ビューロクラティック・ファイアボール ―火球と書類―
@ns_ky_20151225
ビューロクラティック・ファイアボール ―火球と書類―
森の木々や地面は夕焼けでところどころ赤く染まっているが、全体に暗い。両手をそろえて前に突きだしたまま、その暗がりを透かすように見、気を感じ取ろうとした。
風に乗って焦げる臭いがかすかにする。さっき牽制に撃った火球だろう。気の感じは変わらないのでかすめた程度だろうと思い、隊長にそう告げた。効いちゃいない。
「来たぞ! 右前方!」
隊でもっとも年少なので小僧と言う呼び名の兵の大声が響き、全員がそちらに集中する。鬼が三匹。全部一本角。人間よりひとまわり大きいほどだが、どす黒い気をまとっているのでもっと大きく見える。こちらに気づかれたと悟ったのだろう。叫び、吼えながら猟犬のようにせまってきた。
近すぎる、そしてこの速度では弓は間にあわない。こちらの兵も三人。即座に接近戦となる。かれらは剣をふるうが前腕の背や手のひらで受けられてしまった。隊長を見るが首をふる。この人は常に静かに状況を分析している。
「まだだ。待て。やたらに撃つとあとが面倒だ。書類仕事はおれだぞ」
兵たちはよく戦っている。すくなくとも鬼を止めた。帝国兵の剣術は見せかけではない。しかし、鬼の皮膚は一時的に硬化するうえ、技術などものともしないほどの膂力があった。一撃ではしとめられない。わずかずつ削るように戦うが、兵の限界のほうが先に来そうだった。
「火球はまだか!」
たまりかねただれかが叫ぶのが聞こえた。かまえたままもう一度隊長を見る。
「まずあいつだ。一番弱っている」
「小僧! 撃つぞ」
そう呼びかけると小僧は体を低くしてうしろに跳んだ。火の霊に願うと両手が暖かくなり、人の頭ほどの火球が鬼にむかって走る。胸から煙を上げて倒れると同時に小僧がとどめを刺す。のこった鬼たちが引くような態勢になった。焦げる臭いが強くただよう。
「逃すな!」
隊長の声。兵たちは囲むように退路を断つ。兵と鬼が入り乱れている。撃ちにくい。
「あいつらを下げたくない。こんどは頭部を狙えるか。目をつぶせ。ただし、一発でだぞ。よけいな仕事を増やすな」
指さすほうを見、うなずいた。この近さなら外しようがない。
次弾はその背の高いほうの鬼の頭に撃ち込んだ。眼窩がただの焼けたくぼみになる。兵たちは、視力を失い倒れこんでもがくだけのそいつを放置し、もう一匹のほうにむらがって倒してしまった。そしてすぐに鬼の叫びはすべて消えた。
「終わったな。念のために絶命を確認。いつもの手順だ」
確認、といっても医者がするような上品なものではない。兵たちは緊張が解けた時の薄ら笑いを浮かべながら首をはね、特徴である角をもぎ取った。
「一杯やるか」
「よせ、悪酔いするぞ」
お決まりの冗談だった。鬼の角を酒に入れて飲むとふわりと飛ぶような幻覚があると言う。本当かどうかは知らないが、軍では禁じられていた。
「こら、それは証拠として納める。数が合わなかったらまた書類だ。おまえらおれの仕事を増やすことしかできんのか」
隊長があきれたように言った。ずっと落ち着いている。魔王戦争に参加したというからにはあの程度の鬼との戦闘など小競り合いのようなものなのだろう。
皆が笑い、角を差し出す。それをわざとらしく数えて腰の皮袋に入れた。
「おい、魔法使い殿、何発撃った?」
こっちを見て聞いてきた。『殿』の発音は軽く、敬称ではなかった。
「牽制三発、いま当てたのが二発」
「よし。規則違反はないな」
からかうような口調だったのでそれには答えず、不機嫌な表情を作って横を向いた。ほかの兵たちが笑う。事情は知られている。これは懲罰任務だった。
すっかり暗くなった森を抜け、街道に出ると月のおかげで楽になった。夜の鳥や虫の声がする。一応は安全と言えるだろう。
しかし、仕事は終わっていない。基地に帰る道すがら、道沿いの魔除けの点検も行わなければならない。
「こりゃひどい」
皆から赤ひげと呼ばれる兵がつぶやく。魔除けが無効になっていた。柱が折られ、祠が落ちてしまっている。善なる霊の監視に空白ができている。
本来なら祠は複雑な彫刻を施した木の三脚の上に据えつけられているはずだった。全体は男の三倍くらいの高さで、窓が四方に開いている。そこから見通しのきく範囲にはやたらな魔物は近寄れない。街道沿いには点々とそのような魔除けが設置され、邪な魔法の産物から王の道の安全を保障している。
