挟間結界とも違う、霊力を固めただけの『霊魂結界れいこけっかい』、本人の意思で解くのは簡単だが、外から解くのは容易ではない。それでもやるしかない。

「俺には、瀬兎の霊力に劣るから、やっぱり血の力を使うしかないか」

 先程の戦闘で傷付いた所を深く切り、霊魂結界の元に血を流した。

『固く閉ざしたその霊力を、今解き放て、結界術、解!』

 妖の、いや、千年前の戦争に参加した妖の身体には、ほんの少しだけ、王の血が流れている。もちろん王に近い妖ほど、俺なんかより遥かに多くの王の血が流れている。そしてこの血には、破壊の力が含まれているから、どんな結界でもたやすく解けるのだ。

 宝石の様に固く固まっていた結界が解けていく。

「瀬兎、大丈夫か?」

「…芹?」

「あぁ。瀬兎…何があったのか話してくれないか?」

「…っ!き、稷が消えちゃったの!」

 あぁ、やっぱりそうか。あいつは死んだ…のか。守れなかったな。でもあいつは瀬兎を守った。立派なやつだ。そうだ、俺は稷に託されたんだ。瀬兎の命を。幸せを。

 目の前で涙を流す瀬兎を見て誓った。

は絶対に守ってやる」



「やっぱり、霊力の強い瀬兎の血は凄いな」

 俺達はあれから、部屋を、宮殿を抜け出し、『挟間結界』の中に入った。

 本来なら、使わずにここを出るつもりだったが、そうはいかなくなったからだ。結界を保つには、たくさんの霊力と身体の一部が必要になる。俺の背中で寝ている瀬兎にやって貰うわけにはいかず、かといって俺の霊力では、挟間結界を形成してもすぐに壊れてしまう。でも、瀬兎が血の涙を流していたおかげで、簡単に作り出すことが出来た。

 妖の国にも王が作り出した挟間結界があったが、国の全てを囲えていたわけでもなく、王が模索していた隠世かくりよも、完成することなく、王は死んだ。作り出した結界の一部は今も残っているが、ほんの一部しか無いから、全ての妖が入ることは出来ない。

「あの方が亡くなられなければ、今頃隠世は完成してたはずなのに…」

 だから俺は人間が憎い、王に出会う前も、出会ってからも、それは変わらなかったのに、瀬兎は全く憎くない。むしろ瀬兎といる時の方が、幸せな時間だったと思う。

 思えば、俺たちの出会いは少し変わっていた。


         ○


 俺は赤城様の元で暮らしていた。自分の愛する者も死に、行く宛も無く彷徨さまよっていた時に、赤城様が拾ってくれたのだ。

 そしてあれは、二十二年前の事だ。その日は、いつも以上に熱く、太陽がギラギラ輝いていた。俺は、どこよりも涼しい森の中を歩いていた。

 その日、俺は瀬兎と出会った。

 瀬兎との出会いは不思議なものだった。森の中を歩いていたら、突然、何かが割れる様な大きな音がしたんだ。周りに居た妖も動物達もびっくりして、どこかへ消えていってしまった。何事か気になった俺は、音がした方へ向かった。

 そして、その先にあったものに、俺は酷く驚かされた。何かが割れる様な音は、どうやら人間には聞こえない音だったらしく、周囲には誰も居なかったが、俺の目に入ってきたのは、一歳程の人間の女の子。そうこれが、後に俺の主人となる瀬兎と、俺の出会いだ。

「赤い髪…」

 その子供の赤い髪が酷く目につき、同時に自分の目と、妖の王の髪と同じ色であることに嫌気がさした。

「人間と一緒なんて」

 赤は血の色、不吉な色として伝えられていたから、自分の赤い目が嫌いだった俺にとって、王と同じ赤である事は、不吉では無いと証明するものだったのに、よりによって人間にも生まれてくるなんて。とその時は思ったんだ。

