おいすがる過去(4)
「アリーゼ、さん?」
「覚えていてくれたのね、嬉しい」
大学生以来のエヴァンの彼女。アリーゼだ。数年は経ってはいないだろうに、懐かしいと感じた。
兄以外の顔見知りに会えた。じんわりとこみ上げるものがある。感情が高ぶり、胸がつまって言葉が出ない。
アリーゼはフリーズしているルカヤに近づき、遠慮がちに肩に手を乗せた。
「困ってるみたいね。どうしたの?」
ルカヤは黙りこくる。兄に何をされたのか。絶対に言えない。アリーゼだって兄の真実を知ってもよくないはずだ。
ルカヤにしては頑張って頭をひねった。嘘でも本当でもない内容をひねりだす。
「助けて欲しい、です。あの。兄と喧嘩して。ガエタノ先生のところに行きたいんです。駅は使いたくなくて。兄と会ってしまうかも知れないから」
「そうなの? まあ、仲睦まじくても喧嘩ぐらいするよね。いいわ。あたし、車もってるの。一緒に行きましょう」
アリーゼはにっこりほほえみ、ルカヤの手をひく。やんわりとした手つきは逆らう気力を持たせない。ちょっぴり子どもの頃の気持ちが蘇った。
これが母性というものか。とげのない丸い表情は包容力で溢れている。ルカヤに似ている以外にも、兄と付き合い続けられた理由がわかる気がする。
「ここのすぐそばに買いものに来ていたの。足が悪いから、野菜とか手でもって運ぶのがつらくて」
アリーゼの車はすぐそばに止まっていた。フィアットの小型車だ。彼女の容貌と同じ、愛らしい丸みとシャープさを兼ね備えた車両である。
アリーゼはルカヤを車の後部座席に座らせる。
「すぐ着いちゃうからね」
運転席から振り返り、安心させる言葉をかけてくれるアリーゼに、ルカヤも愛想笑いを返した。
エンジンが控えめなうなりをあげ、出発する。
(兄さんも、町なかを通る普通の車に手は出せないよね。これでひとあんしん……)
胸を撫で下ろしかけた時。気を緩めたルカヤの頭脳がひらめいた。
ちからを抜きかけた体がりきむ。ルカヤはびくついて、思ったことを問うてみた。
「…………あの、」
「なあに?」
「ど、どうして、あのとき、あそこにいたんですか?」
兄への違和感から目を背け続けた結果が、ルカヤをいつになく疑り深くさせていた。
「言ったでしょう? 買い物にきたのよ」
「だってわたし、多分もう何日も出ていなくて。あなたとであったのもカピリジナだし。どうして今日たまたま、あなたと出会うんですか。それもわたしの家の近くで。こんなことってありますか」
偶然の再会。そんな幸運があるだろうか。ルカヤに?
「お兄さんのせいで疑り深くなった? 大変だったのね」
アリーゼは運転のため、前を見ている。
からかうような口調はころころと跳ねていたが、バックミラーにうつった目元は素面だった。
「違うっていってほしいでしょう。でも、ごめんなさいね」
ルカヤはドアに手をかけた。――開かない。鍵がかかっている。なにかの間違いかと、何度かいじった。びくともしない。
「あたし昔は黒髪だったの。綺麗な黒髪の女の子」
アリーゼは世間話をするように話し始めた。冷静さがかえってルカヤを追い詰める。
「交通事故で義足になったのはいったわね。悲しい事故でね。家族旅行にいくとちゅう、信号無視で突っ込んできた車のせいであたし以外の家族は死んじゃった。そのあと数年は施設にいたんだけれど、ある日、あたしを気に入った人がやってきて引き取られたの。あたしみたいな子を探してたって言ってた」
ドアを開けるのをやめ、両手を膝の上に乗せた。
窓の外の景色は次々移り変わる。光景は、ルカヤの知らない光景になっていっていた。
ルカヤの知らないカピリジナだ。ガエタノの職場ではない。
「ねえ。いつ頃引き取られたと思う?」
「わ、わかりません……」
「そうよね。あれはそう、今から4年か5年くらい前だったかな。ぴんときた?」
「…………」
「あなたがバス事故に巻き込まれて、数年後もしないうちよ」
わけがわからない。
ただ、異常は伝わった。
何故、わざわざルカヤのバス事故の話を持ち出す?
否。そもそもどうしてアリーゼがバス事故を知っている?
あの兄が、妹の悲劇を言いふらすわけがないというのに。
「ルカヤちゃん。ひとつだけ安心していいのよ。あたしがあなたに似ているんじゃあない。あなたが【あの子】に似ているの。かつてあたしが似ていたように」
「あなたはいったい」
「安心して。すぐ教えてあげる。できたらもっと早く連れてきたかったのに、今までエヴァンくんが邪魔してて、連れてこれなかったの。ほら、あと数分で着く」
「どこへ?」
アリーゼは幽かな含み笑いとともに、車を止めた。
「あなたの新しい『家』よ。あたしたち家族の住むところ」
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