スターチスの花に水をまく

水谷なっぱ

 今朝もいつも通り、日が昇るころに目が覚める。そろそろ朝が冷え込む時期になってきて、ベッドから出るのが一苦労だ。できるだけ布団から出ないようにベッドサイドテーブルへと手を伸ばし杖を手に取って一振りする。少しずつ部屋が暖かくなるのを確認してのそのそとベッドから起き上がった。

 なんとか冷たい水で顔を洗い、口をゆすいで支度をする。窓際の鉢に水をやり、モモのピクルスをつまんでから服を着替え荷物を持って自室を出た。

 広い廊下をすたすた歩く。まだ早い時間なので下働きの者たちが忙しく駆け回っている。しかし彼らも慣れたもので私に深々と頭を下げることはなく、軽い目配せやちょっとした会釈で通り過ぎるのみだ。

 ここはエティエンヌ王の王宮である。私は王宮付きの魔法使いという身分で宮殿内に住まわせてもらっている。所属は技術省で魔法を技術に置換している、と言えばいいのだろうか。魔法はごく一部の魔法使いしか使えない技だけど、それを誰にでも使える技術、道具にして市民全体の技術力、文明の底上げをしようとしている。それが私の主な仕事で、それ以外にも市民ではどうにもならないトラブルの対応、魔族退治や災害時の復旧なんかに駆り出されることもある。駆り出そうとしてくるのはだいたい内務省のツートップである大臣と次官の二人だ。この二人に会うとろくなことにならず面倒ごとに巻き込まれるのは必須なので避けるようにしている。それでも見つかって厄介ごとを押し付けてくる。もうあの二人の存在が私にとって厄介事だ。

 そういう身分なので最初早朝に宮殿内を歩いているとすれ違う人がみんな手を止めて挨拶をしてきた。でもそんなことはしないでくれと必死に頼み込んでようやく止めてくれた。そもそも私自身は庶民の出であり、こんなところにいるのは何かの間違いなのだ。その原因であり今はもう亡くなっている夫は当然助けてくれないので、恨み言を言いつつもなんとかかんとかやっている。

 歩いて歩いて職場である技術と学問の塔までやってきた。この塔は全体を技術省で管理している。塔は表向きには国民の技術発展のための施設であり、だいたいあっている。しかしそれは地上だけの話だ。おおよその国民は知らず、技術省内でもある程度の役職についている人物しか知らないことだけど、この塔には地上と同じくらいの長さで地下にも施設が広がっている。そこで行われているのは割と非人道的な実験で、例えば動物実験や人体実験、捕まえてきた魔族を使った実験も割とある。それが正しいかどうかは分からないし、私の判断するところではないけど、それによって救われた命が多数あることは事実としてある。私は日によって地上だったり地下だったりで働いているけれど、今日は地上の日なので普通に入り口を抜けて石の階段を上がる。

 目的の部屋について重たいドアを開けるとこれもいつも通り先客がいる。というか技術省トップのこの人はここで寝泊まりしているので毎朝だいたいいる。いない時は地下にいる。

「おはようございます、ガスパル。朝ですよ」

「……もう少し寝かせてくれアデール」

「構いませんが、もう少ししたら私より厳しい人が起こしに来ますよ」

「それはいけない」

 ガスパルは私の脅しにすんなり従って起きてきた。毎朝同じことを言っているのだからいい加減一発で起きてほしいものだ。そして彼が顔を洗っている間に当の"厳しい人"であるエメリーヌがやってきた。

「おはようアデール。相変わらず早いのね。ボスは?」

「おはようございますエメ。ガスパルは顔を洗ってます」

「そう。起こしてくれてありがとう。わたくしも朝から怒りたくないもの」

 ええ、私も朝からエメの怒りなど見たくないのでね。ガスパルが身だしなみを整えて出てくるとエメと今日の仕事の打ち合わせを始めた。私も自席についてぼちぼち仕事を始める。そうしていると他の人もやってきてにぎやかになってくる。


 そうこうして過ごす内に日が傾き始めた。今時分は暮れるのが早い。今日はそこまで忙しくないし明かりをつける油も高いから文字が読めなくなる前に帰らなくては。なんて思っていると部屋の呼び鈴が鳴った。半年前にやってきた新人のリゼットが呼び出しパイプに返事をすると塔の管理人の女性がわたしの名前を呼んでいる。

「はい、アデールです」

「アデール、レオ・ニコラが見えてます。降りてくるようにとのことです」

「……断っておいてください」

「エティエンヌ王からのご命令だなんだと騒いでますよ」

「はあ、そうですか。お騒がせして申し訳ありません。すぐ降ります」

 ため息をついてガスパルとエメに状況を説明するとエメも一緒に行くというので二人で塔をのんびり降りていく。降りた先のホールには呼び出した当人であるレオ・ニコラがイライラした顔で待ち構えていた。

「遅いぞ!」

「事前にご連絡いただければお待たせすることもなかったのですがね。まさか内務省大臣閣下ともあろうお方が約束もなしにいらっしゃるとは思いませんでしたわ」

 エメが笑顔で言い返す。しかし私はレオ・ニコラの横にいる人物に気付いた。

「ニコラ、この子は?」

「ああそうだ。これをお前に任せる。立派に育て上げよ」

 突然の命令に私だけでなくエメも息を飲んだ。

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