とびだつ鳥の向かう先(5)
このように、ガエタノは変わった男性だった。
元々、暇だからとルカヤにあれこれ教えるなど、他とは違うのはわかっていたが。
どことなく不気味な印象が増えてくる。ひとことでいえば悪趣味というのだろうか。
前は『ちょっと変わったひと』だった修飾語が、今は『かなり』にうつっている。
それでもルカヤはガエタノから離れようとは思わなかった。
新しい就職先を探す勇気が無いことを除いても、彼が好ましい人間であることは同じだ。
ガエタノは威圧的に怒鳴ることもなければ、ルカヤを面倒臭そうに追い払うこともない。
やや気まぐれなところは否めないものの、距離は近すぎず、新しく学べば褒めてくれる。
解剖や剥製作りも慣れてしまえばなんともない。彼らは黙って動かない。ある意味で人間よりずっと優しくて可愛らしい。
そうして物騒な客層に緊張しながら、店の奥で日々の業務に勤しむ日々を送っていた時だ。
突然、ガエタノがチケットをひらひらさせてやってきたのは。
「動物園。いかない?」
ソファに座ってくつろいでいたところ、いきなり後ろから話しかけられたので、ルカヤは驚いて五センチも飛び上がってしまった。
「動物園ですか。でも、仕事中ですよ」
「今日は休んじまおう」
「ええっ」
「自営業の強みだろ。支度して支度」
肩をぽんぽんと叩かれ、ガエタノはそそくさと二階にあがっていってしまう。
呆然とソファでかたまっているうちに、次に姿を見せたガエタノは本当に着替えて降りてきた。
押しに弱いルカヤが、そこまでされて逆らえるはずもなく。
気がつけば二人で動物園にやってきてしまったのだった。
「……人、多いですね」
ゲート状の入口を客が次々通り抜けていく。
思い思いの格好をした人物が密になっている光景をみて、ルカヤは青ざめた。
人混みは苦手だ。綺麗な格好に曇りのない笑顔をした人々に囲まれていると、不純物として紛れ込んでしまった気分になる。周りが異物を見る目でルカヤを睨んでいる気すらしてくるのだ。
ここちは、さながら白血球たちに狙われる病原菌である。
立ち止まって足が動かない。だが急にルカヤの手が取られた。
「先輩?」
「いこっか」
ガエタノは迷子の子どもを引っ張るようにルカヤを導く。
気がつけば手続きは完了して、キリンを見ていた。
「何、数秒後にはもう二度と会わなくなるたぐいの人達だよ。動物だけ見ておけばいいの。楽しもうぜ」
沢山のひとに囲まれている。知らないひとに。
そう思うと一歩も動けなくなってしまうルカヤをガエタノは毒気のない笑顔でほぐした。次の檻にむかう間、何度ルカヤの歩みが遅くなっても、嫌な顔ひとつせずゆるりと構える。
するとそのうちルカヤのほうも「このひとなら大丈夫」という気になる。
入園から三十分もする頃には、ルカヤは緩んだ顔でモルモットとじゃれていた。
指定の餌を買い与えてよいとあったので、どきどきと胸を膨らませ、財布からコインを取り出す。
慣れているのか、わあっと群がってくる毛玉たちに目を白黒させて慌てる。
小さな口を激しく、細かくモゴモゴと動かすさまはいかにも小動物で、保護欲をくすぐる。
「ルカヤちゃん、ご覧。お昼ご飯だよ」
「いえ。これは動物園のものでモルモットのご飯なので、私は食べれません」
「そうじゃなくて」
ガエタノは別の檻を指さす。檻にかけられた看板には、それぞれ動物に餌を与えられる時間が書かれていた。
みたところ、もうすぐ近くにある猛禽類コーナーで餌やりが行われるらしい。
「いってみよう」
珍しくガエタノが目を輝かせた。モルモットたちとのお別れが名残惜しい。だが元は彼が連れてきてくれたのだ。ルカヤは膝をのばした。
ガエタノはいきいきと通路を進む。他の人はまばらだ。
(肉食の鳥は格好良いけれど、もっと別の動物のほうが人気なのかな。定番といえばライオンとかゴリラ、パンダ?)
ここにパンダはいたのだったか。ライオンは居た気がするけれど。
なんにもならない考え事をして、猛禽類のコーナーにつく。
「ひっ」
猛禽類コーナーはまさに餌やりの真っ最中だった。
ルカヤの喉から細い悲鳴があがる。対して、ガエタノは少年の瞳で餌を貪る鳥を指さす。
「猛禽類の餌。ほら、ヒヨコ」
巨大な鳥は鋭く分厚いくちばしで、投げられた小さな肉塊を食いちぎっている。
小さな足が飛び出した肉塊は少しも動かない。生きてはいなかったのだろう。だが皮膚の内側にしまわれた肉片を赤裸々にさらす姿は、お世辞にも美しいとは言えなかった。
「が、ガエタノさんは。ああいうものを見るのが好きなんですか?」
「好きだぜ。あ、いや勘違いしないでくれよ。死体じゃない。生き物が好きなの」
解剖で見るのとは全く違う。
ルカヤは命が喰われる光景に生理的な嫌悪を覚えた。
ルカヤの様子に慌てたのはガエタノだ。ニコニコ食事を観察していたのが、はっとかたまる。
「生き物が好きで、こういうのをみたいと?」
「ものを食べる。立派な生き物らしい行動じゃないか。カワイイから生き物だとか、残酷だから生き物だとかじゃなくてさ。一面だけを肯定するのは、逆に動物好きとはいえねえんじゃねえかな?」
「はあ」
「猛禽類なんだから小さい獲物を狩るのは当然なんだ。兎がタンポポの葉っぱを食べるように。それが『そういう生物』として順当に成長して活動してるっていうのかな、それが面白い」
ガエタノは熱心に語る。まるで図鑑を眺める小さな男の子のような無邪気な顔だった。
「でも、一見残酷なように見える肉食動物さえ、実際は餌を与えられて、どういうふうに育っていくのか、大事に守られて管理されているわけだ。そういう無知さを見ると、カワイイなあって思っちまうよなあ。だから好きだ、動物は」
ルカヤには彼のいう『好き』はわからない。
だから口をすぼめる。小さな否定の意志を発露して、それだけにした。ガエタノ本人には伝えない。黙って彼の隣にたつ。
ガエタノは腰を落とし、不良のような座り方をして食餌を見学し続ける。
大学の講義を受けている時のように真剣だったが、ふと、顔をあげた。
「今日のこと、お兄さんに秘密にするの?」
ガエタノが座ったままたずねてきた。口角は猫のようにあがっている。
ルカヤはしばし悩んで、黙ってこくりと頷いた。
「怒らせたく、ないので」
「デートしたから?」
「……やめてください……」
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