黒ペン

委員長

黒ペン

 カバンの内ポケットをのぞくと、そこは暗闇だった。凝視すると、底知れぬ暗闇にペンが収まっているのが見えた。持ち手は丸みを帯びた六角形で、キャップ式のペンだ。つまんで、机の上に放り出し、それに顔を近づけた。

 インクの色は黒で、だからペン先も黒だ。ペン自体も黒かった。ペン先を固定する金属部品だけは銀色をしていた。キャップには胸ポケットに入れておくときに重宝する「引っ掛かり」の部分があった。それをなんというのか、特別な語彙があるのか、考えてみたところで分からなかった。ただその「ひっかかり」は、ボールペンで見られるようなばね式のものではない。プラスチックの伸縮性を生かした、一体的なものだった。こまごましたパーツがない。だからこのペンは全身が真っ黒だった。黒色のペンが、まさしく黒色をしているというのは、合理的であるように思えた。

 持ち手もキャップも、部屋の白熱灯をぼんやり反射して白くなっていた。表面はさらさらした感触で、光沢はほとんどなかった。部屋の様子を鏡のように映すことは、このペンには不可能だった。

 キャップに人差し指と親指を添えて、持ち手を握る。少し力を入れると、くっ、という音がして、ペン先が見えた。プリンターのトレイからコピー用紙を出して、「城の崎にて」と綴った。さっきまで読んでいた本のタイトルだった。ペン先は紙の上を滑らかに進んだ。何にも邪魔されない感じがあった。楷書で書くつもりで筆をのばしたが、草書的な出来だった。

 黒々としたペン先に鼻を近づけた。何も香らなかった。何も感じないのはおかしいと勝手に思って、手のひらを近づけてペン先と鼻を覆うようにして構えた。何度も吸って吐いてを繰り返したが、やっぱり何にも香らなかった。

 再びキャップをはめて、改めてこの黒ペンを見た。まじまじと見た。指でつまんで、くるくる回した。宙を舞うようにして、ペンを動かした。すると目の前に潜水艦が現れた。深海の暗さに溶け込んだような、漆黒の船体だった。黒船の黒はコールタールの黒なんだと、教科書で読んだが、潜水艦の色はコールタールなんかじゃないと強く思った。これは深海の色をしているのだと、そう思った。

 潜水艦は圧力に耐えられるように、円形をしていた。無駄な構造物が一切なく、船体から唯一飛び出していたのは、前後に長い艦橋部だった。この中にどれほどの乗組員が居住しているのか、すぐには想像できなかった。艦橋部に数十人は入る。ここは戦闘指揮所のはずだから、寝泊りするところや機関部は本体のどこかにあるはずだ。それはきっと艦橋の真下にある、船首から見て一段大きくなっている場所に違いなかった。

 日の光などとうに届かない、深い海の底を、潜水艦はゆっくりと航行していた。わずかな波の振動が底の砂地を揺らすと、隠れていたアノマロカリスが数匹、砂を撒いて飛び出していった。アノマロカリスはしばらく遠目に潜水艦の様子をじっとうかがっていたが、やがてそれが見えなくなると、また元いた砂地に潜って身を隠した。潜水艦は暗闇に収まった。

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黒ペン 委員長 @nigateiru

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