ダルマの消失(5)

「今日はお土産を買って帰るからな。イイコで待ってろよ」


 兄はベッドから出ようとしないルカヤの頭をくしゃりとかき混ぜて、出かけていった。

 風邪をひいた妹を慰めるような動作に、切ない懐かしさがこみ上げる。


 ルカヤは衝撃を受け止めきれず、完全に放心していたのだ。

 それもつかの間。

 冷えだしたベッドと物音ひとつない静寂に包まれているにつれ、正気に戻った。

 自分が何をされたのか。認識してしまったルカヤは、猛烈な吐き気に襲われる。

 リビングからキッチンに駆け込む。シンクに頭をつっこむようにしてカラッポの胃液を吐き出す。


「ああ、あああ、あああああ」


 髪をかきむしり、フローリングの床に膝をつく。絹をさくような悲鳴をあげる。

 祖母の家にいた頃は、心の中で叫んでも、決して大声で泣き叫ばなかった。うるさいと怒鳴られ、無駄に傷つくだけだったから。

 兄の愛は、血の繋がった家族に疎まれ存在を否定されるより、濃密にねちっこくルカヤを犯す。


「ひぅ、ひぐ、あああ」


 頭痛がするまで泣きわめく。濡れた目元は腫上がり、全身の関節が軋んで痛くて、たまらない。

 すべてが彼女の体と、彼女に起こった出来事と、兄の想いの証明だ。全身の感覚ひとつひとつが、ナイフのように精神を切り刻む。


 エヴァンの言うとおりルカヤは生まれつき女だ。

 だがそれは女という性をもってうまれたことであって、特にそれを意識したことはなかったのである。

 そしてエヴァンは男という性を備えた体をもつだけの人だった。――今までは。


 エヴァンとルカヤは人と人で、性別なんて記号に過ぎないと思っていた。

 だが違った。

 妹は女で兄は男。

 肉体の訴えを受け入れてしまえば、あけすけに、こういってしまったほうがいい。


 エヴァンとルカヤは雄と雌だった。兄にとってはきっとずっと前から。

 唐突に嫌というほど実感させられた己の肉体が急激にずっしりと重く感じる。


「なんで、なんでこんなことに? やだ、やだよぅ、助けて、誰か!」


 壁を拳で叩く。ガンガンと音はなっているはずなのに、応えるものはなく。暖色のはずの室内は牢獄のように冷酷だった。

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