第3話 観察と意地の代償
「やあ、渡 蓮眠くん。私は、名探偵だ。よろしく。」
さっきはジロジロ見るなと言ったくせに突然、挨拶をしてきた。何故か、私の名前まで述べてくる。どこで私の名前を知ったのだろうか?それも気になった。しかし、私にとっては何よりも聞き捨てならない言葉があった。
「名探偵を名乗るのはやめてください。それは、エルキュールポアロや、シャーロックホームズ大先生のような数ある探偵の中でも本当に少ない人たちだけが名乗ることを許される呼称です。」
初対面にもかかわらず、私は怒鳴っていた。不思議に思うかもしれないがこれは普通のことだ。私にとっては親の死体を蹴られた時と同等の怒りだ。到底、許されない。それは、知らない人だろうと、彼氏だろうと変わらない。
そこ、ジト目でこっちを見ない!
そんな風に、ミステリー好きがこうじて怒鳴ったりするから、彼氏に振られるとか言わない。重々承知している。でも、許せないものは許せないのだ。
「?」
ただ、私が怒鳴ったにもかかわらずその自称名探偵はきょとんとした顔をしていた。
しまった。
その反応を見て、今回ばかりはそう思った。相手は年齢不詳だ。子供かもしれないのだった。それに、今から行くミステリーツアーの人が、冗談として言ってくれただけな可能性もある。さっきの私も確かそんなテンションで名探偵を心の中で名乗っていた気がする。
どうしよう。
小心者の部分の私が顏を出しかけていると、
「君、それは私への侮辱だ。取り消したまえ。ポアロや、ホームズのような似非探偵と一緒にしないでくれたまえよ。」
探偵は平然と私の心配を裏切った。
ぷつん
何かが切れる音がした。頭のあたりに血が昇っていく感覚がある。二〇歳の記念にバイトを貯めて買った、十万円もするシャーロックホームズ大先生のお宝グッズを玄関に飾っておいたら、親が捨てた時と同じ感覚だ。その時以来の怒りが湧いてきた。
「はあ?!お子様が何を言っているの?どこの探偵に、通りを歩いている人を観察するだけであれだけの情報を得られる人がいるの?誰が、初対面の人の職業と軽い経歴を当てられるというの?そこまで言うならホームズ先生と同じことをやってみなさいよ。私のことでわかることを言ってみなさい。」
「ふむ、やってもいいが後悔はしないかね?」
挑発するように、エメラルドの輝きをもつ深緑の瞳で私を睨んでくる。思わず怯みそうになる。身長は、私よりも下なのに独特な存在感を感じるためにそれを忘れそうになる。少しだけ怖かった。
そう思いつつも、
「い、いいわよ。やってみなさいよ。」
と言ってしまう。シャーロキアンとしての意地だ。
では、と続けて探偵は目も合わせず、簡単な問題をといていく子供のようにつらつらと遠慮なく、私の個人情報というべきことを、何の前触れもなく述べていく。
「名前は、渡蓮眠。大学四年生。血液型はAB型。彼氏は、小学校時代に一人。中学時代に二人。高校生時代に三人。大学生時代に二人。うち、少なくとも四人と性交まで及んでいる。感情で物を言うこんな女のどこがいいのか知らないが、意外ともてているようだね。ふむ、世の中、外見しか気にしないバカな男しかいないということか。何たる嘆かわしさか。まあ、いい。あとは・・・」
そう言って、名探偵を名乗る人は、これまでの私の女友達を含めた人間関係や、仕方がなく、ほんの少しだけ加担したいじめ(高校時代に、当時、女子しかいない場では女子全員に無視されていた女の子と接触しないようにしたことがある)について事細かに話していく。
途中で「やめて、もうやめて。」と言ったが探偵は、止まらない。それ以降も現在の私の住所など本当に私のすべてとも言えることをどこで見ていたのかというくらい詳しく話してきた。私ですら忘れてしまったことも話してくる。
その私のカサブタをはがすような行為に耐えきれなくなって、私は、痛くなるほどに耳に指をねじ込んだ。
