夜の散歩、そして狐

前花しずく

第1話

「はーあ」

 本日何十回目の溜息。何が悲しくて一人で真夜中の住宅街を歩いてんのほんと。誰かんちのセンサーライトも点いたり消えたりして威嚇してくるし。「今日は月が綺麗だな」なんて思う心の余裕ないわ。

「それにしてもどうすっかな、今から」

 時間が遅すぎるから友達のうちにも行けないし、大通りには不良高校生がたむろってるし。かといって住宅街をあてもなく深夜徘徊とか嫌だわ。

「あ、どうせだしあそこ行ってみようかな」

 あそこってのは近所にある少し大きめの神社のこと。鳥居の前は通ったことあるけど中に入ったことないんだよねえ。夜の神社って多分風情ありそうだし。なんとなく。

 神社まではそんなに大した時間はかからなかった。境内って意外に夜でも明るくしてあるもんなんだな。さて、どうせ来たんだしお参りでもしてこ。

 とか思ってさい銭箱の方を見たら、こんな時間にも関わらず先客がいた。パン、パン、と一礼二拍手をきっちりやっている。あんなに真面目にお賽銭したことないよ私。

 彼女は黙々とお参りを終えると、音もなく踵を返した。当然私と目が合う。

「あっ……えっと、こんばんは」

 彼女も人と会うだなんて思っていなかったらしく、ぎこちないながらも丁寧に挨拶をしてきた。やっぱりこの子相当まじめだよなあ。まあ私も挨拶されたら私もちゃんと笑顔で挨拶を返すけど。なりたてとはいえこれでも一応大人のレディなので。

 さて、イレギュラーな事態もあったけどさっさとお参り済ませよう。適当に財布の中の小銭ぶちまけて、とりあえず手叩いておけばいいでしょう。アーメン。

 そんなノリでお賽銭し終わって、振り向いた時にまださっきの彼女が境内に残っていて、しかもこっちを見てるのに気付いた時の私の気持ち分かる? 変な声出そうになった。

「お賽銭終わりましたか?」

 しかも話しかけてくるじゃん。もしかしてこれお賽銭の礼儀作法とかめちゃくちゃ説明されて怒られるんだろうか。許してくださいもう神社には金輪際近付きませんから怒らないで、冷静に話し合おう?

「いえ、そんなにかしこまらないでください。まさかこんな夜更けに神社で、しかも同い年くらいの女性の方と会うなんて運命的なものを感じてしまいましたので、勇気を出して話しかけてしまいました。あ、もしかしてご迷惑だったでしょうか……」

 何このかわいい生物。迷惑じゃないしなんならお持ち帰りし……っといけないいけない、背の小さいかわいい女の子を見るとすぐ誘拐したくなってしまう癖は抑えないとな。

「良かったらそこのベンチにでも座って話しまs」

「よろこんで。座ろ座ろ。何について話そうか私何でも話すよ。私の名前はアヤノっていうのよろしくね」

 おっと、はやる気持ちを抑えきれず即答してしまった。でも誘ってきたのはこの子だしいいでしょ。合法。

「私は小雪って言います。こちらこそよろしくお願いします」

 小雪! 名前までかわいい! 天は二物を与えないって言うだろ、天さん仕事しろよ。

「それで……アヤノさんはどうしてこんな遅くにお参りにいらっしゃってたんですか?」

 あちゃあ、やっぱりそれ聞いちゃう? 聞いちゃうよね、知ってた。そりゃ普通の人間はこの時間に来ないからねえ。

「あ、やっぱりアヤノさん、普通の人間じゃないんですね!」

 そんな純真な笑顔でディスらないでください、Mに目覚めてしまいます。この子にならムチで打たれてもいい気がする。何言ってんだ私。

「まあその、なんというか、旦那と喧嘩して家飛び出してきちゃったんだよねえ。それであてもなくうろうろしててここに着いたって感じ。新婚ほやほやだっていうのに何やってんだか」

