過保護と出会い(6)

 翌日も催された勉強会は、謝罪の挨拶から始まった。


「ガエタノ先輩。昨日は兄がすみません」

「ん? 大袈裟だな、怪我をさせたわけじゃあるまいに」

「不快だったでしょう」

「忘れたね」


 あんな美人にすごまれるとびくつく男も多いのに、ガエタノはどこふく風だった。

 軽口を叩く肝の据わり方に、ルカヤのなかで、離れがたい感情が膨らむ。


「普段はあんな人じゃあないんです。わたしが事故に遭って以来、やたら心配性で」


 言い訳をする。嫌われたくなかった。大好きな兄が嫌われるのも悲しい。


「親しんだ人には、いい人なんですよ」

「だから大丈夫だって。俺ぁむしろ顔を見れてよかったと思ってるぜ。一度保護者と会っておきたかったからな。長い付き合いになるなら、身の回りの把握は重要事項だ。ま、さほど期間は残ってないか?」


 ぐ、と息が詰まる。

 窓の外を見れば、綺麗な青い空がどこまでも広がっていた。

 こころすくような光景だ。これがあっという間に夕方に変わる。そして明日になるのだ。


「先輩。わたし……ガエタノ先輩がいなくても、卒業できるでしょうか」

「やる気があれば」

「成績はあがりました。先生も喜んでくださいましたが、でも、先輩のご教授あってこそです。わたし、自分で考えて学ぶのは、下手みたいです。まだまだ卒業まで何年もあるのに。乗り越えられるかどうか」


 学力に対する不安をつらつらと吐露する。そのうらに、どうしようもなく我欲まみれな寂寥を覆い隠しながら。

 己の手で手を握りしめ、うつむく。それを見たガエタノは、声をあげて笑った。


「や、やっぱり、おかしいですか。いいとしして、甘えてるって。自立しなきゃですよね」

「いやいや。違うよ」


 アハハハ、と明るく笑い、まなじりの涙を拭う。

 挙動のおかしいガエタノにルカヤは何もいえなかった。金魚のように口をぱくぱくと動かすのみだ。


「じゃあ、どうして?」

「オマエさんは本当、予想とすんぷん違わぬように反応するな~ってな」

「え、っと」

「素直で可愛いって言ってるのさ。隠し事もできないね」

「えっ」


 机越しにガエタノがぐっと身を乗り出してきた。

 上半身がのり、教材の位置がずれる。近くなった距離にのけぞるルカヤの両頬を、のばされたガエタノの手がはさみこむ。


「もしも無理だと思ったら、連絡しておいで」


 幼子に語りかけるように、ガエタノはルカヤの瞳を見つめた。

 先輩の手はルカヤより大きく、兄より薄かった。体温の低い肌はざらりとしている。若干ゴム手袋の匂いがした。


(近い、近い、近い)


 ルカヤの心臓が跳ね回る。外にはまだ人が大勢いるはずなのに、ガエタノしか目に入らない。

 ガエタノの言葉が、耳から脳へ流し込まれるように入ってくる。


「もし俺のところへ来たくなったら、居場所と食い扶持を用意してやるから。安心しろ。オマエさんが出来る子だってことも、どんな子かってことも。俺の予想はここまで全部当たってんだ。成績、ちゃんとあがったろ? 悪いようにはしねえよ」

「いいんですか?」


 早く離れたい。心臓が早鐘を打っている。喉からしぼりだされた声はうわずっていた。

 ガエタノはくつくつと喉を鳴らし、ルカヤから身を離した。


「ああ。あの兄貴だって、納得するようにできるさ。だいたいはもうわかってるんだ」


 どういう意味か、ルカヤには理解しきれなかったけれど。頭のいいガエタノがいうのだ。

 ルカヤは彼の言葉を信じた。

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