102号室 南のとさん

 甘ーいお菓子とともに苦いユーモア、いかがっすか? 全43作品。

 https://kakuyomu.jp/user_events/16816700427121902671



 笑いのバーテンダーさん選出。102号室はこちらの作品です。



 ふいごのように/南のと

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054921365470



【ヒトキワ荘・作品分類】

 ・ホラー作品



【作品概要】

 生真面目に農場経営に勤しむ夫婦。二人には異性交遊が派手な一人娘がいた。あるとき娘は男とのいざこざで殺されてしまう。哀しみに暮れる夫婦、荒れる農場。そんなとき、一年前にある行商人から手に入れた、願いを三つ叶えてくれるという不気味な代物のことを思い出す。




 笑いのバーテンダーさんより講評



 小生はこういう小説が苦手です。こういう、では乱暴な言い方ですね。グロテスクで救いのない小説が、嫌いなのです。小説に限らず、漫画でも映画でも、どんな媒体であっても、グロテスクで救いのなく、そこに特段のテーゼを与えない物語を、全く毛嫌いしております。胸糞が悪くなるのですから、致し方ありません。

(こう前置きをすると、小生の二の句はどなたでも想像されておりますでしょう。何千何万と擦られてきた常套句ですから、小生としてもこんな書き方はどうしたって避けたいものでした。)


 しかし、こちらの小説は違いました。お読みになった方には分かるように、序盤は愉快であるのに、終盤になって切って降ろされるように、グロテスクで救いのない結末となる、そんな読者を裏切る小説ではございません。冒頭から始終、この小説はグロテスクで救いのない小説である、と教えてくれているのに、小生は最後まで読めてしまったのですから、驚きです。

 理由は明快で不可解なのであります。明快であるとしたのは、文章が実にアーティスティックなのです。その為に、少しばかり胸が重くはなりますが、それ以上にこの文章を観たい、と衝動に駆られました。アーティスティック、陳腐な表現しか出来ずに嫌になります。

 講評でありますから、小生もアーティスティックの一言で逃げずに、何がそこまで掻き立てたのか、果敢に挑む所存であります。しかし、それが実に難しいのです。こここそが、この小説の肝である! と一点に絞ってスポットライトを当てるのを躊躇わせるほど、この小説には細部に魅力的な文章が鏤ちりばめられているのです。いっそのこと、どうか読んで自分の目で確かめて呉れと、投げ出してしまいたい!(失礼、講評でした。)


 拙筆ではありますが、精一杯努めさせて頂きます。

 冒頭からユニークであります。これは筆者の語りと捉えてよいでしょうか。「彼は生きたまま肝を抜かれた」 この一節を挙げて、筆者が滔々と聞かせて来るのです。この冒頭だけで小生は臓腑を鷲掴みにされました。この小説の色を、いとも容易く小生に分からせたのです。グロテスクで救いのない小説だと、はっきり分かりました。

 この冒頭、彼とは書かれていますが、この時点では誰かを特定する彼ではありません。言葉の定義から男性であることだけは確かになっておりますが、某とほぼ同義だと思います。なお申しますと、生きたまま肝を抜かれているのは、読んでいる者(つまり小生)自身とも受け取れる視点で書かれております。

 ですから、冒頭においては、まだ誰も生きたまま肝を抜かれてはおりませんし、誰も死に瀕しておりません。ここでは、どこかの誰かがそうなった時の、そのおぞましさを、読む者に想像させているだけなのです。況してや、全く肝を露呈させておりません小生の視点で書かれては、そこに同情や怒りが生まれるはずもなく、当然胸糞を悪くすることもありません。ただ、文章の美しさに感嘆し、この小説はグロテスクで救いのない小説だなと、心持を定めるのです。


 物語に入りましても、ユニークな文章で話が展開されてゆきます。構造としては、『猿の手』を小生も連想致しました。クラシックな物語の構造に、ユニークな文章、予想を上回る迫力のシーンに、それを語り尽くす達者な描写、ものの見事にこういった小説を毛嫌いする小生も、のめり込んで読んでいました。

