青春の真ん中に僕はいますか?

傘木咲華

第1話 青春なんていらない

 この世で一番イラつくことは、授業中の手紙回しだと思う。

 そう断言できてしまう理由は、とある日の三限目にあった。今まで目撃したことなんてないし、彼――式澤しきさわ玲央れおには縁遠いものだと思っていた。鋭いつり目、眩しい金髪、高校二年生とは思えない程に高い身長。容姿的に避けられることが多々ある玲央にとって、手紙が自分に回ってくるなどありえない話だと思っていた。

(……何だ、これは)

 しかし、見間違いでも何でもなく、玲央の机の上には手紙らしき何かがポンと置かれている。いや、手紙というより紙切れと言った方が正しいのかも知れない。どっちにしろ何か文字が書かれているのには違いなく、玲央は思わず眉間にしわを寄せる。

 唐突に妙な紙切れを手渡してきたのは、隣の席の女子だった。

 漆黒色のボブカットの髪に、銀縁眼鏡。紺色のセーラー服も着崩すことは一切なく、スカートの丈も長め。

 良い意味で言えば真面目、悪い意味で言えば地味。

 これが、隣の席の女子――時村ときむら悠里ゆうりの印象だった。


 一番後ろの席だから、多分きっと他の生徒にはバレていない。しかし悠里は大胆なことに玲央の肩をトントンと叩き、

「あの……」

 とでも言いたいように口パクでアピールしてきたではないか。地味で真面目な彼女はいったいどこに行ってしまったというのだろう。

 まったくもって意味がわからず、眉間のしわは深くなる。

 しかも紙に書かれた内容が「式澤さん、ちょっと良いですか?」ときたものだ。ちょっと良いですかも何も、今は授業中なのだから良いはずがない。真面目人間なのだからそれくらいわかるはずだ。

 加えて、悠里とはまともに会話をした記憶すらない。不審に思う以外に反応のしようがなく、玲央は何も書かずに紙を彼女の机に戻した。

「…………!」

 玲央の反応が余程ショックだったのか、悠里は大きな瞳を丸々とさせている。

 何も書かないということは会話をする気がないということだ。それが伝わったのなら、これ以上行動は起こさないだろう。祈りながら、玲央は頬杖をついて黒板の文字に集中した。

(やべぇ、思ったより進んでるな)

 玲央は慌てて黒板の文字をノートに書き写す。

 いつもの自分がこんなにも真面目かと問われればそういう訳ではない。でも今は、今だけは、授業に集中したかった。

 ――そうじゃないと、また妙な紙切れが降ってくるかも知れない。


「今度の土曜日、暇ですか?」


 あぁ、と玲央は落胆する。

 同時に、何という強いハートの持ち主なのだと感心してしまった。先程突き放したばかりだというのに、諦めないどころかぐいぐいくるなんて、ぶっちゃけどうかしていると思う。


(いや、どうかしてるのはこっちの方か)


 ぽつり、と玲央は呟く。

 これはどう考えても恋愛フラグというやつだ。すでに恋人がいるなら彼女の行為が面倒臭くても仕方がないかも知れないが、玲央は恋人どころか友達すらいない。考えようによっては、これは玲央がクラスメイトと仲良くなるチャンスなのだ。

 普通だったら、前向きに捉えるべきことだと思う。むしろ舞い上がらないでどうするという話だ。悠里は目立たないタイプではあるが、よくよく見てみると整った顔つきをしていて、美人と言えなくもない気がする。そんな彼女から積極的にアタックされているのだ。少しくらい胸が高鳴っても良いはずなのに、まったくそんな気持ちにならない。


 ――青春なんて、眩しいだけで目の毒だ。

 まるで当たり前のことのように、玲央はそう思う。

 いったいいつからなのだろうか。玲央の人生の中から「青春」の文字が消えてしまったのは。

 別にトラウマなんてない。強いて言えば、ちょっと目つきが悪いのが原因で避けられているような空気を感じるくらいだ。でもそんな確証はないし、ただの思い込みかも知れない。だいたい、自分から話しかけに行く勇気がないだけの話なのだ。


「土曜日。もし空いてたら、お時間いただいても良いですか?」


 そしてその勇気は今、悠里が与えてくれている。

 さっきからスルーしているというのに、彼女はまったくめげる様子がなかった。本当に、「何なんだこいつは」と思う。確かに玲央は、見た目に反して真面目に授業を受けるタイプの人間だ。でも、容姿だけで言えばただのヤンキーであり、クラスで浮いているのもまた事実。自分に近付くのは相当の勇気が必要だと我ながら思ってしまう。

「…………」

 玲央はじっと、悠里の書いた文字を睨み付けた。

 ここでまた何も書かずに返したら、今度こそ彼女は諦めてしまうのではないか。そんな不安が急に襲ってきて、玲央は少しの間身動きが取れなくなる。

「……はぁ」

 やがて、玲央はわざとらしくため息を吐いた。

 彼女を無視したいはずなのに、玲央の指は勝手に動き出す。気が付けば、「お時間いただいても良いですか?」の隣に小さな丸をつけて返していた。

「あ……っ」

 どうやら、悠里は相当喜んでいるようだ。

 溢れ出てしまった声を必死に隠すように手で塞ぎながら、こちらをじっと見つめてくる。玲央はやめろこっち見んなと言わんばかりに黒板を睨み付けた。しかし、授業にはとっくについていけていないことに気付いてしまう。


「これ、良かったら」


 今度は何だと思ったら、SNSのIDだった。

 ほとんど反射的に、玲央は顔をしかめる。確かに玲央はさっき頷いたし、土曜日に会うなら連絡先を交換する必要があるだろう。

 もう未来は変わってしまったのだ。抗うことはできないはずなのに、

「SNS、やってないから」

 と思わず誤魔化してしまう。

 もはや自分が何をしたいのかわからなくなり、ついつい苦笑が漏れてしまった。これで悠里が身を引いたら、自分は何を思ったのだろう。

 しかし、その答えを考える間もなく、悠里からの返事が返ってきた。

「…………っ」

 そこに書かれていたのは、電話番号とメールアドレスだった。想像以上に食い下がらない悠里の姿に、玲央は心底驚いた──のを飛び越えて笑ってしまう。

(は、はは……)

 心の中で零れた笑みは、きっと諦めの始まりなのだろう。

 同じように電話番号とメールアドレスを書いて悠里に返す。あからさまに嬉しそうな表情をする悠里を一瞬だけ見つめてから、玲央は今度こそ授業に集中した。


 本当に、時村悠里という少女は何者なのだろうと思う。

 青春なんていらない。自分の瞳には何も映らない。それが当たり前だったのに、彼女はいとも簡単に玲央の心に入り込んできた。

 もしかしたら、これがきっかけで何かが変わるのかも知れない。

 ──そう、玲央は他人ごとのように思っていた。

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