第29話 千鶴
俺は早速、千里さんに言われたことを実行することを決意する。
千里さんの作ったご飯を食べた後お風呂に入り、その足で、千鶴さんの部屋をノックする。
トントン
数秒待っていると、湯上りのために白い肌を僅かにピンク色に染めた千鶴さんがでてきた。
「どうしたの~?童貞君。もしかして、夜這いかな?」
千鶴さんは含みをもった笑いをする。
「いえ、ブスには興味ないです。ただ、家庭教師してもらっていて疲れているだろうから、マッサージでもして疲れを癒してもらおうかなと思って。」
人はいきなりは変わらない。意地悪な言葉だけがするするでる。…でも、これは千鶴さんも悪いよね?そうだよね?
「ふ~ん。そう言いながら私の湯上りの火照った身体に触りたいと。良い言い訳を考えたねー。」
「んなわけあるか。そんなことなら、ぶっちゃけあんたより千里さんの身体に触りたい。」
「ははは。正直が何でも美徳になるわけじゃないぞ。エロ少年。ってか、千里とかのことをそんな目で見ていたんだ~。」
「だって、あんなに可愛い女の子いないじゃん。」
「なるほど、なるほど。どういったところが可愛いのかな。」
「陰キャの俺にも優しくてお淑やかで、頼りがいがあって、でも偶に隙があって。あんな女の子を可愛いって思わない奴は男子にはいない。」
間違いない。俺は断言した。
「ぷはは。だって、千里よかったじゃん。」
そうして、ベッドの中の布団をめくると薄い桜色のもこもこしたパジャマを着た千里さんが顔を真っ赤にしていた。
「な、なんで、千里さんがここに?」
「どういう風に二人を教えるかを相談しようとしていたんだよ。」
千鶴さんがこたえる。
「もう、どうしてあちこちで私のことを可愛いとか言うの。健太郎君の顔が見られなくなるじゃん。恥ずかしくて。」
喋っている間も俯きながら前髪を直している千里さんは可愛かった。
じゃない。陰キャの俺に褒められても照れてくれるのは嬉しいけどこれでは俺も恥ずかしい。それに
俺、千里さんのことを触りたいとか言っちゃわなかった?
スピード土下座をする。
(へえ、千里。可愛いって言われるのには照れているのに、触りたいって言ったことにはふれないんだ。単純にその話題に触れたくないのか。そういうことを受け入れる程度に健太郎君に好感を抱いているのか。もしかしたら千里と凛ちゃんが修羅場るかもしれないなぁ。おもしろそうっ。)
土下座を見た千里さんは、
「もう、いいから。大丈夫だから。千鶴もあんまりからかっちゃだめだよ。私は明日の朝のご飯の仕込みをしにいくから。じゃあ。」
と言って、そのまま、バタンと少し乱暴に扉を閉めて、足早で廊下を歩いていく。
「やってくれやがりましたね。」
間違いなく千里さんをベッドに隠してあんな質問を意図的にしてきたのはこいつだ。
その元凶の性悪女をにらむ。誰だよ、千鶴さんが悪い人じゃないとか言ったやつ、ってか、昨日のしおらしさはどこへ行ったんや。
「まあまあ。いいじゃん。許してくれたんだし。」
「はあ。とりあえず、マッサージしますね。」
まあ、いいや。もう疲れた。とっととマッサージをしよう。その後もあーだこーだからかってきたが今度は無視する。
あれ?無視していたらダメじゃない?俺、千鶴さんと仲良くなるためにマッサージしにきたんじゃなかったっけ?
・・・
まあ、いいや。もう、凛のことだけ考えようかな。
理想の医者だって、助けられない人は助けられないもんね。仕方がない人っているよね。
「ふーん。ホントにリンパをもむとか言って胸をもんだりしないんだ。」
「当たり前でしょ。脹脛と足の裏と肩と背中をやれば十分でしょ。リンパなんてやらなくてもいいの。」
そう言いつつも、千鶴さんのスタイルの良さに、この人が女であると意識しないようにするのに最初は苦労する。
「で、私の好感度を上げようとして何がしたいの?ホントに私に、この合宿で童貞を捧げるために好感度を上げようと奉仕しているの?」
警戒するように千鶴さんは俺を睨む。
「はいはい。童貞を千鶴さんなんかに捧げるっていう罰ゲームを回避するために好感度を上げているんですよ。」
俺は呆れたように言う。うん。なんか、マッサージで素肌に触れていても、スタイルの良さに慣れてくるとマジで何もドキドキしねーや。
「なんかムカつく。でも、いきなりこんなことをするってことは、なんでかな?あ、わかった。千里との仲を取り持ってほしいとか?」
「いや、それをあんたに相談するって自殺行為じゃないですか。」
絶対さっきみたいに無暗に引っ掻き回すだけじゃん。
「ムムム。降参。」
「いや、だからホントにお礼のつもりなんですってば。まあ、せっかく結構いい問題を作ってくれてきたみたいなんで、多少は仲良くなるのもいいかなって思わなくもないですけど。」
目をそらして床を作る綺麗な木の木目を見ながら俺は答える。
「なるほど、そっか。」
得心が言ったといったような感じで千鶴さんは突然頷き始めた。
「何がそっかなんですか?」
「あ、いや普通の男の子って私みたいな超絶美女がいると、自分を卑下して私のことを、自分より高位の存在と思って近寄ってこないか、下心満載で優しくしてくれるかのどちらかだからさ。健太郎君は、下心も、最初はともかく今はほとんど感じられないし、罵倒してくるのに優しくしてくるし、どうしてかと思っていたんだ。でも、今わかった。童貞君は恋の駆け引きとかできないもんね。だから、その時、その時の感情で動くからそうなるのね。ってか、もしも恋の駆け引きとかできたらもてるよね。童貞君ってあだ名が使えなくなっちゃう。」
