過保護と出会い(2)
兄は気が多すぎる。今まではそう思っていた。
すぐに別れるあたり【本気の
だから多少は好意があるのだ。
兄は美しく、ストイックで、頼もしい人間だが、女遊びだけが欠点だと。しかし存外、浮気性は遺伝なのかもしれない。
(あの人にまた会いたいと思っているわたしがいる)
親切を受けただけで、今までにない思いを抱いてしまっている自分自身が嘆かわしい。
大学のカフェテラスでルカヤはひっそり頭を抱える。
(しかも理由が理由。もう兄さんを悪く言えない……)
目元と髪質。兄とジーノに似ていたから気になるなんて、恥ずかしくてとても相談できなかった。
ルカヤの話し相手と言えば兄のみだ。ニヤニヤ笑われたらしばらく立ち直れない。
(私だからもう二度と会わないだろうけれど。早く切り替えなくちゃ)
視界の端を探してしまう癖がつきかけている。
カフェテラスはリフォームから時間が経っていて、白い壁は薄黄色いベージュに変わりつつある。
利用者の学生はまちまちだ。ルカヤのそばに座る生徒はいなかった。
ルカヤは目をふせ、眼前の皿に盛り付けられた生ハムのパスタをフォークで巻く。
「はあ。パスタ美味し」
「じゃ、俺もそれにしようかね」
げほっ。ルカヤは大きく咳き込む。つるりとした麺が喉に詰まりそうになった。唇があぶらで濡れる。
振り向けばモスグリーンの瞳が、ルカヤの背後で三日月を描いていた。
「や。また会ったね。もう迷わず教室いける?」
あの人だ。彼は当たり前のように椅子をひき、ルカヤの隣に座る。
「えっ、あ、はい! おかげさまで」
口元をおおい、フォークを置く。
食べているところを見られるのは恥ずかしい。くちのなかは見えるし、食べ方が汚いと思われるのは嫌だ。
「気にしないで食べていいよ」
ジーノ似の彼は軽くすすめてくる。
そういわれれば、はあ、といって、断れないのがルカヤだ。
御言葉に甘えて食事を続けながら、何故か居座っている彼に問う。
「あの、どうしてここに?」
「袖振り合うも多少の縁ってね。迷い猫を拾ったら、その後どうなったか気になるもんだろ。可愛けりゃ余計にさ」
すぐ歯の浮くような台詞をいうのが、この国の男の困ったところだ。
南に来てからは日常的に出会うようになった。もしや兄は元々こちらの出身なのでは? と思うほどだ。
「それに君、俺とおんなじ学部でしょ」
「あ、はい。そうですが」
「杖持ってる子なんて珍しいからすぐわかったよ。聞いたぜ、オマエさん、かなり解剖の腕がいいんだって? 俺も生徒んなかじゃ出来る方だと思ってたから興味できちゃってさ」
挙動不審になりかけていたルカヤは、彼の説明をきいてようやく得心する。
確かにルカヤは解剖が得意だ。こっそり先生に呼び出され、様々な生物の解剖と後処理を手伝わされる日もある。
「これで成績がついてくれば」と何度嘆かれたかわからない。
「お聞きになったんですか。恥ずかしいです……」
「恥ずかしい? 才能があると思われているから、先生も色々やらせて様子をみたいと考えるんだろうさ。自信をもったっていいだろうによ」
「実技がいくら上達しても、卒業には届きませんから」
カラになった皿をぼうっと眺める。真っ白く、わずかなヨゴレが残っているだけの丸い皿。まるでルカヤの将来性だ。
ここ数日は低気圧のせいもあってか、思考がネガティヴになってしまう。
「あ、すみません。辛気くさい話をするつもりじゃあ」
「構わないよ。しかし、へえ。そういうことなら、じゃ、教えたげよっか」
「え? 何を」
「勉強」
彼はテーブルに肩肘をつき、手の甲の上に顎をのせ、にっこり微笑んだ。
何故そういうことになるのだ?
「だ、だせるもの、ありません」
「出世払いでいーよ、なんてな」
震えるルカヤの前で、彼は意図の読めない笑顔のまま続ける。
「俺さぁ、基本暇なのよ。毎日忙しくしなきゃいけないほど切羽詰まってないから。だが試験はある」
ルカヤは目を丸くする。医学部は他の学部より期間が長く、難易度も高い。
繰り返すが、ルカヤが毎日机にかじりついても、地頭で追いつけないぐらいだ。
それを余裕たっぷりにこなすとは。もしや、目の前の先輩はものすごく優秀な人なのではないか?
冷たい汗が頬を伝う。優秀すぎる人間のそばにいるのはニガテだ。責められている気持ちになる。
「先輩の貴重な時間を、わたしなんかに頂くわけには」
「いやいや。聞きなさいよ。オマエさんの家庭教師をすると、利点がいっぱいあるわけ。人に教えるっていうのは、それだけよく理解できてなくちゃあできないことだから、復習にぴったりなんだぜ」
「は、はあ……」
「俺は効率よく復習が出来る、君は授業が理解できる。何より可愛い女の子を助けるのはいい気分だ。イイコトづくしじゃない?」
いかにもオススメです、という風に話すさまには奇妙な説得力があった。
勿論、ほんとうは勢いで押し切られかけているのである。エヴァンにもよくやられる手法なので、すぐピンときた。
「賭け金とリターンが釣り合ってないと思います」
「ふふ」
焦りで冷たい言い方になってしまった。
名前も知らぬ彼は、席を立とうとするルカヤに対し、全く表情を変えないまま言った。
「それを決めるのはオマエさんじゃあないだろ?」
穏やかな優しい口調で、有無を言わせぬ台詞だ。
「先行投資がしたいわけ。優秀な解剖医のコネが欲しいの。オマエさんならなれそうじゃあないか」
表情こそフレンドリーだが、その笑みのすみに、ルカヤは既視感を覚えた。
我欲のために強引でも突き進む、貪欲さの気配。獰猛な獣の匂いだ。兄に似た匂い。それにルカヤはストンと座る。
この人は完璧ないい人――自分と付き合ってはいけない人種――ではないと感じ取ったからだ。
彼女は無意識に安心していた。
「ああ、そう。やっぱり。初めて話した時にオマエさんってそういう子だと思ったよ」
彼は嬉しそうに破顔する。なにがそんなに嬉しいのかわからない。
ルカヤはぼんやり「笑顔な素敵なひとだなあ」と思った。
「あの」
ルカヤは思い切って聞いてみた。
「先輩のお名前はなんですか?」
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