ラスト・フライ(3)

 エヴァンがアリーゼを呼び出したのは、人通りのない薄暗い路地だった。

 通路の隅にはポイ捨てされたゴミが異臭を放っている。

 雨にうたれてヨレヨレの煙草や紙袋。みすぼらしい光景に似合わぬ可憐な靴が、日の届かないレンガの影を踏む。


「わかってはいたけれど、酷い男ね」


 伏せられた長いまつげのしたからは、感情を読み取れない。言葉ばかり嘆くアリーゼに、エヴァンは容赦なかった。


「親父に電話しな」

「嫌よ」

「やらなきゃここでテメーを殺す。そう伝えろ」


 単刀直入なエヴァンに、アリーゼはもう一度「酷い男(ひと)」とこぼす。


「無駄だわ。せっかく手に入った、ホンモノの娘になれるかもしれない子なのよ。あたしのためにチャンスをフイにするわけない。ここにきたのも、それがわかっていたからよ」

「そんなに賢いのなら、俺がわざわざテメーをここに呼んだのは、一方的にそっちの家に押し入って、うっかりルカヤを巻き込まないためでしかないってのもわかってるんだろうな?」


 曲がりなりにも恋人だったとは思えない応酬に、ガエタノが気まずそうな苦笑を貼り付ける。

 それでもエヴァンは何年もアリーゼの恋人だったのだ。彼女のことは、手に取るようによく知っている。


「いいわ。やるといい。身代わりでも、あなたと過ごした時間、満更悪くなかったから。あなたに殺されるのなら、お父さんの役にもたてるし、なかなかのしめくくりよ」

「これだから、物わかりのいい優しい女ってのは厄介だ」


 静かに、そして強硬なアリーゼに、エヴァンはわざとらしく溜息をつく。


「だったら試してもいいだろう。どうせダメだってんならな。それに、俺ぁうまくいくと思っていってるぜ」

「戯れ言を」

「ちったぁ期待してんじゃあねえか? テメーは他の犠牲になった娘たちとは違う」


 アリーゼがじっとりとまばたいた。星がこぼれる音がするようだ。同時に、ついあふれでそうになる情動を押し殺し、隠そうとするようでもあった。

 エヴァンは数歩うしろで手持ち無沙汰にたっていたガエタノに話を振る。


「他の娘はみんな死んだ。そうだろ、ガエタノ」

「ああ。用無しになったからか、躾のやり過ぎかはわからんが。生き残りがいないのは、素敵な赤毛のお嬢さんが一番よく知っているはずだ」

「だったらある、、かもしれねえだろ。なんの情もねえ赤の他人と暮らし続けられるわけがねえ。テメーのことも、単なる代用品でなく、大切な家族だと思ってる」

「違う、手伝う人間が必要なだけで」


 ここにきて、初めてアリーゼが声を荒げた。彼女の作り物でないほうの足が、二人から距離をとる。それをガエタノが嗤う。


「おいおい。卑屈になっちゃあ可哀想だぜ、お嬢さん。もしもパパがオマエさんを愛していたら、そんな残酷な言葉はないだろうよ。可愛い二人の娘のうち、ひとりは死に、もうひとりは愛をわかってくれないなんてなぁ~」

「わかってんだろ。別に、もう代用品はいらないんだ、っつう自暴自棄だけでここにきたわけじゃあねえ。俺達にこう言って欲しかったんだろう。背中を押して欲しかったんだろ? このまま尽くすだけで終わって、本当に後悔はねえのかってよ」


 エヴァンの腕がアリーゼの肩に回る。

 身動きがとれない彼女のすきをぬい、ガエタノが流れるような動作で、アリーゼの鞄から携帯を抜き取った。

 そしてエヴァンはアリーゼの手のうえから包み込むようにして、携帯をしかと握らせた。


「電話を、かけろ。死ぬ前に、テメーの父親の愛を確かめな。何年も育み続けてきた親子愛を信じたいのなら、やれ。最後の最後ぐらい、ワガママを聞いてもらう側にまわるんだ。いいな?」


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