第26話 窮地

「ここ……どこ……」


 詩は揺れる車内の中で目を覚ました。

 煙草臭さが鼻を突き、思わず彼女の肺がむせ返る。


「おいおい、もう目覚めちまったじゃねぇか」

 隣に座った金髪の男が舌打ちをした。


「おい、手ぇ出すんじゃねぇぞ順平。綺麗なままにしねぇと意味ねぇからな」

 その言葉に車内はどっと笑い声が起きる。

 詩は状況が呑み込めていないが、自分が非常に状況にあることだけは理解できた。

 理解できたからこそ、恐怖が数十倍にも心の中で膨れていく。


「それにしてもまさか双子だったとはな」

「ったく、もうひとり取り逃がしたのは痛かったな。本命はあっちなんだろ?大人しいのもいいけど、おれは反抗心のあるやつのほうが好きなんだよな」


 紫色の汚い笑いが車内に溢れる。

 それが詩の耳を通じ、そこから体内へと流れ込む感覚が彼女の体を震わせ、胃の奥をかき混ぜては気持ち悪くさせていく。

 ちらりと目線を上げると、車の窓ガラスは中が見えないように黒く加工されている。


 外からは中が見えないようになっているが、中からは外の様子が伺えるようになっており、すぐ近くを赤い警報灯が見えた。

 それは車へと近づき、「そこの車止まりなさい」とアナウンス越しに注意を促した。


 運転手はそのままいう通りに車を端へと寄せる。

 どうやら白バイが車を止めたらしく、運転手はそれに従い、ゆっくりと窓を開けた。


「ここらへんで誘拐事件が起こりましたので、ご協力お願いします。運転免許書見せてもらってもいいですか?」

 運転手はそのまま免許書を差し出す。

 詩は叫びだそうとしたが、金髪の男に口を塞がれ、ナイフを首元に突き付けられている。

 彼女の喉が恐怖のあまり締まっていく。


「問題ないですね。ここらへんで今検問をしておりますので、ご迷惑をおかけしますが、再度止められた場合はご協力のほどお願いします」


 その言葉に、車内にいる運転手を含めた4人は安堵の息を漏らした。

 その瞬間、詩の口を塞いでた手が緩み、ナイフが首から離れる。

 詩の口が反射的に開く。


「―――助けてください!!」


 閉まりかけた車の窓から、その声は確実に外へと飛び出した。

 その声に警察官が反応し、怒号を上げる。

 運転手はやばいと焦り、右足でアクセルを思い切り踏み込んだ。


「おいこら、待て!!」

 警察官は慌てて白バイに乗り、全力で追いかける。

 だがバンはその速度を上げ、車を縫いながら白バイを撒いた。

 車内では慌てふためく男たちと怒号に溢れる。


「くそ野郎!!お前絶対許さないからな!売り飛ばしてやる!」

 運転手の怒号に、思わず詩の背中が硬直した。

 車は右折左折を繰り返し、大通りへ逃げることなく、ビルの陰に隠れた裏道へと逃げ込み、エンジンを止めた。


「ほら、降りろ!」

 詩は無理やり腕をつかまれ、街灯が少なく薄暗い無法区へと連れ出された。

 もはや詩に抵抗する術はなかった。


 金髪の男が肩に腕を回して、周りから隠すようにジャケットを彼女の頭にかけ、ナイフを腹に突き付けている。

 そのまま4人の男に取り囲まれたまま、じめっとした湿り気が漂う無法区を早足で歩いていく。


「ここにしよう」

 そこには白い光を灯すホテルであった。

 詩は怯えが止まらぬまま、従うようにして入口へと入っていく。


「どこの部屋が空いてんだ?」

 シャッターで顔の部分が隠れた受付に尋ねると、下に空いた受け取り口からしわがれた手が現れる。


「401号室」という刻印されたキーが無造作に出され、「最上階だよ」という投げやりな言葉だけが聞こえた。

 そのまま、エレベーターへと乗り込み、4階へと向かう。