 不可解であるのは、全く悲劇と呼んでも良い話であるのに、小生はこの夫妻にも娘にも同情を寄せることは無く、また何かに怒りを抱くこともありませんでした。だからこそ、終いまで読み進めても胸糞が悪くならなかったのです。どうして同情しなかったのでしょう。どうして、娘を殺した男や胎児の剥製を与えた男に怒りを覚えなかったのでしょう。

 小生、胸糞が悪くなるどころか、三度の唱和に至っては、僅かにほくそ笑んでしまうほどでありました。

 当企画において、小生は新たな“推し”と出会うことができ、感無量であります。ここに、筆者の南のと氏、企画主である崇期氏に感謝申し上げます。





 管理人よりひとこと



 南さんのファンでありながら、カクヨム内で南さんの一番古い短編であると思われるこちらをずっと覗き忘れていて、ごく最近読んだという失態を私は犯していましたね。

 最初に読んだときから、バーテンさんのおっしゃるとおり、文章の美しさ、描写の細やかさに心を奪われました。そして地の文のメタ的な語りかけなど、諧謔の部分においても、グロテスクにしても、やるときは遠慮なし、という南さんのサービス精神、心意気がすべてにわたって感じられる逸品だと思います。


「生きたまま肝を抜かれるってすごい言葉やなぁ」そんな言葉フェチの人の素直な感想をそのまま提示していることから読者に発見や共感を引き起こしますし、にしても「こんなふうになる?」という、物語ではなく「文章」の有り様に、『猿の手』っぽい……ということをほとんど忘れさせた──これがこの作品の最も優秀なところではないでしょうか。読者が一番「肝を抜かれた」ことは間違いなしです。






 南のとさんへ


 管理人がつけたあだ名 「残酷と諧謔の合わせ技、ポエティックな言葉使い師」




 こちらの作品の選出ですが、管理人にしてもなんら異存はありませんでした。『森の中の食い違い』も新作として大変うれしく、内容もおもしろかったですが、「ブラックユーモア」という大会において、総合的に人間を縛りつけ動けなくするような題材、迫力・鬼気として、私個人は『ふいごのように』の方が五馬身ほど抜いていたと思います(なぜ馬で例えたのかはよくわかりません)。


 アトリエの作品タイトル群からも窺えるように、純文学系でセンシティブな世界をお持ちなのに、コメディでのふざけ方は豪胆で、割合からいっても笑いを片手間にやっているという感じではないですよね。そして駄作がまるで見当たりません。読ませていただいたものは全部好きでした。



 これでもう、ヒトキワ荘は三回目の入賞。102号室、103号室の二冠達成はすばらしいです。残るは101号室のみですね!



 南さんは私がファンという親和性はありますが、元々どちらかといえば丁寧に作られる、長距離走がお得意な持久力タイプではないでしょうか。

 とすれば、短い募集期間で構想を練って書き、推敲・手入れをしなければならないという自主企画参加自体がことさら得意というわけではないはずです。

 ヒトキワ荘で『非性的ストリップ劇場に集い、秘密裡な炙りに興じる、寄る辺なき人々』を読んだときの衝撃は忘れられません。ああいうものはポンポンと産みだせるものではないですよね?

 なので、「瞬発力」や「粗さ」をエネルギー源とする、南さんを豪快上手投げでやっつける強敵作家さんもきっと存在すると思います。



 ということで、これからの大会もお時間のご都合が合えば遠慮なく来ていただきたいところですし、それでも南さんが勝ちすぎるということでしたら、そのうち重鎮としてご意見番やお題を出す側に回っていただくのもいいかなぁ、と。



 素敵な作品をいつもご提供いただき、本当にありがとうございます。陰ならず表立って今後も応援させていただきます。


 







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