悲愛へのカウンター(2)

「っていうことがあって。どういう意味だと思う? 私、いつのまに彼氏ができたの?」

「なんだァ、いきなりどたばた飛び込んできたと思ったらよ。そういうことかよ」


 一足先に帰宅していた兄に、一連の出来事を説明する。

 兄はソファに両腕をかけて尊大にくつろいでいた。ぴくりと眉をはねさせると、やれやれとこめかみを押さえる。


「あー……そもそもお前、彼氏ってどういう風にできるか知ってるか?」

「告白するんでしょ? 漫画で読んだ」

「日本の漫画だろ、それ。いいか、ルカヤ。この国じゃあな、フツーは2~3回一緒に出かけたら、もう付き合ってるって思われんだよ」

「!?」


 自分の出身国の文化だというのに、まるで知らなかった。

 断る理由もないと走っていたが、あちらからすればデートのつもりだったのだ。


 思えば、女子とは髪の話をするばかりで、同じ学校の男子とは行事以外で話した覚えがない。

 次々入れ替わる兄の恋愛事情を眺めているうちに麻痺していた。

 恋人関係がどう成立するのか。ルカヤは恋愛についてちっとも知らない。


「お前はあんまり人と喋らないからなあ。そういやオレも自分からはあんまりそういう話しねえし」

「え、え、どうしたらいい……?」

「そうだなあ。数回デートして、家族や友達に紹介してきたら真面目に好き。そうじゃなきゃ遊びだ、とっとと別れろ。あとお前からは絶対に家に呼んでやるな」

「全然アドバイスになってないよ!」

「恋愛はフィーリングだ、フィーリング。『感じ』が全てなんだ。あう気がしたらあってるし、違うなら違う。確かめるためには経験を積むしかねぇ。経験を積むには行動するのみだ」


 エヴァンはよどみなく言い切る。

 言葉では理解できる。だがいくら想像しようとしてみても、他人の話されているようにフワフワとしか飲み込めない。

 混乱しきっているルカヤを眺めて、エヴァンは目を細めた。


 白い口元は真一文字にひき結ばれ、難しい顔になっていた。目を細めたまま手招きをする。

 近づくと、エヴァンの股の間に座らされた。腹に腕が回って、ルカヤの首筋にエヴァンの顎が乗せられる。


「そうか、お前にも遂に彼氏ができるか」


 ゆるゆると息を吐くのがくすぐったい。

 エヴァンの不機嫌な表情には様々な意味がある。

 実際は眠かったりリラックスしていたりする時もあるし、本当に怒っている場合もある。

 今の兄がいかなる感情に囚われているのか、ルカヤからはイマイチわからない。


「遅いかな。それとも早い?よくわからない。ねえ、私が恋人ってダメなことかな?」

「いや。いいことだ。いいヤツができるのはな。いいことだぜ」


 ルカヤをぬいぐるみのように抱きしめるのは、子どもの頃の習慣だった。

 仕事で両親がいなくて寂しい時は、よりそいあって同じベッドにくるまったものだ。


「もしかして寂しいの?」

「なあルカヤ。オレの宝物テゾーロ。その不届きな盗人が、お前を酷く扱うヤツならすぐに言え。兄貴がなんとかしてやるぜ」

「物騒だなあ」

「物騒にも大袈裟にもなる。第一、あっさりやられてそれきりですます腰抜けなら、ますます気にくわねえな。こんなに真面目で可愛いオレの妹を、ぽっと出の野郎がよォ」

「兄さん、顎グリグリしないで。痛い」


 可愛いだとか、雑誌のモデル顔負けの美青年に言われても説得力がない。


「ルカヤ。お前はオレと違ってまともなヤツだ。よく出来た子だ。それに見合う男は信用できる男じゃなくちゃあいけねえ。世の中信頼できるヤツっていうのは案外少ねぇんだ」


 決断的な兄には珍しく、うんうん唸る。猫が鳴いているみたいだ。

 ようやくルカヤは、エヴァンが真剣に心配しているのだと察した。

 いくらルカヤが鈍いからといったって心配性に過ぎる。だがそれは他の家族からは感じられない類いのぬくもりだった。

 腹に回された手に、兄より少し濃い色の手を重ねる。


「兄さん。あのね、その人曰く、私って素敵な人なんだって」

「知らなかったのか?」

「兄さんも素敵な人だよ」

「知ってる」

「だから大丈夫なのかも、って今思った。兄さんと同じ感想を私に持ってくれる人だもの。そんなに気にしなくっていいのよ、兄さん」


 饒舌なエヴァンがぴたりと止まった。


(恥ずかしいことを言ってしまった)


 立ち上がろうとしたが、腰はしっかりホールドされている。

 二、三回のまばたきを経て、兄の大きな手が乱暴にルカヤの髪をかき混ぜた。

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