氷の柱

前花しずく

第1話

 煉瓦造りの街並みは銀世界によく映えていた。中心にある鐘塔から朗らかな音色が響いてくるたびに、スレートの屋根から粉状の雪が舞い落ちる。陽が落ちて、道を照らすのは古びた街灯とショウウィンドウや窓から漏れるガス灯の光だけである。

 ルカは白む息を目で追いながら、その街をゆっくりと歩いていた。この季節、夜が手を伸ばしてくるこの時分に外を出歩く人などそう多くはない。彼は変わりものである。

 紺のコートが風でたなびくと、彼はマフラーを手で引き上げた。散歩が好きだとはいえ、寒さを感じないわけではない。頭に雪が積もれば払うし、素手で雪を掬い上げようと考えることもない。しかし背の高いブーツを纏った足だけは、迷わず雪の一番深いところを踏みしめて進むのであった。

 頼りない街灯に導かれるように、ルカはいつの間にか街はずれにある公園まで来ていた。公園は広場になっていて、点々と置かれているベンチにはろうそくほどの雪が積もっていた。雪が降り始めてからほとんど来訪者がいないのか、公園は見渡す限りこれ以上ない雪原であった。

「やあ」

 突然の声に振り向くと、背丈が同じくらいの人間が目を細めて立っていた。

「キミも散歩かい? 珍しいな、僕が言えた義理ではないけど」

 そのまだ高さが定まってないような声からするに、それは少年のようであった。ルカはうんともいいやとも応えず、少年の姿をまじまじと見つめた。少年もかなりの時間この雪の中を歩いてきたらしい。茶色いコートの右側は、風が吹きつけたせいで白くなっていた。

「せっかくだ、ついそこまで付き合ってくれないか」

 深くマフラーをしているので分からないが、少年は微笑んでいるようだった。ルカは返事をするでもなく、また拒むこともなかった。少年はそれをイエスと受け取ったのか、ルカと並んで公園を歩き始めた。

 しばらく歩くと、道の両脇に柱のようなものが立っているのが見えてきた。遠くから見ても分からないのだが、近くに来ると氷柱であるのが分かった。氷柱の中には背丈ほどの建物のようなものがそのまま埋まっていて、まるでどこかの時間を切り取ったような雰囲気がその氷の中に漂っていた。

「綺麗だ。気泡が入らないように凍らせるって難しいと誰かが言ってるのを聞いたことがある」

 少年はじっくり氷柱を鑑賞しながらぽつりとそんなことを言った。ルカもこのような作品の展覧会がどこかで開かれているのを、テレビで見たことがあった。

 次の氷柱には、どこかの橋のようなものが再現されていた。両側の山から橋の上の車まで、実に細かく再現されている。ミニチュアだとはとても思い難い一品だった。たまらず氷柱の側面に手を添えると、手のひらはじんわりと冷たくなった。

「気に入ったのかい? 僕も気に入ったさ。しかし、同時に寂しくもあるんだ」

 少年は背伸びをして氷柱の上に積もった雪を両手で払いのけた。公園は入口と変わらず誰一人踏み込んだ跡がない。これだけ素晴らしい作品が並んでいるのに誰の目にも止まらないのは、やはり寂しいことである。同時にこれらすべてを自分だけが独占しているという優越感もあった。

 ルカはここにきて少しだけ気分が高揚して、次の氷柱を早く見たい気分が増幅していた。深く積もった雪の中を、若干の早歩きで次の氷柱の元へ歩み寄る。

 その氷柱は真っ白だった。雪が付着しているのかと思い表面を擦ったりはたいたりしてみたが、中身が見えることはなかった。

「失敗してしまったんだね。『想い』が足りなかったんだ」

 少年は言った。失敗。その一言にルカの胸は少し痛んだ。

 そして、次の氷柱に向かった。その氷柱の中には、手を繋いでいる二人の男女がいた。ルカはその前に来て足が止まった。視線は吸い込まれるようにその二人に注がれた。

 二人は、ルカの父母であった。

「『想い』が強かったんだね。とてもはっきり浮かび上がっている」

 二人の体つき、着ている服、髪の毛、そして表情までもが瓜二つであった。いや、本当に本人がそこに氷漬けになっているのではないかとさえ思うほどだ。二人が死ぬ前、最期に一緒に出掛けた時と全く同じ格好だったから、余計に。

「キミの想いだよ」

 ふと気が付くと、少年は既に数歩先に行ってルカの方を振り返っていた。

「次が最後だ」

 先を行く少年の後についていこうと、ルカは小走りになった。そして少年の隣に並んで次の氷柱を見た。

 それは、鏡のように佇むルカであった。格好は今のルカと完全に一致していた。しかし、氷の中のルカの瞳は力を失い、今にもその場で倒れてしまいそうな様子だった。そう、そのまま凍死でもしてしまいそうな。

「これは、キミを助けようとした人が最期に見たキミだ」

 少年は静かに言った。

「『記憶』、だよ」

 驚く暇もなく、ルカの中に大量の「記憶」が流れ込んできた。雪の降る夜に街を出歩いたこと、いつもは行かない道へ向かってしまったこと、そして、そこで倒れてしまったこと。

 ルカの意識はそれをきっかけに遠のいた。気が付くと、ルカの身体は青白く発光し、腕を見れば奥の雪が透けて見えていた。

「時間なんだ」

 少年はまた目を細くしてルカのことを見た。もうここにはいられない。そう悟るのに時間はかからなかった。

 光はみるみる内に全身を包み込み、さらに強く輝いた。光の塊はだんだん細かい光の粒に分裂したと思うと、円を描きながら暗い空へゆっくりと漂っていった。

「さようなら」

 少年はマフラーを少しだけ下げてふっと白い息を吐いた。

「やっぱり、この場所は寂しいや」

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氷の柱 前花しずく @shizuku_maehana

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