夜と星とを数えて紡げ【アドベントカレンダー2020】

深見萩緒

12月1日【夢の瀬】


 ゆうちゃんは、気付くとそこに立っていました。ずうっと向こうまで続くクスノキの並木道。大きな石の鳥居があって、ゆうちゃんは鳥居の真下にいるのでした。

 こんなに立派な鳥居があるというのに、前を向いても後ろを向いても、神社はどこにも見当たりません。

 けれど、鳥居があれば神社もあるはずだというのはゆうちゃんの思い込みでしかなく、鳥居だって鳥居だけで立っていてもいいはずです。ゆうちゃんがたったひとりでここに立っているのと同じように。


「ここはどこ、わたしはだれ」

 ありきたりなセリフを、ゆうちゃんは呟いてみました。私は誰。については分かっています。ゆうちゃんはユウカという名前で、もっと言えば広原優香ひろはらゆうかという大人の女性です。

 ほら、ゆうちゃんはビジネスカジュアルな服を着ているし、ヒールのあるパンプスを履いています。どこからどう見ても、立派な大人の女性です。それを、ゆうちゃんもちゃんと分かっています。だから、私は誰。と呟いたのは、ほんの冗談。


 だけど、ここはどこ。については本当にそう思っているのです。辺りを見回してみても、これといって見覚えのあるものはありません。クスノキ並木はざくざく揺れているし、石の鳥居はじっと黙っているし、空は暗くて星ひとつなくて、ずっと見ていると吸い込まれてしまいそうです。

 ゆうちゃんは段々、心細くなってきました。頼みの綱のスマートフォンも、なくしてしまったようでした。

「誰か、いませんか」

 ゆうちゃんは大声で呼びました。

「誰かあ、いませんかあ」



 すると、『はあい』と返事が聞こえました。とても小さな、子供みたいな可愛い声です。

「どこ?」

『ここだよ』

「どこよ?」

『ここ、ここ!』

 声のする方、ゆうちゃんの足元に、目玉がありました。

 目玉は目玉。人間の目玉です。大きな目玉がひとつだけ、粘土みたいにぐちゃぐちゃっとした塊にくっついています。そして粘土から伸びた細長い突起が、ゆうちゃんに向かって手を振るように、ゆらゆら揺れているのでした。


 ゆうちゃんはちょっとだけ、ほんのちょっとだけ驚きました。どれくらい驚いたかというと、玄関から大きめの蛾がおうちの中に入ってしまったときくらい驚きました。

 けれどゆうちゃんは案外虫とか平気な方なので、家の中に迷い込んだ蛾もそっと捕まえて、外に逃がしてあげます。だからよく分からない目玉にも、優しく声をかけることができました。

「あなたは誰? ここがどこだか分かる?」

『ぼくはミトラ。ここは深い夢の中』

 ミトラと名乗る目玉は、なんだか嬉しそうに答えました。

「ミトラって?」

『ゆうちゃんは人間でしょ。ぼくはミトラ』

「夢の中って?」

『そのまんま。ここはゆうちゃんの夢の中』


 ははあ、なるほど。ゆうちゃんはようやく納得しました。これは夢なのです。

 夢だから、いつの間にか見たこともない場所に立っているし、夢だから、目玉が喋って動くのです。

「そっか。夢かあ」

 ゆうちゃんは、改めて辺りを見回してみました。

 なんて寂しい夢でしょう。真っ暗闇の並木道。ぐりぐり捻れたクスノキの幹は、闇の中にひときわ黒々と、お化けみたいに待ち構えています。

 せめて星のひとつでも見えたらいいのに。そう呟いて、ゆうちゃんが溜息をついたのを、ミトラは見逃しませんでした。

『ここはゆうちゃんの夢なんだから、ゆうちゃんの好きにしたら良いんだよ。ほら、見て』

 ミトラの手が、空を指しました。そこには何もありません。

「何もないけど」

『あるよ。よく見て。雲がかかっていない限り、空には星があるんだよ』

 するとどうでしょう。墨を満たしたようだった夜空のあちこちに、思い出したようにぽつりぽつりと、星が輝き始めたではありませんか。


『ゆうちゃんが認知すれば、世界にはなんだってあるんだよ。分かった?』

 偉そうに、ミトラはふふんと鼻を鳴らしました。目玉とぐちゃぐちゃの体しかないくせに、鼻を鳴らすなんて出来るんでしょうか。出来るんでしょう。きっと。夢だから。

「うん、分かった」

 ゆうちゃんが素直に頷くと、ミトラは『ゆうちゃんはお利口さんだねえ』と言いました。

 やっぱり、何だか偉そうです。ちょっとムッとしたゆうちゃんでしたが、ミトラのおかげで星を見付けられたのだし、まあ良いや、と思いました。

 そしてふたりで、クスノキの枝ごしに見える満点の星空を、心ゆくまで眺めていました。



 今夜の夢は、ここでおしまい。


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