『ウォーキング』
警視庁第7会議室。そこでは警備部の重鎮と共にSAT、特殊強襲部隊隊員たちが各警察官と連絡を取り会議を進めていた。
「マル害と接触を試みたと話題になっている金森レイナですが銀行から預金の大半を引き出しダンジョン内に逃走したそうです!」
「現在ダンジョン内28層d区と通信を試みています」
「マル害を検査する方法は見つかっとらんのか!」
叫び声があちらこちらから聞こえる中一人の男が悠々と間を歩く。
「『ウォーキング』『ウォーキング』、未来へ向かって~、おいカス手を抜くな、休憩まであと少しだろうが、そこまで持たせられないのかゴミ!」
「足立隊長、マル害との合流場所までの経路を入手しました」
「『カーブ』、『スタンド』、よし見せてみろ出来損ないなら蹴り飛ばすぞ!」
大柄な男だった。筋肉質で野蛮な、繊細さの欠片も感じられない50歳前後のSAT隊長は暴言を辺りにまき散らしながら一々『ウォーキング』だのとスキルを宣言しながら歩き回っている。それを見た下っ端の職員はひそひそと内緒話を始める。
「なんであのおっさん怒鳴りながら一々ウォーキングだの言ってるんだろ、やかましいし邪魔だわ」
「いやなんでもさ……」
同僚は若干同情しながら話を続ける。その間もSAT隊長は大声で怒鳴り散らかしていた。スキルの宣言をしながら、である。なぜなら彼はスキル無しに歩くことなどできないのだから。
「あの人、下半身麻痺しているらしいんだ」
足立友夫はすさまじい格闘家であり、高校ではキックボクシングと空手の全国大会を難なく優勝しその才能を日本中に知らしめていた。傲慢で怠慢な男ではあったがその実力と結果ですべてを押し通していたのだ。
「俺が好きなのは傭兵ゴンって作品でよ、OP知ってるか?ウォーキングウォーキング、未来へ向かってハイキック!、仲間を守り走り出せ~」
「とにかく主人公のゴンがすげえんだ。最強無敵で絶対に仲間を見捨てず生かして返す。全員から慕われる理想の上司ってやつさ。俺様はゴンになりてえんだ、得意技が同じハイキックだしな!」
高校3年生の時に足立が理想として語った言葉を皆は鼻で笑う。他人への気遣いも皆無で協調行動もとれず暴力的、悪口の特技な男が何を言っているんだと思われてはいたがそれを指摘する者はいない。キックボクシングがメインであるにもかかわらず空手部としてこの学校を全国優勝へ導いた男に文句を言うわけがなかった。
「なら
「なんだと生意気な。可部、ふざけたこと言うと今日のミット持ち3時間やらせてやろうか」
「そういう所ですよ。どうせ口は簡単に治りませんし相手の心を思いやることも先輩には難しいでしょう。だから行為で帳尻を合わせるしかないんです。相手の心ではなく相手の利益を思いやった行動を」
「……」
一人を除いて。
生意気な後輩だった。空手部の後輩として知り合った2年生の可部智也は実力は高いもののスタミナはない、そんな選手。身長もガタイも足立よりも小さいものの短時間の組手の相手としてはこれ以上ない、そう思わせるほどの腕前で。
唯一足立が友人だと言い切れる相手だった。放課後空手部部室の椅子にもたれかかりながら二人はだらりと足を広げつかの間の休息を楽しんでいる、そんな時の話。急に可部は真面目そうな表情でペットボトルから口を離し口を動かす。
「まもなく先輩は卒業するのでこういうところは言っておかなければと思っていまして」
「なんだなんだ、人様を導いているつもりか?偉そうによう」
「……ええ、いずれそうなろうと思っています。政治家になろうと思っているんです、そのためにはまず学歴が必要なので」
一体どうしたんだと驚いて視線をあげると可部の手には一枚の書類、退部届が握られていて。その理由の欄には「受験勉強のため」と書かれているのを二度見する。可部ははい、退部しようと思っているんです、と決定事項を告げた。
足立は自分の将来に疑いを持ったことはない。このままキックボクシングと空手を続けプロの格闘家として稼いでゆくつもりだったし既にいくつもの大学からスポーツ推薦の話が来ている。恐らく可部もそうで何らかの形でそうなると思っていたのだ。
いずれは一緒にリングで、そう思っていた夢を目の前で押しつぶされた。やり場のない感情は足立の心を暴れ狂わせ、しかし先ほどの可部の言葉、相手の利益を思えという言葉が胸に突き刺さる。人に好かれず力だけが利用価値がある、それが自分だと足立は認識していた。だからもしここで足沢の利益を尊重できれば自分は人に好かれる第一歩が歩めるのかもしれない、そう思う。
だが感情はそれを許さず、結果にじみ出た言葉はこれだった。
「二度と俺の前に顔を出すな」
「……はい」