 隠しててもしょうがないしね。ここは素直に白状しといてやろう。

「え! 奇遇ですね、私も実は一緒になったばかりの主人とちょっと喧嘩になってしまって……それでこちらに相談に来たんです」

 ここまでくると本当に運命なんじゃないかね。ちょっとテンション上がる。

「相談って言ってたけど、この辺に友達の家でもあんの?」

「いえ、ここの神社の神様ですよ」

「神様に相談できるの……?」

「ここはお稲荷様ですからね」

 神様に相談って、この子そっち系? しかもお稲荷様だからなんやねん、とは口が裂けても言えないね。

「アヤノさんはどんなことでご主人と喧嘩したんですか?」

 よくぞ聞いてくだすった。嫌なことがあると誰かと共有したくてたまらなくなるのは万人共通の感覚だよね。

「それがね聞いてよ小雪ちゃん」

「はい、聞いてますよ」

「今日私帰り遅くなるから『ご飯お願いね』って伝えてあったわけさ」

「はい」

「それでちゃんと『分かった』って返事もしたわけさ」

「はい」

「それなのに帰ってきたら準備どころか買ってすらないの。それでぷっちん」

「あー……」

 なんか喋ってたら収まりかけてた怒りがぶり返してきたな。小雪ちゃんが目の前にいなかったらこのベンチ蹴り倒してるところ。小雪ちゃんの萌え属性で怒りを打ち消しておくんなんし。

「それでいて怒ったら『帰りに買ってくれば良かったのに』とか言い出す始末で……おめーが分かったって言うから任したんだろボケ!」

「本当ですね。約束したんなら守らなきゃダメです」

 さすが小雪ちゃん、よく分かってる。そのほっぺたモフりたい。

「そういえば、うちの主人も似たようなことがありました」

「まじ?」

「私たちは毎回二人ともご飯をかってくるんですけど」

「二人とも買ってくるの? 多くなりすぎない?」

「いえ、かってきたものは一食で食べきるので大丈夫です」

 二人とも買ってきてそれを一食で食べきるって二人してどんだけ大食いなのよ。食費が心配だわ。

「たまに主人が昼寝をしていて忘れてたりすると、その時間からかってこなきゃいけないので……」

「けっ、仕事もしないで居眠りなんていいご身分だね」

「まあ頻繁にあるわけではないのであまり気にしてないんですけどね」

 うわあ、こういうところの差だよアヤノさん。このくらいの余裕がないと立派なお嫁さんって言ってもらえねえんだ。なれる気がしない。

「逆に小雪ちゃんはどんなことで喧嘩したの」

 温厚そうな小雪ちゃんが何をされたら怒るんだろう。もはや家事の最中に急に抱き着かれても旦那さんなら許しそうだけどこの子。

「今日は主人が子供を洗ってくれる日だったんですけど」

「え? 小雪ちゃん子供いるの?」

「はい、いますよ」

 まじか。見た感じ私と同い年か年下なのに。ちなみに私はこれでも短大卒業して半年の二十歳です。ぴっちぴちのハタチです。

「何歳なの?」

 そうは言ったって小雪ちゃんみたいな子は大学とか出てから子供作りそうなイメージあるけどなあ。

「それ聞いちゃいますか……?」

 なんか恥ずかしがってるけど、やっぱりなんか訳ありなんだろうか。

「その……一歳半です」

「もうそんななの!」

 子供がそんな歳なんじゃ子供ができたのはもっと前、子作りし始めたのはそのもっと前ってことに……。もしくは小雪ちゃんが私より年上だったり……? もし地雷だったりするとまずいからあんまりツッコむのはやめておこう、うん。

「あ、それで主人が子供を洗ってくれるはずだったんですけど」

 ああ、そういえばそんな話だったな。

「毛が傷むから優しく洗ってって言ってるのにいつも強引なんですよね。ほら、毛並みって私たちにとってすごく大事じゃないですか」

 まあ確かに私ら女にとって髪の毛は命だからね。ってことは子供は女の子なのか。私も最初の子は女の子がいいなー。仲良くなりたいもん。おそろいのお洋服とか着たい。

「それで今日怒ったら『洗ってやってるんだぞ』って言うんです」

「あらら、男が言っちゃダメな典型じゃんね」

「ほんとそうです。そんなこと言ったら私いつも子供の面倒見てますからね」

 まったくだ。お母さんはやることが多いんだから。特に子供ができてからは女性を敬うのだぞ、男子諸君。うちの旦那はどうなることやら。今から思いやられる。

「一回嫌だなって思うとそれまでにあった嫌なこととか関係ない嫌なことも全部思い出してしまって……そんな自分も嫌になっちゃうんですよね」

「わかる」

 つい語彙力喪失したけど分かりすぎる。それで「あれもこれも〜」とかって言ってしまったが最後、「昔のことだろ」「今は関係ないだろ」って相手も喧嘩腰になって悪化するんだよね。しょうがないじゃん、思い出しちゃうんだから。

