第5話 人は大抵、目標(夢)がないと頑張れない

 千里さんとの勉強会一日目


「まずは、志望校の確認からだね。健太郎君はどこへ行きたいの?健太郎君のお母さんからはうちの学校に行きたいとだけ聞かせられているんだけど。」


「え~っと、特にはないです。ただ、まぁ期待されているのは分かっているんで母の願っているくらいの大学には行きたいですね」


「学部は?」


「特にはないです。ぶっちゃ、」


 そこでため口になっていることに気付いて言い直す。


「本音を言えば行けるとこならばどこでもいいのかなって思っています。」


「そんなに気を遣わなくてもいいのに。」


 言い直したことに対して気遣いの言葉を言ってくれる。

 その細やかな気遣いが、俺の心にピンポイントで刺さる。こそばゆい気持ちになる。


「そっかぁ。とりあえず、健太郎君の成績の推移を見せてくれる?出来れば、定期テストと塾の模試両方お願い。」


 そう言われたので母さんに家庭教師が来ると言われてから、急いでまとめた成績評を渡してみる。医学部の人に見せるような成績ではないので躊躇しながらも渡した。


 俺の成績は定期テストが、三〇〇人中一〇〇位。

 模試が偏差値でいうと五五くらい。今回は悪かったので四十九。


 ちなみに目指す大学の偏差値は五五くらいだ。だから、このままズルズル成績が落ちてしまうと結構ピンチだし仮に成績が戻ったとしてもギリギリになりそうだ。


 『なるほど、なるほどこれなら今から勉強すればうちの学校ならどの学部でも行けそう!』


 そんなつぶやきが聞こえてくる。


 ・・・モチベーションが・・・でも。・・・あ、そういえば・・・


 それからもつぶやきが色々聞こえてきた。呟き自体は最初以外は所々しか聞こえなかった。


けれど、これからどうすればいいか悩んだり閃いたりしているのが表情から読み解ける。眉をひそめたり、明るく顔を上げてあっと言ったりしている。見ていて楽しい。可愛い。



「二年生のときにオープンキャンパスとかは行った?」


 呟きが止まってそんなことをつぶらな瞳で聞いてくる。


オープンキャンパスってのは、大学側が自身の大学の魅力を受験生に伝えるために開催する見学会のようなものだ。

どうせ、そういう場では、大学のいいところしか言わないだろうから、行かなくてもいいやって思っていた。


「いえ、行ってません。どうせ、地元の国公立を目指すのかと思ったので。」


「むむむっ。それはダメだよ。モチベーションがなきゃ大学受験なんていう苦行やってらんなくなっちゃうよ。」


 やっぱり、こんなにほんわかした人でも苦行って言っちゃうほどつらいんだ受験勉強。


「でも、オープンキャンパスでモチベーションは上がりましたか?」


「上がるよ。先輩たちが学校でできる体験とかを話してくれるんだ。大学に受かって、こんなカッコいい先輩になりたいって思えたよ!」


男子じゃないよね?それで、受かってその先輩と付き合ったとかあるのかな?…ありそう。


「…そうですか。でも、今から行くのもおかしいので、別の方法とかありませんか?」


話の続きを聞きたくなくて、別の話をする。


「う~ん、夢を持つこととかかな。確かに、私も高校二年生で夢を持つまでは勉強は適当にしかしていなかったし。オープンキャンパスよりもいいかもね!」


 こめかみに人差し指を当てながら、初めて会ったはずの俺のために、一生懸命考える千里さんをみて、聞いてみたくなった。


「ち、いえ、向井さんはやっぱり医者になりたくて医学部に行ったんですか?」


 心の中では千里さんと呼びながらも年上の人を名前呼びにするのは抵抗がある。

 世の陽キャとかは年上の人でも初対面からあだ名で呼んでいたりする人もいるけど俺は無理です。


 初対面の年上の人をあだ名で呼んでしまうのが陽キャなのだ。身近にもそんな奴がいるので知っている。


 テニス部の体験入部の段階で先輩の一人をあーちゃん呼ばわりしている奴を見たことがある。それをみて俺は絶対陽キャにはなれないと思った。