淡々と何も言わず立ち去る可部。足立はこの日の自身を後悔し続けることになる。
3年が過ぎ去った日のことだ。足立の人生に大きな転機が訪れる。それも最悪の。リングの上でプロデビュー戦、相手は所詮自分より下位、実際試合中は圧倒し続けていた。だが試合終了後、足立の煽りにキレた相手選手が背中に向かって本気の肘を叩き込み倒れこんだ所に迷わず追撃を入れてきたのだ。
この時の事を足立は覚えていない。ただ背中を向けた瞬間背中と共に何かがプツンと切れた、そういう感触だった。
「ん……?」
目を覚ました足立は集中医療室に自分がいることに気が付く。何かよくわからんがナースでも呼ぶか、と思ったところで気が付く。足がピクリとも動かない。つねってみても感覚が何もなく、そこにあるのはただの肉でできた棒に過ぎなかった。脊髄が損傷し、下半身が麻痺していた。
声が出ない。嗚咽も飲み込まれて出てこない。この日足立は自身の人生の軸となっていた暴力というものを根本から失ってしまったのだった。
そこから20年は経っただろうか。既に足立も40台、もはや誰も病室を訪れる者はいない。初めの方はコーチや相手選手側の代理人が来たりもしたが慰謝料や保険金の話がまとまったが最後誰一人近づかなくなった。それはそうだ、暴力しか取り柄のない人間から暴力をとりあげたらそれはただの虚無でしかない。もうずっとインターネットを無意味に眺める日々が続いていた。
それは仕方がない。虚無には虚無にふさわしい人生がついてくるのだ。最近ダンジョンという物ができたのだな、と思いつつ自分のステータスを見る。
足立友夫
レベル1
STR 16 VIT 7 INT 1 MND 2 DEX 5 AGI 7 HP 19 MP 3
スキル 無し SP 1
世間的に見れば高い才能、レベル1時点で2桁のSTRを持っていることは確かに素晴らしいことなのだろう。ただし足が動かなければ意味がない。仮に浮遊魔術を覚えて動けるようになろうともそのためのSPを手に入れる為にダンジョンに潜ることすらできない。
つまらない日々がいつも通り白い病室の中で足立を向かい受けていた。そんな時だった、ナースが入ってきたのは。
「……食事か?」
「いいえ、足立さんにお手紙です。お名前は……可部さんからですね。面白い名前ですね、今の迷宮省大臣と同じで」
奪い取るようにナースから手紙をもらい開封する。それは手紙というよりただ1行の指示だった。
『拳士』カテゴリのスキル、『ウォーキング』と『ハイキック』というスキルを取得して使ってみてください
それだけ。意味が分からない、と思いながらかつての友の指示だとステータスを開き『拳士』で検索をかけて出てくる懐かしい空手の技の中にその二つの姿を見つける。明らかにカタカナで浮いているスキルだったが、半信半疑でそれを習得し一言宣言してみる。
「『ウォーキング』……!?」
足が、動いた。まるで以前のように、下半身麻痺など存在しなかったかのように。そうだ知っていたじゃないか、スキルとは肉体に特定の効果、
そしてスキル欄を漁ると明らかに不要な、戦闘やゲームではありえないものがいくつも存在することに気が付く。立った姿勢を維持する『スタンド』、曲がって歩くための『カーブ』、かがむための……。明らかに戦闘で不要なそれらは
ネットの言説を思い出す、スキルとは作り出された後付けの物であると。
「行為で示すってこういうことかよ……馬鹿野郎」
可部は20年かけて自分の夢を叶えると同時にかつての友に見本を、救いの手を差し伸べた。なら自分はどうするべきか、足立の心はもう決まっていた。かつての友に返礼をし、再び友として手をつなぐのだ。取り戻した暴力を使って20年たってなお酷いことを言った先輩を助けようとする馬鹿野郎を助けるという行為により。
彼はもう自身のみで歩くことはできない。だがスキルを使っている瞬間だけ昔と変わらぬ動きで足を動かせる。かつて天才と呼ばれたキックボクサーの足が今帰ってきた。
病室には自身の好きな曲が流れていた。傭兵ゴンのOPに合わせ涙をぬぐいもせずに足立は歌った。40歳に似つかわしくない、かつての輝きを取り戻した明るい表情で。
「ウォーキングウォーキング、未来へ向かってハイキック、仲間を守り走り出せ」
足立友夫
レベル425 ジョブ『拳士』
STR 7142 VIT 3189 INT 327 MND 768 DEX 2876 AGI 2984 HP 12230 MP 2764
スキル 『ウォーキング』『ハイキック』『スタンド』『カーブ』 他 SP 0
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