しかし、探偵の声はやけに通っていて、耳をふさいでもくぐもって聞こえた。
探偵は続けていく。
「それで現病歴だが、」
「やめて。もう、わかった。わかったから。」
そこでついには路上で金切り声をあげた。
人がいないとはいえ、今までの人生で一番の声量を往来の場であげていたと思う。
直接的ではないとはいえ、イジメに加担していたことを言われたのは堪えた。その上、友達にも内緒のあのことを言われるのは駄目だ。
そこでようやく、探偵は開いていた口をとめ、三日月に閉じてくれた。
「ふむ。とりあえず、やめてやるが被害者ヅラして、涙目をこちらに向けるのはやめてもらおうか。私は最初に言ったはずだ。後悔はしないのか?とね。」
「でも、そこまで詳しいことがどうやってわかるのよ?インチキしたでしょ。」
ちょっとしたストーカー以上の情報量だった。観察だけでわかる量を遥かにオーバーしている。どんなインチキか知らないが、絶対にインチキと言えるものがあったはずだ。
「探偵は手口は教えない。が、私も今日は気分がいい。教えてあげよう。ハッキングと金だよ。君の自称友達たちはペラペラと喋って教えてくれたよ。」
「な、犯罪じゃない。しかも、観察力も必要としないようなことじゃない。どの口で、名探偵を名乗ったのよ。」
しかも、この人はいつ私のことを調べたのだろうか?
「犯罪ねえ。」
だが、その思考を遮る声がする。呆れるような声を自称名探偵は私に向けてきた。
「な、なによ。」
「じゃあ、聞くがシャーロックホームズ大先生とやらも今の日本でみれば犯罪者ではないのかね。コカインだかを吸っていたのだろう?しかも、コカインというのは日本以外の国では死刑や終身刑に近い犯罪とするところもあるはずだぞ。」
「いいのよ。あの時はよかったから。」
「あの時はよかったから、ねえ。そうやって、時代を言い訳にして思考を停止して何も考えず、大勢(たいせい)の状況に左右され動かされるそのような愚民のおかげで戦争はなくならないし、自分に仇名す者を排除でき、権力者は甘い蜜をすえるというわけか。まったくもって不愉快な愚民だ。」
何かを考えるような素振りで言う。
静かに、探偵は怒っていた。そんな気がした。
が、その怒りは不思議にも私に向けられたようには感じなかった。
だからだろうか?理不尽に怒られたと感じたにもかかわらず探偵のこの言葉に対して、怒りの感情は一切わかなかった。敬愛する名探偵を馬鹿にされた時にはあんなに出てきた怒りすらフッと霧散した。
「じゃあ、あなたのいう名探偵は誰なのよ。」
気づけば私はそんなことを聞いていた。ホームズやポアロといった探偵が名探偵でないのならばこの探偵にとっては誰が名探偵なのだろうか?もしかして、名探偵はこの世に自分しかいない。とか言うのだろうか?
しかし、名探偵に対する憧れがない人がわざわざ、名探偵を名乗ろうとするだろうか?
私は、違うと思う。
憧れもないのに、わざわざ自分から名探偵を名乗る人はいないと思う。
だから、この自称名探偵にとってもあったはずだ。私がホームズ先生に憧れて、名探偵になりたいと思うように、憧れの探偵がいるはずだ。この探偵にとっての原初の名探偵とでも呼ぶべき存在がいるはずだ。私は、それに興味が沸いた。すると、予想外のことを探偵は言ってきた。
「私だけだ。と言いたいところだが、そうでもない。私もまた、未だ名探偵にはなりきれていない未熟者だ。名探偵を名乗っているのは私が目指すべき場所がそこだからだ。まあ、しかし貴様なぞに馬鹿にされるのは癪だし、ついでだから古典的似非探偵の真似事くらいはしておいてやるか。あんなやつらよりも推理力が劣ると言われるのは反吐がでるのでね。」
そう言って、畦道を走ってちょうど、こちらに向かってきたバスを、探偵は深い緑の瞳で見つめる。
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