「新しい。ついさっきかもな」
隊長が小さな松明をともして折れ口を調べた。訓練の行きとどいた兵たちはそちらを見ないようにしていた。調べ終わったらすぐに消すとはいえ、一瞬でも目がくらむのを避けている。
「裏切り野郎ですか」
月明りだけにもどると年かさの兵が言った。親父、とあだ名されている。
「そうだ。まただ。どうする? このまま帰って暖かい飯に湯と行くか、また森に入って屑野郎を追いかけるか」
湯だ、湯、と願った。
「隊長、聞くまでもないでしょう」と親父。
「そうです。もちろん」赤ひげは当然のことと言わんばかりだ。
「魔法使い殿も、ですよね」小僧がこちらに振ってきた。
皆の目が光っている。やむなくうなずいて言う。
「裏切り者に帝国の処罰を」
まずは皆で三脚の応急修理をして祠を据えなおした。高さが足りないので魔除けとしては不足があるが、なにもないよりましだろう。それから簡単な儀式を行い、祠の霊の協力も得て破壊者を追跡した。痕跡が発光し、裏切り者は祠を倒した後街道から直角に森に入っていったと分かった。西に向かっている。
「痕跡をごまかそうともしていない。素人か、罠か」
そう言うと隊長は笑う。
「どっちでもいい。素人なら楽でいい。罠なら飛び込んではじくまでだ」
ほかの兵たちはにやにや笑ったり、また始まったと肩をすくめたりする。
そうやってすべての作業が終わるとあたりがうっすら明るくなっていた。仮眠したいところだが日光を無駄にはしたくない。すぐに出発する。
食事は歩きながら固い饅頭をかじった。てっぺんには帝国軍治安維持局交通安全部の焼き印が押されている。中にはもっと歯ごたえのある干し肉がちょっぴり入っていた。これを腹に納めたからには王の道の安全に命を懸けなければならない。
昼前、開けた場所に出たのを機会に追跡をやり直した。まだ西に向かっている。
「これは素人か。進路も変えずにまっすぐとは。いや、裏をかくつもりかな」
そう言っても隊長と親父は口を開かない。呪文で発光している痕跡をじっと見つめている。赤ひげと小僧は周囲を見張っている。隊長が背を伸ばして言う。
「まだ分らん。しかし小休止にしよう。荷物は降ろしていいが、立ったままだ」
森はいつもと変わらない。日があっても薄暗く、鳥が遠く近くで鳴いている。水を一口飲むと、小僧が手ぶりで欲しがったので渡した。
「どうも。ところで魔法使い殿、ちょっと話いいすか」
「ああ、うん」
きっかけを作りたかっただけかと思い、懲罰任務といえどもそろそろ打ち解けたほうがいいかなと考えていたところなので小僧の誘いに乗った。
「懲罰って、なにやらかしたんです?」
「規則違反」
「そりゃ分かってます。なんの規則にどう違反したんすか」
親父と赤ひげが聞き耳を立てているのが分かった。隊長はすでに知っているはずだ。小僧の、気を使おうなどとはせず、あっけらかんと聞いてくる様子がさっぱりしていて気に入ったのでごまかさずに答える。
「火球の撃ちすぎ。事前の許可以上に撃っちまった。状況が状況だからだいじょうぶって思ってたらだいじょうぶじゃなかった。事後申請も面倒でほったらかしにしてた。忙しかったんだ。研究が」
「相手は?」
「赤悪魔。下の下の魔物。楽勝のはずなのに近くの孤児院の子が逃げ遅れてな。あわてて連射したんだ。粉々に吹っ飛んだけど、本来はそんなに魔力を使っちゃいけなかった」
「それなら緊急避難で通ったでしょう?」
赤ひげが口をはさんだ。小僧もうなずく。
「いや。魔力の過剰使用には通らない。厳密に書類と調査が必要だったんだ。で、それを破ったもんだから懲罰。交通安全部で大砲になってこいって放り出された。こっちは研究中断。今頃引き継いだ誰かが成果かっさらってるよ」
今でもくやしくてならないが、さとられないようにかるく冗談めかした。隊長が静かに言う。
「まあ、魔力を好き勝手にさせられないのは分かるだろ? きちんと管理しなきゃ。二度とあんな魔王を生みだしちゃいけない。それに交通安全の仕事も重要だ。『道こそ帝国』って研修で習ったとおりだ」
皆同意のつぶやきをもらした。
「さあ、おしゃべりは終わり。追跡再開するぞ。今日中に始末をつける。裏切り者の首をとるぞ」