 狭く小さなエレベーターがまるで小さな監獄のように思えたのは、詩にとって人生で最初で最後の出来事である。


 4階へ到着すると、部屋は「401号室」しか存在せず、その部屋までまっすぐに伸びる通路が一本通っているだけであった。

 通路といっても10歩も歩けば部屋へ到着してしまうほどのものである。


 男の一人が部屋に鍵を差し込み、ガチャリと開ける。

 目の前にはクイーンサイズの大きな白いベッドがあり、下は赤い絨毯が引かれ、天井からは柔らかなオレンジ色の光が照らしていた。


 詩はラブホテルというものに来たのは初めてであった。

 そのため、もっとその内装というのはおどろおどろしい大人の欲望にまみれた異世界とばかり思っていたが、実際来てみれば何の変哲もない、綺麗なホテルの一室であった。


「おい、はやく準備始めるぞ。それと順平、今あっちでライブ回しっぱなしだろ。連絡して予定変更だと伝えてくれ」

「は、はい」


 そういうと、金髪の男、男曰く順平という青年がいそいで電話をかけ始めた。

 男たちはでかいバッグの中から三脚と取り出し、その上にタブレットを装着し始める。


「よし、ライブつなげるぞ」

 するとタブレットにはライブ画面に切り替わり、画面上にチャットが流れ始めた。

 詩は手を後ろに手錠を回され、口に捩じったタオルを巻かれる。

 その様子に、チャットでは1000円、5000円と続々と課金されていく。


「さてみなさーん。あなたがたの課金額でお望みの要望を叶えますよ!課金額の高いかたから行きますよ!」

 するといきなり50000円を課金したものが、「脱がせ」とチャットでつぶやく。


「ありがとうございます、さてオーダーが入ったぞ!脱がせろ!」

 そういうと男たちは詩の上着を剥ぎ、そしてワイシャツの襟部分に手をかけると、そのまま一気に第一ボタンから力づくで破る。


「やめてええええ!」

 詩は腕で前を隠そうとするが、後ろ手で手錠を縛られ、身動きが取れない。

 もはや顔を後ろに向け、隠そうとするほかなかった。


 破れた白いワイシャツの中からピンク色の下着が露になる。

 チャットが活気騒乱し、男たちは卑しい笑みを浮かべる。

 もはや詩に逃げ場はなかった。なんでこんなことに巻き込まれているんだと絶望した。


 梓のせいだなんて思えたほうがどれだけ楽なのだろうか。

 詩の優しさが猛毒のように、血液中を巡り、そして神経を掻き毟る。


 こうなってしまったのも私が注意不足で、そもそも私が梓を避けてきて、怖くて仲良くもできなくて、私が父と母の言いなりになってばっかりで、あぁ、結局自分のせいなんじゃないか、神様がみかねたんだねと彼女に陰鬱とした思考が廻った。


「好きに……してください」

 掠れた声で詩がつぶやく。

 全ての罪の棘が彼女の喉を裂き、たらたらと血が垂れ始める。


 心が痛いと叫び、見えぬ傷口に塩を塗り込む。

 逃げに逃げた果てにある贖罪の味は、とても苦く、そして甘い。

 彼女は、知らず知らずのうちに涙を一筋流した。


「遠野君……」

 一番最初は彼が良かったなんてわがままだろうか。

 彼女にとって一番最初のわがままが叶うはずない希望になってしまうことに、もはや溜息すら出ることはなかった。


 それでも、本能というものは心よりも先に揺れ動く。

 男が彼女の白い柔肌を触ろうとした瞬間、びくりと体が痙攣し、鳥肌が立つ。

 詩は体を反転させ、男の手を拒絶した。


「―――このやろう!」

 男が叫んだその瞬間、ガチャリと部屋の錠が落ちる音がした。

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