おいすがる過去(6)
奇怪な夕食会を終えたルカヤは、ぐったりと疲れ切ってしまっていた。
老人はしきりにルカヤを『フラヴィア』と呼び、他の人間達はみな口を噤んでいた。まるで通夜か葬式だ。
「フラヴィア、どうした。食欲がないのか」
「え、ええ。はい……」
どきまぎ返答する。嘘をつくのは慣れない。しかし、狂気にかられた目をした老人を否定したら、何が起こるか予想がつかなかった。
彼の妄想に合わせた会話をすれば、老人は得心いったように首を縦に振った。
「きみはかえってきたばかりだものな。私の考えが足りなかった。風呂に入ったら早めに寝なさい。また病気になってはいけないからね」
好々爺然とした破顔と反対に、ルカヤの愛想笑いはひきつり、青ざめていた。
前に食事をとったのは朝だ。昼は脱出にかかりきりで、忘れてしまった。おなかはすいているはずなのに、箸が動かない。
「ありがとうございます。御言葉に甘えて、そうさせてもらいます」
「アリーゼ。フラヴィアはおまえの姉なのだから、よく助けてやっておくれ」
「ええ、お父さん。勿論よ」
ルカヤは、みたびアリーゼに連れられ、与えられた自室へと連れて行かれる。
あの老人と同じ空間にいるよりはよい。ルカヤを見ているようでなにもないところを熱視線を向けている彼を見ていると、息がつまる。
部屋に入ると、アリーゼが溜息をついた。
「はあ。緊張した」
アリーゼは額にかかった前髪を払う。
誘拐当初はいかりぎみだった肩も下がり、こころもち、あざやかにそまった赤毛もしんなりしている。
「アリーゼさん?」
「なあに、その顔。意外? あたしだって気が重くぐらいなるわ。別に、あなたをこんなめにあわせて当然だなんて思ってないのよ」
顔色をうかがってみる。アリーゼの疲弊した横顔は真に迫って見えた。
「だったらお願いです。外に出して下さい。家に帰してくれなくてもいいので。誰にもいわないから……」
「そういうわけにもいかないの。正しくないと知っていても、やらなきゃいけないときってあるのよ。そうしないと、大切な人が不幸になってしまうとかね」
そういってアリーゼは目線を落とす。憂いを帯びた瞳の先には老人がいるのだろう。彼女の目に老人のような喜色はない。
「亡くなった娘さんの代わりを得なければ、幸せになれないんですか?」
「家族ってそういうものなのよ。代用できる愛じゃあないの」
たおやかな手が椅子をひき、腰をかける。
扉の前に立ち塞がるのは忘れないが、どちらにせよ、玄関までが長い。逃げようとしてもすぐ捕まる。
アリーゼはルカヤが部屋の中心から離れられないよう位置取ったまま、ゆっくり部屋をみわたす。
「ここも昔はあたしの部屋だったんだけどね」
「つらく……ないんですか?」
アリーゼの儚い印象を抱かせる細い眉目のあいまには、小さな皺が刻まれている。
伏せた両目は寂寥に満ち満ちて、こんな目にあわされているルカヤまで心痛を覚える。
大事な家族が歪んだ愛にとらわれているのを直視する立場が、ルカヤ自身に重なった。――説得できるかも知れない。
されど、アリーゼは口角をあげた。可憐な微笑に冷たいほどの覚悟をにじませて。
「いいのよ。家族のためならなんでもできる。あたしだってそう。お父さんを本当の父のように思ってる。だから義理の娘として尽くす。あなたには悪いけれど、あたしがフラヴィアになれないんだから、あなたがなってもらうしかない」
ルカヤは何故アリーゼがこんな話をしたのか理解する。
単なる同情ばかりではない。アリーゼは、思考が狂っていないにもかかわらず、この異常をまっとうする意志があると突きつけるためだ。ルカヤを逃がさないという、これ以上ない宣告だった。
「もう一度いうわ。明日からあなたはフラヴィアよ。くれぐれも気をつけてね。今日は納得してもらえるけれど、明日からはホンモノにならないと。体調不良じゃあ誤魔化せなくなる」
「わたし、フラヴィアちゃんではありません。会ったことすらないのに」
「あたしの知っている限りでは教えてあげる。お父さんの記憶通りのフラヴィアとして振る舞えばいい」
ルカヤの心臓がばくばくと跳ねる。知らない人物になりきることは並大抵ではない。
美しい死刑宣告差に、ルカヤは震える声で質問を重ねた。
「もしできなかったら?」
「あなたが解剖してきた少女たちみたいになるわ」
息をのむ。
「……あれを、あなたが? いや、ガエタノ先生はずっと前からあったって。少女だったろうあなたにあんな犯行ができるわけが……」
「あら。あのひと、そんなことまで気づいていたの」
「…………」
「娘さんが亡くなった後、お父さんは心を病んでしまったらしいわ。お母さんからきいた話では、娘と似た綺麗な黒髪の子を見ると、実は生きていた娘だと思って、連れ帰ってしまったんですって」
「…………」
「あたしを見つけて、養子として引き取った後、一時的にその衝動はおさまった。新しい両親はとっても優しくて、実の親と同じくらい親身になってくれた。あたしも嬉しくて、いつも明るく遊び回っていた」
黙り込んだルカヤに、アリーゼは絶望的な事実を並べていく。
アリーゼはガエタノの裏の職業も、ルカヤが誰を解剖したのかも知っている。ルカヤのことをなにもかも知っているのだ。
そのうえ、彼女がいっているのは、恐ろしい告解も同然だ。
すなわち――ペンテ親子こそ、ちまたをおののかせる連続殺人鬼であると。
「そのせいで、髪の色が抜けちゃったんだけれど。太陽光の浴びすぎで」
「それで、新しい『フラヴィア』を求めて、黒髪の女性をさらいだしたんですか」
「ええ。最も、誰もフラヴィアになれなかった。あなたが最後の希望よ。あのこと同じ髪をもつあなたが」
アリーゼの夢見るような瞳が遠くを見やる。
「いうことをきかず、フラヴィアになれないこにしびれをきらして、お仕置きをしたのが最初だそうよ。まずは鞭打ち。やがて老化で腕力がなくなってもできる電気に」
「……!」
「大学を掴んで以来、ずっと追いかけていたのに、エヴァンくんが邪魔して近づけなかった。凄かったわよ。結婚を意識する女のふりをして誘いをかけても、全部甘い言葉ではぐらかして。たいした色男だったわ。何人の女をだまして泣かせてきたのかしらね」
アリーゼの細い指がルカヤの両手を持ち上げて握った。女同士の柔らかなふれあいが、ぞっとするほど重くのしかかる。
「守ってくれるお兄ちゃんはいない。自分で逃げてくれて助かったわ。ありがとう。もう、逃がさない。あなたはうちの子よ」
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