こんどは全員腕を振り上げて勢いをつけた。
さらに森の奥へと分けいる。木の根や岩が出ていて歩きにくい。途中、西へと続く獣道があったが、あまりにもわざとらしいので使わなかった。こうなるとほぼ罠だろうと皆見当をつけていた。おびき寄せだ。目的は分からないが。
さっきの隊長の言葉を思い出す。『道こそ帝国』。こんな道もない森を歩いているとなるほどと思う。安全な道には旅客が行きかい、貨物が滞りなく流れる。最近は都市近郊なら夜間の交通も可能になった。安全部は、我々の功績だ、と誇りにしている。
一方で鬼や魔物、賊の類はいまだに存在する。昼間の森でさえ魔の気を肌に感じる。あの大戦で魔王は滅びたが、呼びだされた鬼や悪魔、産みだされた怪物どもは帝国の目のおよばぬところを徘徊している。加えて賊。人間でありながら人の道に外れた外道連中。
奴らのせいで、道は都市に比べてまだまだ不安が大きい。町を襲えないほどの小集団でも街道を行く旅人や荷馬車は襲える。魔除けがあるなら賊と手を結べばいい。魔と外道が結びついて帝国に挑戦している。そう思えてならない。だからこそ必ず帝国の罰を与える。
罰とは、この世からの滅却だ。魂すら残してやる気はない。
前を歩く隊長が軽く左手を挙げ、その手で耳を、それから左ななめ前方を指した。注意を向けるとかすかに邪悪な気があった。親父と赤ひげが前に出、小僧が弓をかまえた。それを見て両手を突き出し射撃体勢をとると下がってきた隊長に制せられた。まだだ、という手振りをし、横に並ぶと両手を碗状にして耳の後ろにあてがう。様子を探るのが先という意味だった。こんどは牽制はない。
日は傾きつつあったがまだ十分に明るい。しかし、相手が魔物なら目に頼り切るのは良くない。集中し、気を感じるように努めなければならない。ついうっかり考えごとで気を抜いて隊長に先を越されてしまったが、これは本来なら魔法使いの仕事だ。
感覚を切り替えると空気が粘りを帯びたようになり、わずかな気の乱れが波動のように伝わってくる。周囲の小動物は無視できる。味方の気は分かっている。しかし、邪気は別だ。背景から浮き、まるで切り抜いた黒い布を貼り付けたように感じられる。
振りかえった親父が指を一本立て、その指で大きい丸を描いた。赤ひげも小僧もおなじように合図を送る。大型が一匹。隊長がこっちを見たので左手を握って拳にし、そこに右手の指を二本立てて添えた。鬼熊。二本角。
隊長が口の動きだけで、やりすごせそうか、と聞いてきた。首をふる。あきらかにこちらに気づいている。そういう気が流れてきている。人数が多いのでためらっているが、逃げようとすれば襲ってくるだろう。先制しかないと合図する。
鬼熊はのっそりと現れた。知識としては知っていたが、実際に見るのは初めてだった。熊の体に鬼の顔。爪は短剣なみ。動きはにぶいがやっかいなことに毛皮には魔法耐性がある。
そして、臭かった。これは図鑑にはなかった。
木々の間をゆっくりと迫ってくる。目と口が笑っていた。小僧が矢を放つ。腕は確かだった。毛皮と脂がなければ致命傷だったろう。しかし、三本とも刺さったというだけで何の効果もないようだ。
鬼熊は吼えた。ただの大声ではなく、なんらかの魔法が込められている。骨が震え、後先考えずに逃げ出したいという考えが湧きでてきた。軍の訓練を受けていなかったらそうしていただろう。そしておびえて混乱したままばらばらに倒され、食われただろう。それが鬼熊のやり方だった。
「心配するな。手の内は分かっている。昨夜ほど楽じゃないが、我々なら倒せる」
隊長はやはり落ち着いていた。その声に魔法はないが心に芯を通し、鬼熊の咆哮を完全に無効化した。すぐれた指揮官だけができることだ。
「こっちのほうが頭数は上回っている。倒してこい。まず足だ」
三人は互いに目配せして鬼熊に駆け寄り、取り囲んで剣をふるった。昨夜とおなじく削ることしかできないが、足を集中的に狙い、親父の一撃でほぼ動けないようにできた。しかし小僧が額から血を流していた。赤ひげも肩当がぶらぶらし、すぐに赤いものが地面に滴った。
隊長がこちらを見る。どうする、と目が言っている。耐性のある相手に火球を撃ったところで無駄だ。昔戦術が確立していなかったころは多くの魔法使いが単独先行して犠牲になっている。頭の中で過去の戦訓をめくった。早く、なにかないか?
