12月10日【3両目】


 さて、そうしたら、ゆうちゃんたちはいつ、この気動車を降りれば良いのでしょうか。降りようと思えば、いつだって降りられるはずなのです。だって、これはゆうちゃんの夢なのですから。

 だけど、その前にちょっと見ておきたいところがありました。


 ゆうちゃんが立ち上がると、「降りるのかい」とおじおじいさんが言いました。ゆうちゃんは首を横に振って、連結部分の扉を指差しました。

「3両目を、見てこようと思って」

 そうしたら、おじおじいさんは何とも言えない表情をしました。何か言いたくて、でも言葉が喉仏の辺りでつっかえている。そんな表情です。

「気を付けておいで」

 と、おじおじいさんは言いました。ゆうちゃんはよく分からないまま、「はい」と答えました。


 どうして、おじおじいさんは「気を付けて」などと言ったのでしょう。その答えは、3両目へ続く扉を開けた瞬間に分かりました。

 真っ暗です。

 気動車の外に出てしまったのかと、ゆうちゃんは思いましたが、足元からは確かにエンジンの振動が伝わってきます。でも、真っ暗なのです。

 引き返そうとした時、小さな子供の手が、ゆうちゃんの腕を引っ張りました。ゆうちゃんが3両目の車両の床に倒れると、その後ろで、連結扉が閉まりました。


『ゆうちゃん、どうしてこけたの。大丈夫?』

 肩の上で、ミトラが心配そうな声を出します。

『真っ暗だね。ゆうちゃん、さっきのろうそく、ある?』

 そうです。ゆうちゃんは思い出しました。そういえば、ゆうちゃんはチョークで描いたろうそくを持っていたはずなのです。思い出したとたん、ゆうちゃんの手には白い燭台が握られていました。白い炎も燃えたまま。辺りが照らされます。

「あっ」

 と、ゆうちゃんは小さく悲鳴を上げました。


 3両目は真っ暗だけれど、決して無人ではありませんでした。それどころか、1両目よりもずっとたくさんの人が、それこそ、座席におさまりきれないほどの人が、密集して立っているのです。

 奇妙な満員電車でした。誰も、吊り革に掴まっていません。棒立ちのまま、気動車の動きに合わせてぐらぐら揺れています。こんなに満員なのに、隣の車両に移ろうとする人はひとりもいません。みんな、首を直角に曲げて、自分の足元だけを見ています。

『ゆうちゃん、戻ろう』

 ミトラが言いました。

『ここ、面白くないもん。ここ、お墓だもん』

「おはか?」

『ゆうちゃん、戻ろう。戻ろうよ』

 ミトラが急かしましたので、ゆうちゃんは戻ることにしました。

 けれど、どうしたことでしょう。2両目へ続く扉が開きません。たった今、ここを開けて入ってきたばかりなのに。鍵なんてどこにも見当たらないのに。どんなに力を込めても、びくともしないのです。


『ゆうちゃん、戻ろう。ゆうちゃん、ゆうちゃん』

 焦れば焦るほど、扉は頑なに閉ざされるようでした。

「開かないの」

 肩に乗っているミトラを振り返ったとき、ゆうちゃんはぎくりとしました。

 さっきまでうつむいていたはずの乗客たちが、全員、ゆうちゃんとミトラを見ています。その顔の、両目があるはずの部分には、ゴルフボールくらいの大きさの穴が、ぽっかり空いていました。たくさんのゴルフボールが、ゆうちゃんを、ミトラを、じいっと見つめて……いいえ、睨んでいます。

 だって、ここは墓場なのです。墓場にいるものが、動いて、喋っているなんて、おかしなことなのです。ゆうちゃんとミトラの方が、おかしいのです。


『ゆうちゃん、ゆうちゃん、戻ろうよお』

 泣きべそをかき始めたミトラを、ゆうちゃんは腕の中に隠しました。そして、乗客たちに背を向けて、足元に視線を落としました。じっと動かずにいれば、見逃してもらえるかも知れません。黙っていれば……うつむいていれば……。



「あれの真似をするんじゃない!」

 声がして、視界に光が舞い込んできました。扉が開いたのです。おじおじいさんが、ゆうちゃんの腕を掴んで、2両目に引っ張り出しました。

「あれの真似なんかしていたら、あれになってしまう」

 扉を閉めて、おじおじいさんは険しい表情で言いました。それからすぐに、もといた座席に戻ってしまいました。


 床にへたりこんだままのゆうちゃんと、めそめそ泣いているミトラ。キンコーン。気動車の中に、車内放送の甲高いチャイムが鳴りました。

 気動車は徐々に速度を落としていきます。

「次で、降りようね」

 ゆうちゃんはミトラを撫でて慰めながら、子供をあやすような声で囁きました。ミトラは、大きな目玉をうるませながら、うんうんと頷きました。



 今夜の夢は、ここでおしまい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る