 もちろん、これは唯一の知り合いの凛のエピソードだ。凛の奴が陽キャ過ぎるだけ説もあるのではないかとも思っているけどね。


 俺の思考がそれていると、千里さんはどこか懐かしむように眼を細めながら


「えっと、どこにでもあるようなありふれた理由なんだけどね、おじいちゃんが高校二年生の秋に死んだんだ。末期の肺がんだった。


『タバコを吸っているんやし、八〇歳まで生きられたんだから後悔はねーよ。』


なんていうおじいちゃんだったんだけど、やっぱり死ぬと分かった時はショックを受けていたんだ~。でも、担当の先生と話していたら身体はやつれていっちゃってたけど精神的にはどんどん元気になっていって死ぬ二日前まで



『俺の人生に悔いはねぇー。可愛い孫の千里にも会えたし最後を見っとってくれるであろう担当の先生もいい先生だった。忙しいのに俺のつまらねー話にも先生は耳を傾けてくれた。生きるのが最後まで楽しかった。そう思えるんだ。だから、俺は幸せな死ってやつを迎えれる。って重くなっちまったな。まあ、だから、千里もおじいちゃんが死んでも泣くんじゃねーぞ。』


なんて言っていたんだ。私は両親が共働きでおばあちゃんは早くに死んじゃっていたからおじいちゃん子だった。だからそんなことを言ってくれたんだと思う。もちろん、おじいちゃんの期待にはそえずおじいちゃんが死んだ後はえんえんって言いながらいっぱい泣いちゃったんだけどね」


 恥ずかしそうに微笑みながら千里さんは話を続ける。心なしか眼がうるんでいるようにみえる。


「でも、葬式の時のおじいちゃんの穏やかな笑顔をみたら泣き止んじゃった。本当にいい笑顔だったよ。健太郎君にも見てもらいたいくらいだった。」


 千里さんはそういう風に言ってくれたけれど何て言っていいのか分からなかった。高校生の俺には人の死は重い。


「そんな風に例え現代の医療で治せない人でも“救える”医者がいるんだって思っちゃってね。身分不相応なのは重々承知だけどそんな医者になりたいなって思っちゃったんだぁ。うー、そんなに重くならなくて大丈夫だよ。自分語りみたいでごめんね。う~ん、やっぱり恥ずかしいなぁ。」


 そんなことを言った後、千里さんは恥ずかしくなったのか、顔を赤らめながらほっぺに両手をやって眼を合わせないように俯いた姿勢になる。時節こちらを伺うように綺麗な黒色の瞳をチラチラとむけてくる。


 可愛い上に性格もいいとか神なのか。


 なんて思いながらも俺も珍しく感慨にふける。小学校の三年生の頭痛がするほど暑かった夏のことを思い出す。


「そんなありふれた理由なんだけど参考になったかな?」


 俺が黙ったのを見て千里さんは心配そうな眼でこちらをみる。


「はい。自分の夢が何かはまだ見えないですけどそんなことを考えている千里さんと勉強すれば何か見つかるような気がします。」


 感慨にふけって自分の中の大切なものを探っていた俺はボーっとしたまま千里さんを安心させるようにそう返してしまった。


「うふふ。やっと、名前で呼んでくれた。向井さんなんていう如何にも他人行儀なのはよくないよね。これからは向井さんなんて呼んだら、最後にだそうと思っている課題を増やすからねぇ。」


 千里さんは上品に微笑みながら語りかけてくれる。

 考えに頭のキャパを割いていた俺は千里さんと名前で呼んでしまっていたらしい。


 千里さんモテないなんて言っていたけどうそだよなぁ。話の持っていき方が巧みすぎる。

 それに何よりも素敵な性格をしていた。


 千里さんは今日は軽い打ち合わせのために来たらしく、今日の宿題を出して帰っていった。


 千里さんからの宿題一日目


 “なりたい自分を見つける。”


 健太郎の成績(記述模試)

 数学 偏差値47 物理 偏差値44 化学 偏差値53

 英語 偏差値63 国語 偏差値52 

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