あった。小僧のおかげだ。隊長に合図し、両手をかまえ、怒鳴った。
「三つ数えたらどけ! 一、二、三!」
三人が飛び跳ねるように引き、たっぷり魔力を込めた火球が鬼熊に向かった。ただし、正確には火球ではなく針状に成型した、言ってみれば火針だった。それを十本の指すべてを使って精密誘導し、さっき小僧が撃った矢傷から体内に貫き通した。
鬼熊は苦悶の叫びをあげ、倒れ、しばらく痙攣して動きを止めた。小僧がためしに矢を撃ったが無反応だった。全員がほうっと息を吐いた。
角が二本、隊長の皮袋に入った。赤ひげと小僧は血を止め、応急処置を施した。赤ひげが肩を回して顔をしかめる。
「これで治ったのか?」
「動かすな。血止めだけだ。癒しの術は専門じゃない。それより小僧、目をどうした?」
「なんでもない」
その目を隊長がのぞき込む。
「額をひっかかれただけじゃないな。目に来てる。やむを得ん、もどるぞ」
「いや、おまえらはもどれんぞ」
親父と赤ひげが剣を抜く。周囲の気配を探った。まずい。いつの間に。
「無駄だ。はまったんだよ。帝国の間抜けどもめ」
その声と同時に木や岩陰から敵が現れた。一本角の鬼が一匹、十分武装しているらしい賊が二人、そして声の主は魔法使い。もとは灰色だっただろう薄汚れたマントをつけていた。
「鬼熊はお見事だったが、戦闘中でももっと周囲に気を配るべきだったな。楽に近寄れたよ」
「なにが望みだ」
隊長はそう言いながら、小僧を両膝を抱えるように座らせ、頭を足の間に下げさせた。
「その前に武器を捨てろ」
全員従った。そうするしかない。命令された賊が剣や弓を回収していく。そばに来た時に見ると、魔法使い以外は
それから魔法使いが人数分の結び目がついたひもを手でくるくる回して呪文を唱えた。施錠のまじないがかけられ、腕と足が揃えられた形でくっつき、転がって動けないのを確かめると近寄ってきた。
「よし。これでおまえらは終わりだ。どうしようとこっちの勝手だな。どうした? 口までは固めてないぞ」
「さっきの質問の答えは? なにが望みだ」
「おまえらだ。兵の強靭な肉体と魂はいろいろと役に立つ。手に入れにくいが、やっと間抜けをおびき寄せられたよ。交通安全ご苦労様」
「魔物の召喚か。聞いたことがある。魔王の猿真似をする連中がいるってな。しかし臭いな。猿真似ってのは猿みたいな臭いになることじゃないぞ」
「挑発か? 怒らせようってか? 口に気をつけろ!」
口を蹴り上げた。隊長は血をつばのように吐き、その足にかける。魔法使いはぬぐおうともせず口の端をゆがめて言う。
「日が沈んだらこの場で生贄にしてやる」
命令の途切れた
「ふん、また呼び出すさ。それにしてもおまえ、こんな術をどこで習った。軍のやり方じゃない」
「おまえも魔法使いのくせにわからないのか。そのマントは飾りか」
「もうちょっと素直になれ。火球の成形と誘導ができるなら仲間にしてやってもいい。助けてやるぞ」
返事をせずに黙っていると、つま先で小突かれた。
「意地を張るのか。まあいい。そろそろ暗くなってきた。そのうずくまってる若いのからだ。頭でも打ったか? すぐ感じなくしてやる」
印を結んだ手をひらめかせると黒い気が染み出すように広がり始め、ぶつぶつと呪文を唱えながらその手を小僧の頭に置こうとする。
「待て! 仲間にすると言ったな」
「なにをいまさら。儀式が始まっておじけづいたか」
