硝子の上をひたはしる(3)
夕飯はエヴァンの担当だ。
天は二物も三物も与えるのか。エヴァンの料理はほっぺたが落ちそうなほど美味しい。
ルカヤともエヴァンとも食の好みが違う祖母さえ、喜んで食べる。
人気者の兄であれば夜遅くまで出かけたい日もあるだろうに、エヴァンは極力帰ってくる。
遅れる時はあらかじめ言う。急なことなら連絡を入れる。
(遅いなあ……)
横目で祖母をうかがいつつ、携帯を開く。祖母はイライラしてテレビ前で貧乏揺すりをしている。携帯にはメールひとつない。気まずくて玄関に腰を下ろした。
『部屋にひきこもれば安全』というルールは、エヴァンの手で実行されて意味をもつ。
エヴァンのいない時に落ち着きたくなったら、玄関でひたすら掃除する。
家の役にたっているうちは祖母も何もいわないし、靴磨きなら音もたてず、一人で集中して出来る。
ルカヤがはくのはシューズばかり。
反対にエヴァンの靴は多種多様だ。両親の稼ぎは相当よい。兄は遠慮なく財力を使う。質のいいものを好み、妥協を厭う。
ルカヤは革靴を選んで丁寧に手入れする。ルカヤに衣服のセンスはない。
気がつけばTシャツとジーンズばかり買っている。この間は男物と女物の区別もつけられなかった。
兄は着飾るのが好きだ。時折、見かねてルカヤの服も選んでくれるぐらいである。
朝に用意する衣服も、前日のうちに選んでおいておかれたものをアイロンがけする。
ルカヤが兄より優れているのは、アイロンがけ、コーヒー、持久走ぐらいだ。
(本当、私って兄さんだよりだなあ)
そのうちスポーツで結果を出して、運動関連で就職でも出来れば自立できるだろうか。
ルカヤだっていずれ兄に迷惑をかけずに生きられるようになりたい。
一方的に支えられるのではなく、助け合いたかった。
今日何度目かの携帯チェックをする。
(まだ連絡ない。そんなに頼りないかな。四歳の頃よりは出来ることも増えたのに)
はあ。嘆息する。
三つ目の靴に手をかけたとき、玄関が開いた。
「! にいさ……」
靴をもったまま立ち上がったルカヤの言葉が止まる。
静かに扉を閉めたのは、ようやく帰ってきたエヴァンだった。
待ち望んだ彼のサラサラときらめく前髪は乱れ、完璧に整った相貌がよく見える。
しみひとつない白い額からは、細く赤い線が流れていた。
頬には濃い桃色の腫れ。胸元は開かれ、厚くなり始めた胸板と鎖骨が見える。
「ど、どうしたのっ!?」
慌てふためき、靴を落としてしまう。
泣きそうな顔をするルカヤに、エヴァンは苦笑した。
「それより先にいうことあんだろ」
「え?」
「ただいま」
「お、おかえり。でもそんなこと行ってる場合じゃあないって」
いっそ大声をあげそうになったが、それは控えた。いつも強かで不敵な兄の笑顔が、妙に陰っていた。
疲れている?
世話になりっぱなしの兄の顔に、急かすようなとても真似はできなかった。
だから何故彼が疲れたような顔をしたのかも、問い詰めるタイミングを逃してしまったのだった。
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