「た、大変!」

 しばらく、俺と子供が睨めっこをしていた所に、赤城様が到着した。そして、子供に近づき、なんと抱き上げたのだ。

「あ、赤城様…そいつは人間ですよ?」

「えぇ、分かっているわ。人間に渡して来なきゃね。」

 その言葉を聞いてホッとした。正直、ここで育てるとか言わないか、そわそわしていたんだ。ふぅと、肩を撫で下ろしていると、赤城様は思いがけない事を言った。

「この子一人じゃダメなのに…まだまだ時間はかかりそうね」

 と、この言葉の意味は未だに分からない。でもきっと何か起こると思った。でも何年か経った時にそれが確信に変わった。

 瀬兎と名付けられたその少女は、赤城様から引き取った風雅の都の王によって、育てられ、どう育ったのか、妖好きになっていた。

 王女でありながら、森に出かけ、怪我をした妖が居ないか探し、見つけたらその場で治療する。当然妖から好かれていた。俺は冷ややかな目で見ながらも、少し気にかけていた。


「ねぇ、いつまでそこから見ているつもり?」

 突然言われ驚いた。彼女が話しかけてくるのはこれが初めてだったからだ。

「別に、妖達がお前の事を話していたから見に来てるだけだ。」

 と、冷たい態度で言ってやったのに

「あっそ」

 と、逆に冷たい態度で返された。妖相手に強気な人間は狩人以外で初めてだ。

「ねぇ!あなた妖術が使えるでしょう?見せてよ」

 話しかけられてびっくりしたのは俺の方で、彼女は狐の俺を見ても動じなかった。妖は見慣れている様だ。

「つ、使えるが、何がしたいんだ」

「私、強くなりたいんだ!そのために刀も霊力も使える様になりたい」

「なんで俺なんだよ。宮殿には教えてくれるやつたくさんいるだろ」

「…みんな、私のこと嫌いだから。この髪が気味が悪いって」

 悲しげな顔でそう言った。そうだろう。妖にとっては決して珍しいものではなかったが、人間には無い色だろうからな。

 それから彼女は何かに気付いたかの様に、首を傾げた。

「ねぇ、どうして私が宮殿に住んでる事を知っているの?」

「え、それは…王都の近くまで行った時にお前を見たからだ」

「へー、そうなんだ」

 彼女のその物の言い方に、気付かれているのでは無いかと思ったが、本当の事は言えない。言える訳がない。妖に拾われ、王都に預けられたなんて。

「なぁお前、妖が怖くないのか?」

 妖の治療をしている今でこそ、怖くは無いだろうが、昔は怖かったに決まっている。それに彼女が出会った妖は、小さい者がほとんどだったから、俺みたいな少し大きな妖は初めてだろうし、

「怖くは無いわ。妖だって人間と同じ。同じなのに、妖だからってだけで人間達はあなた達を嫌っている。でも私は、そう思う人間の方が愚かだと思うのよね。」

 彼女のその言葉を聞いて、酷く心を動かされた事は今でも覚えている。


 それからというもの、瀬兎は毎日森へ来るし、俺もなんだかんだで気になって、毎日のように会っては言葉を交わしていた。

「なぁ、瀬兎はなんでそんなに妖が好きなんだ?」

 ずっと思っていた事を口に出してしまった。きっと、人間の元には居場所のない瀬兎に聞いてはいけなかった質問だろうに、瀬兎はこう答えた。

「妖は愚かだ。知能が低いが故に人を襲う。だが決して、感情がない訳では無い。人間と同じ様笑い、泣く。だが、人間達はそれを理解しようとはしない。自分達とは違う、ただそれだけで、私達の生活を一瞬で壊した。ならば、なぜ動物にはそうしない?人間とは違う者、理解しあえないものでは無いか。人間の事は理解出来ん。だから、妖と人間の争いが度々あるのだ。」

 と、確かその言葉は、妖の王が残した数々の言葉の中の一つだったはずだ。記録に残したとは聞いていたが、妖の字で書かれているから瀬兎には読めないはずなのに…

「この言葉は妖の王の言葉なんでしょ?」

「なぜその話を知っている。その本は、妖しか読めないはずだ。」

 うーん。と、瀬兎が顔をしかめ、首を傾げてる。そして

「妖の字って古典語なの?」

 と、聞いてきた。

 そうか。古典語で書かれているから人間の瀬兎にも読めたんだ。ぬえ様はやはり賢い。人間が古典語を使わなくなったと知って、わざと書いたのだろう。

「妖にも、人間と同じ様に妖だけの字がある。まぁ、暗号みたいで読める奴は極一部だけどな」

「芹は書けるの?」

「ん?あぁ…少しな。昔は鵺様に教えてもらってたから」

「その鵺様は今どこにいるの?この本書いたのも、その鵺様なんでしょ?」

「そうだ。だけど今どこにいるのかは知らない。俺はいつか、この国を出て、鵺様を探しに行くのが夢なんだ!」

「いいなぁ、その時は私も連れて行ってよ」

 しまった…と、口に出してからそう思った。瀬兎は王女だ。そう簡単に国を出られる筈がない。彼女も分かっているのだ。だからあんなに、希望を持たない様な暗い顔をしながら言ったんだ。

 あぁ、瀬兎はなんて哀れなんだろう。生まれた時から自由なんて無い、おまけに王家の妹がいるから、王として生きる未来はない。いっそ俺が連れ去ってやりたい。けどこの結界からは簡単には出られない。瀬兎の生きる道なんて、限られているんだ。

「あの方なら、変えられるかもしれないな」

  気付いた時には、もう言葉に出してしまっていた。瀬兎がキラキラした目で見ている。

「あの方って!?」

そんな顔をされたら、紹介するしかないだろ…

「くっそ。なぁお前、そんなに強くなりたいのか?」

「なりたい!私が王になっても喜ぶ人は居ないけど、戦えたら用無しとは言われないかな?って。だめ?」

「…あぁもう!分かったからそんな顔をしないでくれ」

俺は相変わらずこう言うのに弱いんだな…頼まれると断れない。

「本気なんだな?」

「えぇもちろん!」

「…ついて来い!」

 俺は仕方なく瀬兎を連れて行く事にした。俺が赤城様と暮らすあの家に。そう、これが瀬兎との出会いであり、瀬兎が強くなった理由。そして、今に至るまでの出来事だった。

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