要は、何も考えていないバカだと言われているらしい。
「あんた、どんだけ俺のことが嫌いなんですか。」
ほんの少しの好意を示したらすぐに罵倒してきた。これだからビッチは。
「ごめん、ごめん。これでも褒めているんだよ。」
純粋な眼差しだった。この人は意味が分からない。何でこんな罵倒っぽい言葉が褒めていることになるんだ。でも、その純粋な眼差しを信頼したくなった。
それで、俺はやっぱり、昨日のことを聞きたくなった。
「その、言っておくけど人工呼吸できたのだって偶々その前日に夕方のニュース番組で水難事故の時の応急処置みたいなのを見ていたからやっただけです。普通にそれがなかったら何も俺もできなかったんですからね。」
それでも、やはり俺と千鶴さんは重い話をする仲にはなれたとはいえない。ボッチの俺でも分かる。…ようになった。
だから、俺は千鶴さんが気にしているであろうことを遠回しにフォローした。
俺だってバカじゃない。
昨日確かに千鶴さんは「目の前で倒れている人がいて人工呼吸するのは凄い。私なんて」みたいなニュアンスのことを言っていた。
そこから推測できることがある。
千鶴さんは目の前で倒れる人を見たことがあって、きっとその時に何もできなかったのだろう。それが親しい人なのか赤の他人なのかは分からないけれど。そのくらいは千鶴さんみたいに賢くなくても少し考えれば分かった。
『気が動転して何もできなくなるのは仕方がなかったことだよ』ってあの時もフォローをするべきだったのかもしれない。けれど、俺は実際にフォローすることはできなかった。あの時は気付けなかったからだ。
それに、気付いていたとしても、なんだかんだ行動ができた俺が、「分かるよ。突然人が倒れたりするとパニックになるよね。」とか「でも今はそれもあって医者を目指しているんじゃん。すごいですよ。」とか、言っても皮肉になるだけな気がして、フォローできるとは思えない。もしかしたら、凛とかなら上手くフォローできるかもしれないけれど、俺にはできない。
なので、人工呼吸は偶々できただけということを強調することで、自分の行いの価値を下げようとした。そうすれば相対的にみたら千鶴さんの行い(医者を目指していることなど)の価値が上がってくれたり自責の念が少なくなったりしないかなと思ったのだ。
「いてっ。」
何故か俺は両側のほっぺをつねって回された。意味が分からないにもほどがある。
「ムカつく。なんで、色々な気遣いはできないのに偶にドンピシャの気遣いができんの?健太郎ってコミュ障詐欺でしょ。」
風呂から上がって時間が経ったはずなのに未だに千鶴さんはほのかに肌をピンク色に染めていた。
「いやいや、天上天下に俺よりもコミュ障の人はいませんよ。まあ、ただ、千里さんにアドバイスをもらって千里さんみたいになりたくてコミュ力と勉強は頑張っているつもりです。」
「千里め。後で説教だな。」
「まあ、とにかく問題ありがとうございました。」
触らぬ神に祟りなし。急に変になった千鶴さんから逃げ出そうとする。
フォローの仕方を捻りすぎたのかな?捻り過ぎて、上手く伝わらなかったかな?
「待って。」
千鶴さんの部屋を出る直前で、パジャマの裾を掴まれた。
「その…。よかったらだけど私の話、聞いてくれない?」
「はい。喜んで。」
いつも強気でからかう千鶴さんが顔をほのかにピンク色に染めながら、普段は見せない大人っぽい顔をしていたのは反則だ。
千鶴さんは、普通にしていれば誰よりも大人っぽい顔なのだ。
その大人っぽい女性が自分に少しだけ甘えてくれる。そんな状況に少しだけドキッとしてしまった。けど、きっとそれは言わない方がいいのだろう。それが俺らの今の距離感だ。
その後、千鶴さんは思い出を想起するようにゆっくりと丁寧に語ってくれた。千鶴さんの説明は勉強同様分かりやすいもので、千鶴さんの気持ちが伝わってきた。
千鶴さんが語ってくれた内容をまとめてしまうと、大好きなロシア人のおばあちゃんが家に遊びにきていて、二人で仕事に行っている両親の帰りを待っている時におばあちゃんが心臓発作を起こしてしまったそうだ。その時、中学生だった千鶴さんは携帯で救急車を呼んだ。しかし、できたのはそこまでで心臓マッサージとかはできなかったそうだ。
「両親は、医者だったから、心臓マッサージのやり方も教わっていたのに、何もできなかったんだよね。そのまま、私が何も出来なかったせいで、おばあちゃんは、亡くなったってわけ。何も知らなかったはずの小学校の時の童貞君よりも、知識のあった中学生の私の方が何もできなかったなんて笑っちゃうよね。」
千鶴さんは、歪んだ笑顔を向けてきた。諦観と自責の笑顔だ。
千里さんがおじいちゃんのことを話してくれた時もそうだったけれど俺にはかける言葉がなかった。
コミュニケーション能力が高くなったら、自分の気持ちを正確に伝えられるのだろうか?千鶴さんの悲しみを取り除けられるのだろうか?
『そんなの誰でもパニックになるよ。』とか、『大好きだからこそどうしようってパニックになってしまっただけだよ。』とか、『救急車を呼んだだけでも凄いよ。』とか言葉は色々浮かんだ。
それでも慰めることはできなかった。
俺はただ、できる限り下心を自分の中から取り除いて、年下の女の子を慰めるようにそっと、おばあちゃん譲りであろう白銀の髪を撫でるだけだった。その間、中学生の時の気持ちを思い出したかのように千鶴さんはえんえんと声を出して泣いていた。
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