「なんとでも言え。
儀式を中断し、こちらを疑わしげに見る。
「証明してみろ」
「証明?」
「帝国を裏切れるのか? 二度ともどらないという決意を見せてみろ」
唾をのむ。
「分かった。そいつの真の名を教える」
一連の音を唱える。
「くそ魔法使いが! 帝国に背く気か」
親父が震える声で怒鳴る。赤ひげと隊長はこちらを睨む。言葉も出ないようだった。
「よし、本当だったら仲間にしてやる」
正確に音を繰り返した。儀式を行っていないにもかかわらず小僧からぼんやり白く光る球体が抜け出て、右手に収まる。それと同時に自由になった。
「こっちへこい。新たな仲間よ。いや、裏切り者かな? ま、仲良くやろうや」
結び目が一つ無くなったひもを左手で振っている。
その瞬間、右手の球体が火球に変わり、ひもを焼き尽くした。
三人ともこの瞬間を待っていたのだろう。ばねではじかれたように跳び起きた。隠し持っていた短剣を取り出す。隊長は慣れた業者が家畜を解体するように、魔法使いの喉をつぶし、手の筋を切断してからとどめを刺した。
また、命令を与えられておらず、意思のない
隊長は薄汚れたマントを手ごろな大きさに裂いて首をくるんだ。角の袋の横で揺れている。目をつぶったままの小僧は赤ひげが背負い、武装は親父が持った。
「皆よくやった。休みたいところだがすこし急ぐぞ」
「だいじょうぶですか」
赤ひげが心配そうに聞いた。
「心配するな。こういうのは戦時中はしょっちゅうだ。治るよ」
それから隊長はこっちに話しかけてきた。
「魔法使い殿、あの機転は良かった。もしかすると研究より兵隊向きかもな」
こんどの『殿』にはからかいの感じはなった。
「ありがとうございます。気づいてくれてよかった」
「気づくさ。皆実績には敏感だ。評価にかかわるからな。とどめを刺したのはおまえじゃないし、補助したのは二匹だ」
ほかの二人は笑ってうなずいている。「怒鳴ったのどうだった? 真に迫ってただろう」と親父が自慢げに言うが、「ありゃやりすぎです。はらはらしましたよ。ばれるんじゃないかって」と赤ひげに返されて肩を小突く。「痛!」
「そいつがまともな教育を受けてなくてよかった。たぶん修行半ばで逃げたんでしょう。名前に偽装した呪文に気づかないなんて。そこだけが賭けだったんですけどね」
隊長の腰で揺れている袋を見ながら言った。親父もそれを見て言う。
「俺たちも未熟さには気づいてたよ。隠し武器を探そうともしなかった」
皆おしゃべりになった。徹夜明けで一仕事終わった解放感だろう。
もうすぐ街道にもどれるというところで赤ひげが急に笑った。
「どうした?」
「いえ、ね、隊長。この一件の書類仕事、隊長がするんでしょ? それを思ったんです」
隊長のしかめ面は森の中のかすかな月明りでも分かるほどだった。
「魔法使い殿」
『殿』の調子がまた軽くなった。なのに悪い気はしない。
「は?」
「この懲罰任務が終わったら研究にもどるんだろ?」
「はあ、そうですが」
「なら、ぜひ書類自動作成について研究してみてくれないか。こればかりは苦手だ。いつまでたってもうまくならん」
「やってみますがね。それができたら魔王になれますよ。官僚制の魔王に」
皆の大笑いは木々の間を抜け、月まで届いた。
了
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