「例えばいつも帰ってくる時間に帰ってこないことがあることとか」

「まさか朝帰り?」

「いえ、朝帰りは普通なので、昼帰りですかね」

 え、朝帰りが普通ってやべーヤツじゃん。しかも昼帰りってなんだよ、会社行けねえじゃんか。あ、もしかしたら夜の時間の仕事なのかもな。そうに違いない、そういうことにしておこう。

「あとは二人で寝てる時に主人の方が幅を多く取ってることとか。そういう時は仕返しに全体重を主人にかけてやりますけど」

 そうそう。一つのベッドで寝てると気付いたら追いやられてるんだよ。少しはスペース空けようとか思わないわけ? 私はそういう時思いっきり鼻つまんで叩き起こすね。あいつは常にこっち向いて寝てて、鼻がいつでもつまみやすい位置にあるから。

「それから、掃除したのにすぐ散らかしたりとか」

 そうそう。バンドのCDだとかすーぐ出しっ放しにするんだもん。何度注意しても直らないもんな。学習能力皆無か。たまにテレビで奥さんが勝手にものを捨てちゃう番組を見るけど、気持ちは分からなくもないんだよね。

「そういうこと注意したらすぐにシュンとしちゃって」

 そう、学習能力ないくせに怒られると「そこまで凹むか?」ってくらい気にするんだよ。別にそこまでガチで怒ってるわけじゃないのにさ。

「そのあとでちょっとお花用意してきて『さっきはごめん』とか言って真面目に謝ってくるんですよ。それを見たらもうなんかかわいくなってしまって」

 そうなんだよ。なんか必死に謝ろうとしているのがかわいいんだよ。

「それで結局許しちゃうんですよねえ……」

 結局許しちゃうんだよお……。だって、なんだかんだ言ってもあいつのこと好きだから結婚したわけだし。好きな男が嫌われたくないとでも言うように必死な目で謝ってくるんだよ。許さないわけにはいかないじゃん。……って、愚痴ってたはずなのになんでこんな話になったんだ。急に寂しくなってきちゃったじゃんか。

「……もう戻りましょうか」

 小雪ちゃんも同じこと考えてたみたいで、少しそわそわしてそう言った。これ以上話したいことも、お互いもうないみたいだしね。

「アヤノ、ここにいたのか」

 とか言ってたらお迎えが来た。予想以上に探しに来るの早かったじゃん。褒めてあげる。

「さっきはごめん。冷えるといけないから、一緒に帰ろう……?」

 そんな目で訴えられて差し出された手を取らないわけがないだろ馬鹿。いや、でもちゃんと反省しろよな! 謝って全部許されると思うなよ! 迎えに来てくれてありがとう!

「いい旦那さんですね」

「ありがと……」

「それじゃあ帰りましょうか」

 そう言った小雪ちゃんは鳥居とは反対方面に歩いていく。え、出口はこっちだよ? もしかして極度の方向音痴?

「え? だって山はこっちですよ?」

 それはそうだけど、私たちが帰るのは山じゃなくて家でしょ。

「アヤノさん、町に住んでるんですか? 人間には住みやすいでしょうが、私たちに居場所ないと思いますが」

 人間には住みやすいでしょうがって……人間に住みやすければいいでしょ。人間だし。それより私たちに居場所がないってどういう……?

「えっ、アヤノさん、『普通の人間はこの時間に来ない』って」

 言ったけど、それだって「変わってる人間」ってだけだよね。この子まじで大丈夫?

「あ、え? いや、あの、その、あ、あ……失礼しました!」

 小雪ちゃんは急に泣きそうな顔になったかと思うと神社の裏の方に走って行こうとする。いやまってまって、私まだ何も分かってないよ小雪ちゃん!

 追いかけて神社の裏へ回ると、小雪ちゃんは山の斜面の方を向いて立っていた。そしてこっちを一瞥すると、山肌に両手をつき、目にも止まらぬ速さで斜面を駆け上がっていった。一瞬だったけど、私の頭には小雪ちゃんが黄金色の毛をした一匹のキツネになった映像が確かに焼き付いた。

 えーっと……つまり? 小雪さんって……。

「あれ、さっきの人は?」

 あとから追いかけてきた旦那がとぼけた顔をしてきょろきょろとあたりを見回している。……まあ深く考えてもしょうがないよね。

「近道で帰るってさ。私たちも帰ろ」

「そうなのか。うん、帰ろう」

 未だにあまりよく理解はできていないけど、不思議と私はとても冷静だ。今度油揚げでも買って神社の裏にでも置いておいてあげよう。

 また会えると嬉しいな、小雪ちゃん。

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夜の散歩、そして狐 前花しずく @shizuku_maehana

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